2023年 02月 06日
きさらぎ 百留ななみ
立春が過ぎて陽ざしがやわらかくなった。一年でもっとも美しいひかりだと思う。裸木の梢がきらきらとその枝に陽ざしを呼んでいる青空。
きさらぎの透きとおるような響き。さ行、か行、そして母音がイ音ア音のせいもあるだろう。
睦月から師走まで旧暦の月名はそれぞれあるが、月がつかないのはきさらぎ、弥生、師走。しかし漢字で書くときさらぎは如月。なんとなく不思議に思っていた。
針の穴ひとつ通してきさらぎの梅咲く空にぬけてゆかまし
馬場あき子
きさらぎの空をながめるとこの歌を思い出す。針穴のむこうにある清新な何か。私自身もスルッと銀色の針の穴をくぐってゆきたいと思う、梅ひらくきさらぎの空。そろそろ梅のつぼみもほつほつ開いている。
願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ
西行
きさらぎというと西行のこの歌だろう。西行が亡くなる前年に詠まれたもので、1190年のきさらぎの望月は3月30日らしい。まさに桜花の爛漫なるころ。旧暦では閏月があるのでその年によって少し異なるが、だいたい一か月遅れの新暦の三月。
たしか令和の年号が決まったときに、そのもととなった万葉集の梅花の宴の序が紹介された。「初春の令月にして気淑く風和らぎ……」からの令和。令月は二月の異称でもあるが、令には清らかで美しい、良いの意味がある。
きさらぎは西行が使っているのでたぶん古今集でも使われているのだろう。少しだけ調べてみると
かざしをる道ゆき人の袂までさくらににほふきさらぎのそら
藤原定家
満開のさくらを見上げる都人。その美しい重ねの袂まで匂いたつような如月の青い空。やはり西行と同じくきさらぎに桜花は咲く。
年の内のきさらぎやよひほどもなく慣れても慣れぬ花のおもかげ
藤原定家
この歌もながれるようなリズムで美しい桜、そのおもかげにだれかを重ねているのだろう。二句のきさらぎやよひもさすが定家と思ってしまう。
宿ごとに心ぞみゆるまどゐする花のみやこの弥生きさらぎ
藤原定家
この作品では弥生きさらぎと順番が逆になっている。いずれにしても、きさらぎ、やよひともに桜の咲くころ。
わぎもこが衣きさらぎ風寒みありしにまさるここちかもする
曾禰好忠
いとしいあなたが衣を重ね着する如月。きさらぎは掛詞になっているのだろう。
きさらぎは衣更着という説が有力らしい。
裸にはまだ衣更着の嵐哉
松尾芭蕉
この句は伊勢神宮に如月に参ったときに、衣服を脱いでもの乞いに与えた僧の話を聞いての作らしい。裸になるにはまだ衣服を更に着たくなる寒風です…やはり掛詞だ。
中国では如月が二月。その読みがいつ「きさらぎ」となったのだろうか。万葉集には見当たらないようだが、詞書などはどうだろう。きさらぎの美しいひびきは定家のころからは歌に使われていたようだ。新暦の衣更着はまだまだ重ね着が必要だが、かぎりなく清新な陽ざしはやさしい。