2025年 09月 23日
加古陽『夜明けのニュースデスク』 藤野早苗
加古陽さんの『夜明けのニュースデスク』、遅くなりましたが感想を書かせていただこうと思います。加古さんは本歌集で第22回筑紫歌壇賞、第23回前川佐美雄賞を受賞。3月9日には公開講演セミナーとして、「夜明けのニュースデスク批評会」が開かれ、小島ゆかりさん、栗木京子さん、小沼純一さん、寺井龍哉さんといった面々が加古作品について分析し、批評していらっしゃいます。総合誌にも、結社誌にも、個人ブログにも、『夜明けのニュースデスク』は取り上げられ、もう今さら私が書けることは何もないような気がするのですが、自身の備忘録として感じたことを記しておこうと思いました。

夜明けのニュースデスク
誰もいないフロアにファクスの音つづくインクの匂う夜明けのデスク 9
予定稿の過去形手直し
共同通信の修正電文流れきてひと文字直す「る」から「た」へと 10
殺された人は実名、自殺なら匿名、死者を分ける線あり 12
この紙は戦のたびに増えてきた今でも記者を「ヘイタイ」と呼ぶ 14
罫線をはみ出して書くわたくしは規範意識が足りない、少し 15
本歌集は小題ごとの連作構成が多い。一首の独立性を十全に担保しつつ、一連を読み進むとマッスとしての厚みが生まれ、鑑賞が深まります。歌集名の由来となった巻頭の一連「夜明けのニュースデスク」から感受される記者という職業の〈業(ごう)〉のようなもの、この感覚は本歌集の通奏低音として歌人加古陽氏の屹立した個性の源となっているように思いました。
紺碧の海
ぬるい川を両手で漕いで滑り入る公文書館に戦争は眠る 20
その島に長く流行りしマラリアの熱病のように人を殺した 22
参謀の命に従い拷問をせし忠誠の誠(せい)は言い成り 23
彼にもう一通の遺書があることを突き止めた
取り乱すことはなけれど文字荒き〈処刑半時間前擱筆ス〉 24
音もなく我より去しものなれど書きて偲びぬ明日と言ふ字を
木村久夫
刑場に首括らるる明日なれど遺書書き継ぎきあしたのために 24
語れないゆえ知られざるインド洋カーニコバルの夏の某事件 25
報道におけるプライオリティ最上位はやはり戦争。本歌集にも多くの戦争詠が収められています。中でもこの「紺碧の海」一連は報道記者加古陽治氏の粘り強い取材と歌人加古陽氏の鋭敏な感性が綯い合わされた骨格の太い作品群です。小題の後には次のような記述があります。
・『きけわだつみのこえ』の最後に遺書が掲載されている学徒兵・木村久夫は戦時中、インド洋の孤島カーニコバル島に派遣された。終戦の前月に上官の命で取り調べた住民が死亡し、戦犯として処刑された。末端兵士の「罪」の裏では、軍による組織的な大量虐殺が隠蔽されていた。 19
上掲の引用歌群、これが戦争の、いや日本軍の真実であったのかと、読後憤りとも悲しみともつかない気持ちに襲われました。1首目「ぬるい川」という出だしと結句「戦争は眠る」の付き具合が絶妙で、事実が白日の下に晒される前の傲慢な余裕のようなものを感じさせる作品です。けれど、そこから真実へと傾れるように向かってゆく一連はあたかも歴史の転換点に立ち会ったかのような緊迫感に満ちていました。連作の中には「末端の兵士は死刑、副官は懲役三年、参謀無罪」という1首もあります。引用歌3首目「忠誠の誠は言い成り」は忠誠心に潜む薄暗い危うさを掬った秀歌ですが、末端兵士の命の軽さを思う時、読者の胸にはやり場のない怒りが噴き出すのです。明日という未来があったはずの学徒兵木村久夫。その早すぎる無念の死を弔い、もう一通の遺書の存在を突き止めた加古氏。どうしてもその遺書を読みたくて、昨日Amazonで『真実の「わだつみ」学徒兵木村久夫の二通の遺書』を購入しました。著者はもちろん加古さん。今日届く予定です。

グラウンドゼロ
浦上の病室に命とりとめし歌人の長き戦後を思う 34
くろぐろと水満ち水にうち合へる死者満ちてわがとこしへの川
竹山広
青空と緑を映しいつからか鮠(はや)泳がせるとこしえの川 34
風のように渡ろう眠るしまうまの毛の下はまだ燃えているから 37
爆心地長崎を詠んだ一連「グラウンドゼロ」。〈心の花〉の歌人、竹山広の境涯に加古氏の眼前にある長崎の景が重なり、終わらない戦後が生々しく詠まれています。3首目「眠るしまうまの毛の下はまだ燃えているから」は抽象性が高いようでありながら、ゼブラゾーンの下にあるだろう原爆の未だ癒えない記憶を伝えているハイコンテクストな作品です。
FUKUSHIMA
二〇一一年三月十二日午後、東京電力福島第一原発1号機が爆発。
取材班を統括することになった。
神の火を手にしたものは神ではない炉心溶融進みつつあり 38
うつくしまふくしま森に降りやまぬ見えないものに鹿もまみれる 40
光速で飛ぶ責任のない人の「情報」という名前のナイフ 43
福島第一原発1号機爆発取材班統括とは一体どういう職務なのか、正直私には想像もつきません。けれど、情報という早さを競う世界に属する人々には考えるより先に動かねばならない局面があるのでしょう。逡巡している時間はない。誤情報が流れる前に正確な報道を行う。報道に関わるものとしてのプライドが滲む一連でした。2首目「うつくしまふくしま」は胸を抉られるほど美しい1首。無辜なるものの象徴としての鹿が悲しみを雄弁に語っています。
生きるんでぇ
半年前あと半年と告げられてから堰き止めている砂時計 60
入口があって出口がないことの枯死へと向かい咲く時計草 64
「コンビニに行きたいなあ」とふと漏らす簡単なのに難しい夢 68
着信
亡き笹井宏之さんのご両親に会うため佐賀へ向かうところだった。
決断をせねばならない、行くか戻るか(行こう)彼女はそう言うはずだ 78
死から一年、奈良の青垣墓地に眠る部下を訪ねた。
二十五秒に一人亡くなるこの国の記事になった死、ならなかった死 82
キンモクセイの香り消えゆく十月の木の葉の落ちるような最期で 83
目をつむり確かめている大脳にふかく広がる声の青空 85
部下の死を詠まれた「生きるんでぇ」と「着信」。本歌集の中では最も私性が強い作品群かもしれません。掲出歌2首目、時計草を描写しながらその実、部下に残された時間を詠む。「時計草」は計算された素材なのかもしれませんが、不思議と作為を感じない。相手の方への深い思いがあればこその修辞なのだろうと思います。「着信」は部下没後の作品群ですが、職場の同志として深い理解と共感で結ばれていたことがわかる一連です。ご冥福をお祈りいたします。
フェイク
嘘だらけの世に真実を深海松(ふかみる)のディープフェイクで拵(こしら)えている 105
ウインウインと泣くシュレッダー真実(ふつごう)を載せた文書をまた食わされて 108
「フェイク」面白い一連でした。途中「二人とも痩せているのがその証拠キャサリン、オードリーは姉妹」という作品につい考え込まされて調べてみる羽目になったり。「〜のがその証拠」とかいうフレーズはいけませんね。まさに「深海松のディープフェイク」(うまい枕詞だと感心)にはまってしまいそうでした。こうやってフェイクニュースは世界を席捲する。今まさに情報リテラシーが望まれる時代です。
軍命
ビアク島で、私は確かにみた。
肉体でありしは二十四、五年か以後七十年白骨のまま 124
死してなお解かれぬ軍命この兵も永く土中に気をつけをして 125
伯父はレイテ島で戦死したとされている。昭和二十年五月二十日という命日は虚偽だと思われ、
実際のところ戦死かどうかもわからない。
密林に赤色野鶏の声が降る土になじめぬ遺骨と軍靴 126
刺身、鶏、ビールのお斎(とき) 「戦死」せる伯父の死因は九分九厘餓死 127
二部に分かれた「軍命」。前半はニューギニアの激戦地ビアク島について詠まれています。この地で亡くなった日本兵11500人の亡骸が今でも島のあちこちで発見されるのだそうです。「七十年白骨のまま」「永く土中に気をつけをして」、ともに事実なのでしょうが、それゆえに胸が痛みます。死者の尊厳がない、それが戦争なのです。後半はレイテ島で戦死した伯父についての一連。加古さんにとっては身近な戦争を詠んだ作品群です。死因も命日も軍部が伝えてきたことは信用に値するものではないけれど、それを信じるしかなかった時代。「伯父の死因は九分九厘餓死」という文言に滲む口惜しさを私たちは忘れてはならないと思うのです。
王冠
二〇二〇年、新型コロナウイルスの流行が始まった。
青空を忘れて長き東京の人間に宿るコロナウイルス 173
王冠はひそかに殖える空襲のない東京をうちから焼いて 180
実は今も感染が続いているコロナ。2020年2月には外出自粛要請が出され、世界は一変しました。ほぼ丸3年、ソーシャルディスタンスとかニューノーマルなどの語彙が跋扈し、オンラインによるリモートワーク、学校でのICTを活用した学習システムなど、コロナ以前・以後で変容した生活様式は少なくありません。過ぎてしまえばしたり顔に総括もできますが、当時、コロナ禍渦中にあった頃は黒死病にも譬えられるような恐怖に震えたものでした。コロナはギリシア語で王冠。ウイルスにある突起が王冠の装飾部分に似ているところから付けられた名だそうです。見えない敵と静かに、しかしがむしゃらに戦った3年間でした。
群青
圧されつつ筋を通したその人の玉虫色の中の群青 199
あらためて知る大老の奥の間になびかぬ草は枯らすべき草 202
議事堂の背(せな)は夕焼け肩の荷を下ろし戻らん一人の記者に 203
報道を生業にする記者もまた組織の人間であるという事実を詠んだ「群青」。「圧されつつ筋を通」すには、「玉虫色」であらねばならなかったのでしょう。けれど、その人は結局玉虫色の中の一色、あたかも正義、誠実の象徴であるかのような「群青」として己を全うします。4・5句の比喩とイメージの飛翔が素晴らしいと思いました。そして加古さん自身にも変容の時が訪れます。「一人の記者」に戻る覚悟の美しさ。「議事堂の背は夕焼け」、この華やかな景に見送られて加古さんの新たなフェイズが始まるのです。
薄雲に白くけぶれる名残りの月 きょう本当を伝えられたか 208
歌集掉尾の1首です。報道人の静かな矜持をもって本歌集は閉じられます。「本当を伝え」ることに一命を賭す、知的でありながら強靭な身体性をも感受させる、まるで加古陽その人のような歌集でした。
記者加古陽治氏と歌人加古陽氏。無機質と思われがちな新聞記事だけれど、読んでみると執筆者の個性が自ずと感じられます。署名記事なんかはそれがはっきりわかりますね。本歌集を読了して、加古陽治氏の執筆された記事を読んでみたいと思いました。いや、もうどこかで読んでいるのかな。短歌作品に描出された加古さんの世界観がアンコンシャスバイアスとして働いた記事、とても興味あります。文は人なり。怖いけれど至言です。
読みすすみまた読みかへし山鳥のしだり尾のやうな夜も明けにけり



