2023年 05月 29日
烽 とぶひ 百留ななみ
SNSであっという間に世界中に情報がひろがるようになってから、それほどは経っていない。固定電話はあたりまえの時代に育ったが、一世代前はまだ手紙の時代だったはずだ。郵便制度は一円切手でおなじみの前島密氏によって明治時代のはじめにスタートした。ようやく150年。江戸時代までは飛脚。人馬がリレーして運ぶのだから、ほんとうに必要なものに限られていたと思う。

今はウクライナが攻撃されたことも世界中のどこにいてもパソコンがあれば知ることができる。むかしから戦いを繰り返している人間。白村江の戦いに敗れた日本は敵の攻撃を防ぐために水城もつくった。その攻撃をいち早く伝えるために約20キロごとの山頂で狼煙をあげて、リレーで伝えたという。狼煙をあげる見晴らしのよい火の山は日本各地にある。

下関の火の山のそのひとつ。狼煙は雨だと見えない。そのときは人が駆けて伝えるからあまり高い山ではない方がいいのかもしれない。海に近い独立峰が向いている。緑の美しい5月、ロープ―ウェイの山麓駅に車を停めて歩いて登ってみた。遊歩道がつづいているとネットで確認したのだか出会ったのは3人ほど。木漏れ日の山道で気持ちいい。30分ちょっとで山頂に到着。

山麓駅あたりはチューリップ園や花見で数年まえに来たがやはり200m以上の違いは大きい。360度の大パノラマ。海峡はゆったりと流れる大河だ。左手には長府の満珠・干珠、目の前は関門橋、ちょっと右は巌流島。門司の風師山。ぐるっと右は彦島そして響灘。先日、上陸した六連島も。

たしかに烽〈とぶひ〉にぴったりの山頂。平安時代にも狼煙があげられ、室町時代には山城があったという。江戸期はもちろん狼煙場。明治維新では連合艦隊に向けての砲台。そして明治になって本格的に下関要塞として砲台はもちろん観測所や指令室、弾薬庫も設置された。太平洋戦争後まで立ち入り禁止の重要な軍事拠点だった。以前に山頂に行ったときも防空壕のあとみたいなのが遺っているとは思っていたが、あえて近づかなかった。

最近その遺跡も整備されたとも耳にしていた。昨年登った対岸の矢筈山にも明治時代の要塞あとがキャンプ場になっていた。半地下での緊張状態。当時の連絡手段は限られていただろう。

山頂の展望台近くには以前に見たように第3砲台跡があった。新しく解説の載った看板がある。なかはベンチがあり休憩所、これは以前と一緒。

新しい看板を見ると第4砲台まである。ちょっと奥まですすむ。砲座はもちろん観測所、指令室、弾薬庫も残っている。

半地下の指令室と思われる部屋に降りる。左右から日差しが入る。

生々しい気配。ゲームだはないのだ。ここで本気でこの国のことを考え亡くなった人。ずっとむかしにこの頂上で狼煙をあげた人。そして子孫である今のわれわれ。いろいろな思いが交錯。近くで公園の掃除をしてくださっている方がいるのは心強い。あたりまえの日々が続くこと…関門海峡は汽笛をながく引きながら大きな船が行き交っている。

要塞の跡に佇つわれ戦争はバーチャルではなく殺めたること

