2021年 01月 22日
藤島秀憲歌集『オナカシロコ』 大野英子
ご紹介が大変遅くなりましたが、この一冊は、みなさまおなじみの、ふらんす堂短歌日記2019年に発表された藤島氏の第四歌集であり、初のエッセイ集です。
これまで発表されてきた短歌日記は、毎日一首の作品に、その日の出来事が簡単に添えられる形式だったのですが、藤島氏はエッセイ主体で、作品も関連付けられたものではなく(たまに、関連したものもありますが)独立した一首ですので、二度美味しい、アーモンドグリコ方式の一冊なのです。
まずは題名の「オナカシロコ」に目が行きます。
短歌日記は毎年、美しい装丁のイラストも楽しみですが、今回も金箔押し一筆書き風の猫の横顔でピンと来たとおり、帯の背にも「オナカシロコは町に住む猫です」と書かれ、折々作品にもエッセイにも登場する、猫好きあるあるらしいほのぼのしさです。
ただの猫好きで終らない思いが後半吐露されます。
(前略)私も土地に根ざした作品を詠みたいとは思うが、この地に移ってきて三年、まだまだ全然根付いていない。どうし
たら根付くことができるのだろう? 家を買う? どう考えても、二子玉川で家を買うことなんて無理。せめて今は頻繁に
散歩して町を体感する事しかできない。公園でオナカシロコに話しかけたりしながら。
住んでいる場所も丸ごと愛を注いでいるのです。短歌への思いも伝わります。
まず楽しませてくれたのは藤島氏らしいユーモアのセンス。
午後四時から六時までの講座名を担当者から相談された時のお話。なかば冗談で「ハッピーアワーの時間帯ですね」と言ったら採用された。とただの思い付きのように書かれるが、いかにもお得で幸せになれそうな(特にお酒好きには有難くもある)講座名。咄嗟に浮かぶことにセンスが伺われます。
毎週火曜日はNHK学園短歌講座、われわれのお仲間の松尾祥子さんと同僚なのも、なんだか嬉しく、出勤や、他にもさまざまな短歌会や教室の講師を勤められている様子や準備もエッセイに書かれます。
(前略)癖と個性は紙一重だと、添削するたびに思う。癖は直すもの、個性は伸ばすもの、その見極めが難しい。
真摯に取り組む様子、肝に銘じます。
(前略)今日の秀歌鑑賞は小池光さんの新歌集『梨の花』から二十首。読めば、私は大いに感動する。秀歌の条件は感動だ
けでいいのではないかと近ごろ思う。感動という、文学にとって一番大事なことをつい忘れてしまう。
講義用の資料のお話から。今、巷に溢れている短歌の、巧緻に走るあまりに忘れられている「感動」。本当に一番大切なことだと思いつつ、おもむろにスマホに入力している自分の歌を呼びだして……反省。
(前略)あのハガキが届かなかったら、私は短歌をやめていたと思う。一枚のハガキが一人の人生を変えた。
二〇〇五年秋から参加されていた「心の花」インターネット歌会のお話。父上の徘徊が激しくなり、歌会へも参加できず短歌への情熱も薄れていた時に、大野道夫氏から参加のお誘いの葉書が届いたことが書かれる。
藤島短歌のファンである私にもありがたい出来事です。
連載当時、病気療養中の大野道夫氏については第一歌集の原稿を見ていただいた時のエピソードなども書かれ、結社の中で大切な存在であることが折々に伝わって来ました。
やはり、一番印象深かったのは、人生とご両親との思い出をふり返る作品やエピソードです。
(前略)いつ急変するかわからない病人と暮らしていたので、「やるべきことは早くやってしまわなくては」と思ってい
た。だから二人を送って一人になったとき、二十四時間すべてが自分の為に使えることを喜んだ。だが喜びは続かなかっ
た。心の中の空洞が、やけに寒いことに気が付いた。誰かの為に時間を使うことって素晴らしいじゃないかと思った。
(前略)父は文字を書くのが好きだった。自作の短歌をスケッチブックに墨書していて、それが七冊、私の手元にある。
〈最期まで息子を心配しておりし妻よ あいつは頑張っている〉、父の代表作と思っている。客観的に見て、あまり良い歌と
は思えないけど、折々私を励ましてくれる。
短歌を生きがいにしていた父上が、まったく作らなくなったことを見かねてうっかり「短歌をおしえて」と言ったのが短歌を始めたきっかけだったことも記される。辛かった思い出も楽しいエピソードも浄化されてゆくような思いに浸ることができました。
野の鳥の春の食事を準備中木々は花芽をふっくらさせて
照明を消して月光招きたり 浅蜊はすうと砂を吐きたり
快速に乗りたるわれの「あ~」の声 まわりの人は事情を察す
こちらへと鏡の中に招かれる銀の鋏を持ったおとこに
今日は陽をあびて一番うえにある落葉も明日は落葉に敷かる
日常を掬い取った作品から。特徴である平明な言葉選びの中に自然へ注ぐ眼差しは優しく、ものの哀れにも及び、自己諧謔あり、日常のなかのドラマをも感じさせてくれます。
ドーナツはどこから見てもドーナツと思う心を捨ててから 歌
冬の日の電車に揺れる未消化の牛蒡てんぷら蕎麦と第五句
〈四度目の夫の入院〉四度目が夫に掛かると読めば楽しも
短歌についてさりげなく差し出すように詠まれる作品からも熱い思いと楽しむこころが伝わって来ます。ドーナツの歌は座右の銘にしたいなぁ。
作品もエッセイも、優しさとユーモアに溢れ、日常の暮らしぶりからも「精神の健康」というものを感じさせてくれる一冊。それは深い悲しみや寂しさを越えて培われたもののなかから見出されたものなのでしょう。笑い、時に涙ぐみながら、励まされ、心が浄化されるような思いで読み終えました。
作品に、立ち止まり、エッセイに立ち止りしながら、高野公彦氏の誠実さとユーモアに触れるエピソードもあり、何度も読み返して時長く楽しませていただいた一冊です。
(引用文の改行が、何度やり直しても上手くいきません。読み苦しくなっていますことお詫び申し上げます)
冬の夜のわたしを励ますたつぷりととろろをかけた鶏きのこ鍋
お人柄のうかがえるエッセイと短歌ですね。一部だけのご紹介ですが、ほっと気持ちが和みます。オナカシロコにも会いたい。私も注文します!Cs