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第59回久留米短歌大会  藤野早苗

 528日日曜日、第59回久留米短歌大会にお邪魔しました。選者と講師ということで、私がお引き受けしていいものか……と躊躇いながら、でもせっかくお声をかけていただいたのだから、ここはひとつ頑張ってみるか、と心を決めた次第です。この日のお仕事については、私自身反省することがたくさんあるのですが、今日はそのあたりのことは一旦スルーさせていただいて(笑)、短歌の行く末について考えたことを少々書いておこうと思います。


 59回という回数からわかるように、こちら久留米短歌大会は長い歴史のある大会です。久留米は福岡県の中でも特に文化を重んじる土壌があり、その中で短歌という文芸も手篤く継承されて来ました。それはこの大会の運営組織のみなさまの温かいホスピタリティに触れればすぐにわかること。昨年10月に今回のお話をいただいて以降、折に触れて丁寧なご連絡をいただき、本当に助かりました。そして大会当日も、会場を訪れた途端、温かい笑顔とねぎらいのお言葉でお迎えいただき、本当にほっとしました。打ち合わせをしながらのお弁当も実に美味しかった。運営チームの連携も流れるように素晴らしく、阿吽の呼吸を感じました。


 バックヤードのチームワークもさる事ながら、大会そのものもご来場いただいたみなさま、長年この大会に関わっていらした方々で、本当に久留米を、またこの地で育まれた短歌を愛していらっしゃることがひしひしと伝わり、ちょっと泣きそうになりました。


 そんなことを感じながら、ふと思ったのです。「これはこれでとても美しい世界じゃないのだろうか」って。


 昨シーズンの朝ドラの影響もあり、今世間では短歌ブームが言挙げされることしきりです。でも、実際のところ、どうでしょう。あー、今短歌来てるねー、よかったあ! そうお思いの方、どのくらいいらっしゃるでしょうか。おそらく……ですけど、当ブログをお読みくださっている方々でそういうことを実感されている方は少数派なのではないかと思います。なぜなら、その「短歌ブーム」のボリューム層は〈SNS〉世代だからです。Twitterやインスタ、TikTokなどのSNSツールを使っての短歌コミュニティの活発な動きが、現況の短歌ブームを支えています。こうした短歌クラスタ(コスモスでは、娘イチオシのオクムラさんがこのクラスタの雄ですね)を時々覗いてみると、私たちが常々「短歌」と認識しているものとはかなりの隔たりのある世界が広がっています。


 BL(ボーイズラブ)短歌、回文短歌、ChatGPT短歌……、それはそれは広大な裾野に凄まじいスピードで新作短歌が、ありとあらゆる手法で詠まれ、発表されています。「せっかく短歌ブーム(俵万智登場時以来30年ぶり)が来たのだから、この際若年層を取り込んで……」と考えたくなるのも当然ではありますが、こういう現状認識なしにそう考えるのはかなり危険です。従来の結社型短歌と現在のSNS短歌ではそもそもの発生起源が異なるのだと割り切った方がいいのではないかと思うのです。


 結社に所属するメリットについては今更申し上げる必要もないと思いますが、その一番の魅力、「人間関係の中で育まれていく作歌力」に、実は若い世代はあまり興味がないようです。いや、人間関係に対する考え方が異なっていると言った方がいいかもしれません。コロナ禍の影響も大きいのかもしれませんが、若い世代にとっては、リアルなコミュニケーションは重荷であることが多い。オンラインや、各種アプリによるバーチャル空間でのやりとりで十分だし、実際に対面しては言えない(優しい世代ですからね)ことも、目にも止まらぬタイピング能力や音声入力ソフトを駆使したコミュ力できちんと思いを伝えることが可能なようです。


 そんなことでは歌は上手くならないし、長く続けることも難しいのではないか?


 そうですね、そうかもしれません。でも楽しければ自ずと作歌は継続するものだし、そもそも上手い上手くないを判じる基準ってなんだろう? 究極、誰からも評価されなくても詠み続けていられるのであれば、それで本人は幸せだし、そういう形の短歌愛好者はこの世界に存在し続けるわけです。


 従来の「短歌」界の存続のために、現在の短歌ブームに乗っかって若い世代を取り込もうというのは、厳しい言い方だけれど、安易にすぎると思うし、そんなマリアージュは(あえてこう言いますが)旧世代にとってもいいことではないように思うのです。今回の久留米短歌大会、参加者のみなさまも、運営組織のみなさまも終始笑顔でとても楽しそうでした。どこの結社も、地方の短歌大会もそうですが、かつて「青春の文学」と称された短歌が「老人の文学」と呼ばれるようになって(つまり短歌の青春時代を支えていた世代がそのまま加齢したということですね)、結社加盟者数、大会参加者数は減少の一途を辿っています。これは大変残念なことですが、もう抗いがたい事実です。掌中に収まるスマホで万事網羅できる時代から、地面に木の棒で文字以前の何かを書いていた時代に戻れるか……。とても厳しくて残酷なことを言うようですが、私たち世代が望んでいる「短歌再生」はそういうことに近いような気がするのです。


 継承の形はどうでもいいのではないか。実は私はそう思っています。短歌の滅びを心配される向きもあり、それは本当に大事な慮りだと思うけれど、あらためて考えると滅びるのは多分、短歌ではなく、それを取り巻いていた旧来型のシステムですよね。藤原定家の御子左家、近世和歌のただごとうた……その時代時代に勃興した和歌のニューウェーブは常にその時代と確執を生みながら、しかし、和歌史・短歌史を俯瞰すると、そういう事態をカンフル剤にして、歌は再生していったような気がします。短歌はそう簡単に滅んだりはしません。1500年の歴史を持つ強靭な生命体なのです。


 それぞれの年代で、自分の生きる速度や方法にあった形で短歌に関わり続ければそれでいいんじゃないか。久留米のみなさまの幸せそうな笑顔に触れてそう思ったことでした。みなさま、楽しい時間をありがとうございました。またお会いできますように。



  入梅のまぢかき街の午後七時落暉かがよふうつくしきかな


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Commented by minaminouozafk at 2023-05-31 07:05
アットホームな温かみのある大会でした。旧知の方ともお会いできる貴重な場ですね。
状況を受け入れつつ、出来る範囲での継承。大事なことだと思いました。E.
by minaminouozafk | 2023-05-30 11:10 | 歌会・大会覚書 | Comments(1)