2022年 07月 18日
歌を詠む武士 百留ななみ
長府功山寺の前に数年前に建て替えられた下関市立歴史博物館。

小さな企画展を開催していると時々近くなのでのぞいてみる。このたびは「歌を詠む武士」というタイトルが気になって立ち寄ってみた。
小さな博物館で企画展といっても一室のみ。大内氏、毛利氏に関する歌の資料が中心に集められていた。いつもの散歩コースの忌宮神社に奉納された足利氏の和歌は興味深かった。武士たちは戦いの勝利祈願のために神社に和歌を奉納したようだ。
この御代は西の海よりおさまりて四方にはあらき波風もなし
いにしへの二の珠の光こそくもらぬ神のこころなりけり 足利尊氏
九州に落ち延びる途中そして京都に攻め上るときにも忌宮神社に立ち寄ったらしい。和歌はのちに神願がかなったと奉納。忌宮神社には尊氏の弟の足利直義その養子の足利直冬も和歌を奉納している。

『沙石集』に「世の常の言葉であっても、和歌に用いて思いを述べれば必ず心を動かす」「神仏が和歌を用いるのは、これが真言であるからこそである」などの記述がある。武将たちは、和歌に願いを託して奉納し、神仏に祈ることによって願いをかなえようとするとともに、願いがかなった際には、和歌を奉納して神仏の助力に感謝していたのである。とパンフレットのコラムにもある。
西の京とよばれた山口での大内文化。大内氏の和歌のエピソードの展示もおもしろい。
かくばかり遠きあづまの富士の嶺を今ぞみやこの雪のあけぼの 大内義興
祖父も父も亡くなったあとの従三位の昇進だったが、大内義興はこの和歌で従三位を生前にもらったとある。この和歌に公家たちは唱和して、後柏原天皇は自詠の和歌を下賜している。そのことも従三位の理由ではあっただろうが、やはり強力な軍事力によるものが大きかったようだ。武将たちも軍事力だけではなく教養として和歌を詠みたかったのだろう。

それはのちの毛利氏も同様で毛利元就はすぐれた歌人を排出した大江氏の末裔であることをアピールしている。長府毛利家にも多くの手鑑がつくられて今も短冊に書かれたものも多く残っている。先人たちの作った和歌を参考にしながら自らの和歌を作っている様子を想像してしまう。

ちょうど地元の新聞の取材の記者に学芸員の方が説明されていた。たしかに忌宮神社や住吉神社などの神主さんたちは和歌をよむことを積極的にされていたと思う。武士たちも和歌を作りたかったが、それに専念することはできない。だから添削や指導をする人たちがいたのではないか。との声が聞こえてきた。
蒸し暑いこの季節。散歩の途中に小さな博物館の静かな館内で武将たちの時代を思いめぐらすのも楽しい。

もののふが手鑑ながめつくりたる三十一文字に朱入れる人あり
「和歌に用いて思いを述べれば必ず心を動かす」心に置いて作歌に励まねば~。E.

