2025年 07月 29日
コスモス山口支部「小宇宙」油谷志津夫特集 藤野早苗
コスモス短歌会山口支部より「小宇宙」支部報第13号をご恵送いただきました。本号には叔父油谷志津夫を偲ぶ特集が組まれ、まことに僭越ながら、私も寄稿させていただきました。


昨年叔父逝去に際して当ブログに、叔父は歌集を出していないことを書きました。本来なら私がなんらかのアクションをせねばならないところだったのですが、なんと、山口支部長の山本寛嗣さんが過去の「小宇宙」から叔父の作品をまとめてくださり、「杜甫草堂」という短歌抄を製本してくださいました。

端正な表情の、とても美しい作品集です。
寛嗣さん、ありがとうございます。
私の原稿はこの「杜甫草堂」を読んで書いた歌集評というか、雑感というか、そういう文章です。叔父とはとても気があってよく話しましたが、でも短歌についてはお互い照れのようなものがあり、あまり深い話をしたことはありませんでした。だからこの作品集から感受される叔父の姿はとても新鮮で、短歌に向かう時の叔父は岡林鎮雄ではなく、油谷志津夫なのだと痛感しました。本号掲載の拙文についてはいつかブログに転載させていただければいいなと思っています。近い身内の短歌を読むことは、その内面に深く立ち入ることでもあり、その点に戸惑いながら読み進みました。なので私の歌評は、親族としてその背景を知るがゆえに精度を欠いたものになっているかもしれないと若干の不安を抱いています。もしそうだったら申し訳ありません。
叔父の短歌との関わりについて、特に始めたきっかけについては私は全く知りませんでした。祖父が詠んでいたのでその影響だったのだろうとは思っていましたが、どのタイミングで宮柊二に師事したのか、それはどういう経緯だったのか、そんなことを私は全く知らずにいたのです。
それが、今回寄稿されている久葉尭氏の文章の中に「筏井嘉一の門下を経て、「コスモス」に移られた」という文言があり、それは全くの初耳だったのでとても驚きました。叔父のこととは全く関係なく、筏井嘉一については一度調べておきたいと思っていたので、これも叔父からの伝言なのだろうなとこのシンクロを思ったのでした。
寛嗣さんの追悼文に描かれた思い出の中の叔父の姿も懐かしく嬉しかった。「峠」を「たお」と一首に詠んだこと、叔父が宮中歌会始に入選した時の思い出、山口で開催された全国大会で司会を勤めた時のこと、などなど、本当にきめ細やかに書いてくださって感謝しかありません。
平佐京子さん、武永裕美さん、岡田美子さん、世良弘美さん、素敵な一首評をありがとうございました。
そして、ちーさまこと、鈴木千登世さん、丁寧で温かい作品鑑賞と30首抄をありがとうございました。
・つきつめて思へばわれも霧深き闇を辿れる一生活者 油谷志津夫
この作品について千登世さんは
・「闇を辿れる一生活者」の意識を詠まれながら実際にお会いする油谷さんは誠実で相手への配慮を忘れない優しい方だった。ユーモアを交えながらお話しされる姿が今も心に残ったいる。
と評してくださいました。これほど叔父の本質をついた鑑賞はないと思います。ちーさま、ありがとうございました。
山口支部のみなさま、叔父がお世話になりました。
心より感謝申し上げます。
歌一首立ち上げておく亡きひとの輪郭褪せてしまはぬやうに

