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大口玲子歌集『自由』   藤野早苗

 『自由』は大口玲子さん(「心の花」所属)の第7歌集。2018年春から2020年秋までに発表された作品から408首が収録されている。

 もうすでに各方面で話題になっている歌集なので、私があらためて書けることもないような気がするのだが、私の個人的な事情から、どうしても書いておきたいと思うことがあり、拙い感想を述べさせていただくことにする。

 歌人で、母で、キリスト者で、活動家。

 本歌集から浮かぶ大口さんのプロフィールはこんな感じだろうか。これら属性が時に折り合い悪く存在していることが、大口玲子という歌人の歌作の源であり魅力であろう。常人を凌ぐ知性を有しながら、でも大口作品のある種の危うさはこの属性のアンバランスさにある。

・もうみんなわかつたはずの本当は「あり得ることは、起こる」といふこと(P.33)

 大口さんは「川内原子力発電所操業差止訴訟」の原告である。その背景にはもちろん、2011年3月11日の東日本大震災、福島原子力発電所事故の被災者という事実がある。2018年、都城市民であった大口さんは、鹿児島地裁で意見陳述書を読み上げ、自身の被災体験から原発の危険性を告発する。

 当社は、原告が主張するような重大な事故の具体的危険性は無いため、原告の請求の棄却を求めております」(九州電力ホームページ)
・丁寧に書かれてあればわれもまたしづかに寒く陳述すべし(P.30)

 もう本当はみんなわかっていることを、さまざまな利害関係から未だ不知のこととしてやり過ごそうとする権力に対し、「しづかに寒く」戦い続ける活動家大口玲子。

・鳥も歌人も居ない真昼の法廷に『鳥の見しもの』の一首読み上ぐ(P.31)

 その活動を支える歌があること、そのことがとても温かくてうれしい。

・「お母さん、声がおどおどしてゐた」と寝てゐたはずの子が指摘せり(P.34)

 大口さんは鹿児島地裁に息子さんを同伴されたようだ。鋭いお子さんである。この息子さん、実は本歌集の主人公であると私は思っている。装幀、カバーの絵がレオナルド・ダ・ヴィンチの「Head and shoulders of a naked child」であることからも、それは推して知るべし。この息子さんの存在が、先の四属性のバランスが危うげな作者のバランサーになっている感がたまらない。「寝てゐたはずの子」は、実は誰よりも母を案ずる最高のバディなのである。

・「今日は帰ります」と教頭に言ひて帰る息子あつぱれと内心思ふ(P.91)
・湯につかりメロンパン食べ麦茶飲む息子の至福を時々のぞく(P.92)
・死者も来てをらむ長崎の球場に教皇ミサの開始を待てり(P.96)

 息子さんとの生活の一端が詠まれた作品を引いた。2019年の教皇フランチェスコ長崎来訪の際には親子で球場へ赴かれたようだ。子どもは環境に育てられる。親が意識しているか否かに関わらず、否み難くその置かれた環境に大きく影響されてしまうのだ。

 私は娘が不登校当事者だったことから、三年前、不登校当事者およびそのご家族を支援する「咲くふぁ福岡」というボランティアグループを立ち上げ活動を続けている。そちらでも毎日更新中のブログ「アガパンサス日記(ダイアリー)」に、先日「200年前の教育システム」と題した所与性ガチガチの、注入主義、主知主義そのままの日本の公教育について書いた。「大量の均質な近代的労働者の養成あるいは規格化された社会制度へ適応可能な人材の育成」、これは現況、望まれる人材の真逆のベクトルの教育方針であり、それと折り合いのつかないことを問題視する必要はないのではないか、と私は常々考えているという内容の一文である。

・教室へ行かず図書室で読書する息子に付き添ひ『歓待』を読む(P.121)
・読むべき本すでに読みつと子は言ひて図書室登校やめてしまへり(P.123)
・学校の廊下の壁に銀色のさすまた冷えて吊られてゐたり(P.125)
・リコーダーも持つて帰ると子は決めて「さびしい時に吹くから」と言ふ(P.125)
・帰りぎは校長室に顔出して子は深々と頭下げたり(P.126)
・学校においでとひとことも言はぬ校長遠慮がちに礼せり(P.126)

 そんな私にとって、歌集名の由来となった「自由」一連は圧巻であった。3首目の壁のさすまた。なぜそんなものが学校に必要なのか。そこにある思想性を見逃さない作者。そんな空間とさびしい時にリコーダーを吹く子どもの折り合いがいいはずはない。5首目、6首目のやりとりでもう万事休す。「深々と頭下げ」る子どもに対し、温かな声もかけず、ただ「遠慮がちに礼」するだけの校長。

・学校には自由がないと子が言へり卵かけご飯かきまぜながら(P.123)
・学校に行かない自由に揺れてをり川辺に群るる菜の花の黄(きい)(P.130)
・学校に行かなくてよいが勉強はすべしと思ふ 自由のために(P.124)

 自分の生活に、今の学校は必要ではない、そういう判断を下すことも「自由」。でも、その「自由」を得るには学びは必要。その間で揺れる母としての心情が切ない。

 私事になるが、7年前、第二歌集『王の夢』を出した際、大口さんに歌集評をお願いした。この歌集は巻末約50首が娘の不登校に関わる作品で、その時の混沌を客観視するために出したような歌集であった。大口さんの評はそんな私にとても心を寄せて書いてくださっていて、当時の私はとても慰められた記憶がある。

 そんな大口さんが昨年、私たちの「咲くふぁ福岡」の活動をネットで見つけてくださり、「『王の夢』評には当事者意識が希薄でした」といった内容のDMをくださったのには驚いた。全くそんなことはなかったのに。そのどこまでも誠実な人間性を深く深く尊敬しながら、ああ、この人は本当にこの世知辛い現実と折り合いがつき辛いだろうなあと、まこと老婆心ながら考えてしまうのであった。

・食用と観賞用を区切る石 鯉はそれぞれの生を泳げり(P.77)

 同じ水の中に生きながら、両者の辿る運命は全く違う。どちらにせよそこに「自由」はないのだけれど、それと知らず、さらに搾取されつづける鯉に大口さんが見たものを思う。私たちとこの鯉を分かつものは何なのか。いや、そんなものはないのかもしれない。むしろそれを放棄しているのは私たち自身であるのかもしれない。痛烈な一首である。

・ドイツの神学者であるディートリッヒ・ボンヘッファーが、逮捕され、刑務所や地下牢や強制収容所での生活を強いられながらなお自由であり続けたこと、その苦しみと喜びに思いをめぐらせつつ、「自由」というタイトルを選びました。(あとがき)

 そのボンヘッファーの詩の一節も大口さんはあとがきに引用している。

・観念への逃避ではなく、ただ行為の中にのみ自由はある
             (「自由への途上における宿駅」ボンヘッファー)

 歌人であり、母であり、キリスト者であり、活動家。
 真摯で誠実でありすぎるがために、常人よりも多くの痛みを負ってしまう大口玲子さん。行動を続けるその背中を応援したい。そんな大口さんが愛してやまない息子さんにいつか会えれば嬉しいと思っている。最後に大好きな一首を上げる。

・子の短歌(うた)に子のさびしさは歌はれて母として読めばさびしくなりぬ(P.93)


 
   老哲のごとき眼差 ダ・ヴィンチの描くみどりごその横顔の


大口玲子歌集『自由』   藤野早苗_f0371014_10370766.jpg





 


Commented by 大口玲子 at 2021-01-26 22:18 x
藤野様 ぐいぐいと引き込まれて読みました。身にあまる歌集評ありがとうございました。もろもろが落ち着きましたら福岡に伺いたいです。
Commented by minaminouozafk at 2021-01-26 23:01
早苗さんだからこそ共有出来る思いと共に、大口さんのキリスト者としての祈りや葛藤が伝わってくる評でした。
大口さんの第一歌集から、じっくり読んでみたくなりました。E.
Commented by sacfa2018 at 2021-01-26 23:07
玲子さん、コメントありがとうございます。力のある歌集でした。じっくり読ませていただきました。玲子さんの作品を読むと、日本の現状がはっきり見えてきます。学ばねば、とあらためて思いました。S.
Commented by minaminouozafk at 2021-01-29 12:53
早苗さんだからそほの読みがとても興味深かったです。多くの歌集それぞれにこめられた思いをしっかりと読みたいと思います。Y.
Commented by minaminouozafk at 2021-01-29 13:21
ぐいぐいと迫ってくる作品に圧倒されながら読みました。改めて、しっかりと読みたい歌集です。Cs
Commented by minaminouozafk at 2021-01-30 22:24
歌人で、母で、キリスト者で、活動家。(中略)これら属性がときに居り合い悪く存在していることが~」その通りだと早苗さんの筆には説得力がありますね。大口玲子さんの歌に心を揺さぶられます。A
Commented by minaminouozafk at 2021-01-31 15:47
ご紹介ありがとうございます。本当に真摯で誠実であればあるほど痛みを負う時代です。自由とは改めて考えています。いきいきした言葉でせまってくる作品たち。とても共感しました。N.
by minaminouozafk | 2021-01-26 10:37 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)