2023年 01月 25日
「海港」№96 有川知津子
「海港」はコスモス短歌会長崎支部の支部報です。支部長は立石千代女さん。昨年末に届いていました。お送りくださりありがとうございます。
本号は、江頭洋子歌集『さくら変奏曲』の出版記念特集号として編まれています。『さくら変奏曲』について(昨年4月22日)、また『さくら変奏曲』のご受賞について(昨年12月9日)は、すでに大野英子さんよりご紹介がありました。
『さくら変奏曲』を手にしたとき、「変奏曲」という語句の選択に、深く納得したことでした。交響曲でもなく協奏曲でもなく奏鳴曲でもなく、変奏曲。これまでこの著者の歌を読んできた私には、なるほどなあ、そうだよねえ、という感じです。あらためまして、ご上梓ご受賞、おめでとうございます。
ここでは、二十九名の会員の歌を、巻頭の二十詠から三首、十首詠(五首詠)から一首ずつご紹介します。
【巻頭詠】
墓参りに共に来たれば三回もありがたうねと繰り返す義父 草場里見
新聞にわれの投稿載りし日は義父より届く祝ひのメール
久留米へとJターンせし娘を訪ね夕餉にいたく酔ひたりわれは
(掲出の一首目からは、思うだけでなく行動し、言葉にする「私」と「義父」の関係が思われてあたたかい気持ちになりました。二首目も同様です。タイトルは「娘のJターン」。掲出の三首目が、表題歌です。「いたく酔ひたりわれは」の句に「娘」が近くに戻った喜びがあふれています)
【自由詠の部】
還暦にアイゼンつけて八ヶ岳によくぞ登れた今はなつかし 的野房子
(「加齢」というタイトルです。今は「八十路」とほかの歌から分かります。「よくぞ」の語句に実感が籠もります。還暦の八ヶ岳体験という大きな体験が、まっすぐ〈今〉に繋がっています)
玄関のオオタニワタリ根をはりて主のごとく大手をひろぐ 溝添和美
(オオタニワタリの名前に由来する存在感が圧倒的です。その場所が、家の顔でもある玄関というのですから、存在感はなおさらでしょう)
わが家より眼下に望む貯水池に小鷺飛び来て秋の足音 山内尚宗
(小鷺の飛来に秋を感じているようです。長崎市の平地の少ない独特なすり鉢状の地形を、さりげなく歌に描いています)
ひと晩を帰らぬ猫を呼びたれば朝のかわいた側溝に死す 山浦道子
(「呼びたれば」のあとに、感情の墜落というべき衝撃の一瞬があったと読みました。死の発見者の衝撃が調べに託されています)
西坂の丘にのぞめる海港は茂吉の歌のごとくにびいろ 山本辰雄
(長崎は茂吉が赴任した地。長崎時代の歌もまとまって残されています。掲出歌は、そういえば茂吉の歌にもあったなあ、という思いでしょうか)
一生の宝となりぬウィーンにて「蝶々夫人」をコーラスせしこと 吉田光子
(人生の年表の輝かしい一条が、歌になりました)
子と暮らし始むあ・うんの呼吸にはまだまだ遠し気長に待たん 大野圭子
(上句のリズムが、双方の呼吸のぎごちなさとして、歌の内容にふさわしく感じられます)
ブルージュは石だたみ道荷を運ぶ馬蹄の音の朗らにひびく 垣野幸一
(「ブルージュの街」というタイトルの一連です。掲出歌はその第一首。石畳をゆく荷馬車の音が、連作をひらく歌としてふさわしく思われます)
〈長崎県歴史文化協会古文書会〉前人未読の文書を読みき 久保美洋子
(「越中哲也先生」というタイトルの一連です。歴史家の越中哲也さんは、一昨年亡くなりました。古文書会で身近に接した者の立場から、敬愛と哀悼の念が捧げられています。その業績はこれから整理されていくことでしょう)
健康というには遠いわれなれど夕餉のための南瓜を切りぬ 酒井恵子
(退院後の生活を詠んだ歌です。切るのに手力のいる南瓜という素材が、内容にふさわしく、結句が一首を引き締めています)
タンチョウヅルの一家になりて気球より地球を眺む釧路湿原 坂井寿々子
(気球に乗ってタンチョウヅルの群れとともに飛んでいる構図でしょうか。「地球を眺む」という大きな語句の使い方からそのときの高揚感が伝わってきます)
気の晴れぬ日の続くなか藤の花うすむらさきの仄かにゆるる 酒井澄代
(「気の晴れ」ない感じを絵に描くとどうなるでしょうか。藤の薄紫の花が風にゆれてぼんやりとけぶる風景――、そう思わせる歌です)
庭先のトマトの脇芽欠きをればいぢわる燕糞し飛び去る 島﨑日曻
(短歌において、「燕」がこのような角度(意地悪とか、糞とか)から詠まれたことがあったでしょうか。「まり」という古語の使用には、「いぢわる燕」を楽しく眺めている様子さえ窺われます)
白薔薇の花びら枯れぬ咲ききりて満足したるかろやかさ持ち 田中須美子
(花期を終え枯れた薔薇に充足を見ています。どの瞬間も命を尽くして咲いていた薔薇への頌歌のようです)
梅の木やラッキョ植ゑたるふるさとの土地はゆづりぬ親族の手に 間由美子
(土地を手放す寂しさ、「親族」でよかったという思い、その両方が入りまじる感じでしょうか)
秋くればいくらか気力生まれるやいま充電中しばしお待ちを 福永邦子
(「疲労こんぱい」の夏のようです。周囲の人が何かと心配して声を掛けてくれるのでしょう。身心ともにつらい状況を下句の軽妙な口調で、優しく届けています)
【題詠の部】*題は「平」です。
真っ平だと言い捨て席を立てたならどんなに良いかカンナが揺れる 岩丸幸子
(カンナは、「私」の葛藤を見守っています。カンナの「揺れ」は葛藤する心の揺れでもあるでしょう。題「平」で、「真っ平」は、唯一の例でした)
いま時分黄泉平坂ゆくころかやうやく楽になりたる友よ 江頭洋子
(や行の音の響きがやわらかで、「友」のゆく黄泉平坂の傾斜はなだらかであろうと想像されました。「やうやく」の語には、二人の間柄の深さも示唆されています)
食器棚に敷く新聞紙ひつこしの平成十四年四月七日のまま 黒田邦子
(20年前の新聞紙。時間の経つのはあっというま、そういう感慨を詠んだものでしょう。「私」の生活史の節目の日が詠み込まれ、大事な歌です)
コロナゆゑ外出などもままならずでも平気なの「うた」があるから 佐藤英子
(上句の重々しい文語に対して、下句は軽やかに口語で収めました。表情の変化が見えるようです)
弁当を親子三人で食べるにも平らな場所のなき大崩山 嶋田千代子
(大崩山は、オオクエヤマと読みます。九州を代表する岩峰の魅力を、「親子三人」との対比で詠みました。実体験が題詠という場を得て、歌としての命を得ました)
平らけく安らかなる京めざしけむ若からざりし桓武天皇 立石千代女
(平安京の称に込められた祈りを思い、その京をひらいた天皇の年齢に思いをいたしています。「若からざりし」の発見が歌の奥行きとなっています)
相方が左と明言せしあとは右と言はない 泰平泰平 福盛静夫
(「相方」にもいろいろありますが、ここは当然のように夫婦として読んでしまいました。軽やかな口調から信頼関係で結ばれた夫婦像が想像されたからでした)
水平にひだりて伸ばす記念像西望翁のねがひを託す 前田泰隆
(北村西望作の長崎平和記念像が詠まれています。今の世界情勢を思うと「ねがひ」を思わずにいられなかったのでしょう。記念像の水平に伸ばした左手は、「平和」の想い、天を指す右手は「原爆の脅威」を表わしています)
たいらー、と息子を呼ぶと平らかな気持ちになれる、たいらーたいらー 松井恵子
(「息子」の名は「平」と書く「たいら」です。ここまで手放しにのびのびと息子の名前を詠み込んだ歌があったでしょうか)
弟の名前はなんで平なのか知らないけれどなんかいい名前 松井奏
(作者は、「たいらー」と呼ばれた平くんの兄。「なんかいい名前」と直観しています。「な」の音がうねうねと出てきて楽しい歌)
平凡の平ですという説明で息子の名前を医者に伝える 松井竜也
(作者は、「たいらー」と呼ばれた平くんの父。「平凡の平」。これなら聞き返されることはないでしょう。歌の平くんとともに、家族の揃う一冊となりました)
安房郡の平群村にて吾は生れき昭和二十三年の春に 安田博行
(題の「平」が、自身のルーツを振り返る契機となったかと思われる一連です。掲出歌はその第一首。古事記にも登場する地名が一首に重みを加えています)
今日も寒さが厳しいようです。離島便は欠航しています。今日、港には多くの船が停泊し、沖に錨をおろしていることでしょう。みなさまに怪我のない一日でありますように。
ベランダに雪がきてをり硬質のつばさの生えたやうなる雪が
言葉足らずの文章を読んでくださりありがとうございます。「海港」、いつも楽しくしみじみと拝読しています。秋の長崎へ、心が誘われています! ありがとうございます。有川知津子