2022年 01月 27日
狐につ(*)まれたような 鈴木千登世
「眉をひそめる」を「眉をしかめる」、「的を射る」を「的を得る」など、ことわざや慣用句をほんの少し間違って憶えていたり、言い間違ってしまったりすることがある。
そんな中で間違っているにもかかわらず、ほほえましく思ってしまった言葉に「狐につつまれたような」がある。正しくは「つままれた」なのだけれど、「狐につつまれた」の、ふかふかの狐の毛に包まれて「化かされ」てしまうというイメージも捨てがたく思うのだ。
ところで、そんな狐に「つつまれたような」出来事があった。
先週の早朝ウォーキングの時のこと、見慣れたいつもの風景なのに何かおかしい……。よく見ると目の前の山の向こうに高く霞んだ山影が浮かんでいる。

写真の中央から左のあたり、山の上に白い雲がかかって、その上に山が覗いているように見えた。写真では遠くに小さく見えるけれど、実際はもっと大きく迫って見えていた。
でも、このあたりにこんな高い山あった……?
拡大すると……。

こちらは、昨日の夕方に撮った写真。山の上はずっと上まで青空。
雲を山と見間違ってしまったのだろうか。目を凝らして何度も確かめたんだけれど、やっぱり山に見えた。まさか蜃気楼?
写真を見比べながら、夢を見たようなもやもやとした不思議な気持ちを抱いている。
見えてゐるものはまやかしくすくすと子狐右近が夢にささやく

いつもの堤では鴨たちが70羽くらい越冬中
『水の自画像』にも太宰治の誤用の〈貧すれば貪す〉の面白さを詠んだ歌がありましたね。〈狐につつまれた〉もイケるかも~。E.