2021年 05月 05日
「コスモス千葉通信」162号 有川知津子
「コスモス千葉通信」が届きました。「コスモス千葉通信」は、千葉支部の支部報です。発行所は、朝比奈美子さん方。
この162号は、昨年の11月に逝去なさった秋山和子さんの追悼に紙幅が多く捧げられています。秋山さんを慕うみなさんの気持ちに彩られた一冊です。
巻頭は、秋山和子「希望のあかり」(12首)。終わりの二首をご紹介します。
歌詠めば心のうちより湧き出づるよろこびありて病む身忘るる
(「しん」のルビに立ち止まりました。「真」「身」……、いろんなシンが浮かびます。)
父のみの父の好みし扇形のそのインク壺手にのせてをり
(お父様のインク壺の重みをしっとりと手のひらに受けている様子が思い浮かびます。記憶のなかに静かにおりてゆく趣です。秋山さんが『父のインク壺』というタイトルの歌集を出されたのは、2019年でした。)
本号のなかほどには、朝比奈美子さんによる秋山さんの作品抄(20首)があります。一首目には、『父のインク壺』より次の歌が引かれています。
ペン書きの父の文字なり代赭色の写真の裏の「和子一歳」
そして二十首目には、「コスモス」(令和2年10月号)掲載の次の歌が抄されています。
母の家の飛驒の肘かけ椅子二脚修復なりてわが居間に置く
朝比奈さんは、はじめに父に思いを寄せた歌を、終わりに母に思いを寄せた歌を選ばれました。追悼文の中で、朝比奈さんはその死が信じられないと記し、続けて、「「あーら、皆さん。コロナ禍の間どうしていらしたのー。お久しぶりですわねえ。」などとあの晴れやかな声でおっしゃりながら、真赤なスカーフを首に巻いて颯爽と歌会にあらわれるお姿が、はっきり目に浮かんできてしまう」としたためています。
秋山さんを知る歌の仲間はみなさん朝比奈さんの文章に頷いているのではないでしょうか。
朝比奈さんのほか、17名の会員が文章を寄せ、それぞれに秋山さんを偲んでいます。
黒岡美江子さんは、好きな歌のひとつに「ガラス張りのエレベーターに海のぞみ気泡のごとくわれ上昇す」(秋山和子)をあげ、秋山さんが〈手のモデル〉をしていたことなども語っています。
大西淳子さんは、当ブログの大野英子さん執筆の『父のインク壺』の記事(2019年12月20日)に触れながら、秋山さんとの細やかな交流を記しています。
尾崎潤子さんは、秋山さんから「あの歌よかった」と電話をもらったときのことを綴っています。「あの歌」とは、尾崎さんが支部歌会に出した歌ですが、実はその会に秋山さんはお出でになれなかったそうです。
会員の作品のなかにも秋山さんを思う歌が見られます。いくつかご紹介します。
悔いとふはのち分かるもの悔いいとほし秋山さんの〈死〉が気付かせる 風間博夫
千葉支部の会計事務をこまごまと教へくれにき秋山和子さん 伊沢玲
千葉歌会の選評届く 懸命に書きしかあなたの文字にまた泣く 能勢玉枝
コンサート夜なれば夫君とむつまじく来ませり年々嬉しく迎ふ 松田佐津子
もう一つ。
秋山さんが通っていた市川短歌教室の講師・奥村晃作さんが寄せた歌をご紹介しましょう。
秋山にいきなり登行せしキミを 和子さんを追へど追ひ付き難し 奥村晃作
「コスモス千葉通信」162号をお送りくださりありがとうございました。
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むらさきの太陽昇り岩の間にうすむらさきのすみれはひらく
秋山さんのお譲さま幸子さんがコスモスに入会されたことは喜ばしいことです。
追悼特集号、歌の縁のゆかしさをあらためて感じました。S.