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水上比呂美第三歌集『青曼珠沙華』(柊書房)  大野英子

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コスモスそして棧橋を経て灯船でのお仲間の水上さんの醸しだす優しく不思議な空気感同様、ほとんど生活臭を感じさせない歌集なのです。多くは出来事ではなく、そこにあるものを詠んで明確に映像として起立した小さな物語に仕立てあげています。

そして言葉に対しても、大きなこだわりを感じさせてくれます。

あとがきに「私のもとに来て、歌の材料になってくれたものたちに対して、愛おしい気持ちでいっぱいです」と書かれる通り、言葉も含めて目にしたものに、限りない愛情を注いでいることが伝わってきます。

まず、明確に映像化する作品に注目をしたて一首ずつ鑑賞させていただきます。

重さうに撓みたる月浮かびをり十月半ばの真夜の中ぞら

季節から、仲秋の名月かもしれません。何も説明せず成熟した月の豊かさを感じさせてくれる比喩です。この一連は巻頭に置かれた「梨食めば」に置かれ、梨の豊かな実りをも伝えてくれ、連作の豊かさも伝えてくれます。

夜の街をびかりとスマホ光らせて若者たちは立ち泳ぎで行く

暗闇の中に青白い液晶に照らされて浮かび上がる若者たち。その色と淡い輪郭の歩みを「立ち泳ぎ」という危うさで捉えています。

白樺はデルフォーの裸女高原に白き素肌を翳らせて立つ

荒涼とした闇の中の裸婦像を多く描くベルギーの画家。そのシュールな画に見立てて、まるで白樺林とリンクして浮かび上がって来ます。

空を飛ぶ恋人たちがゐさうですハロウィンの夜109のそら

一読してシャガールの「空飛ぶ恋人たち」を思う。109といえば毎年ハロウィンの夜は若者でごった返す渋谷の景を、批判するのではなく、その中から空へ浮遊してしまう恋人たちもいるかもしれないという独特な世界へ連れ出してくれます。

朝日射す厨の棚のはちみつ瓶(えん)()()(ごん)の溶けゐるごとし

仏教の経典の中の想像上の金。まるで閻浮樹林を抜けて明るい朝日に照らされるはちみつの中に流れ込んで来るような豊かな世界感です。

一部を紹介しましたが、どの作品も、さすが美術を専攻されて、コスモス、灯船でも似顔絵やイラストでその腕を披露して下さっている水上さん、映像が明確に浮かび想像力をかき立ててくれる作品ばかりです。

そして飛躍大きさ。

ブランデーケーキに恍としづみゐるこけもも・くるみ・いちご・(しき)(やみ)

眠れない人が私を思ふから眠れずにゐる七月()(ぶか)

せんべいの匂ひで自死を()める人あれよ、いなづる製菓ある町

わが死後にわれがすわりてゐるやうなリビングの床の白き陽だまり

桃の底ねまりてゐたりさなぎだにくちびる濡らす堕落の甘さ

マンゴーのひとつひとつに木簡が入つてゐます懸想文、呪符

ケーキに頻闇を見い出したのは、数日間、ブランデーにフルーツ類を漬け込む作業の混然一体となる闇だろうか。単なる「眠れない夜」を誰かが眠れない程私を思っているという楽しい飛躍の二首目。「いなづる製菓」という固有名詞もノスタルジックに、自死する人を救ってくれたらいいなと思うほど、豊かな香しさが漂うような三首目。死んでもここで寛いでいるだろうという陽だまりの温かみ。五首目は古語を効果的に使い桃の甘さを「堕落」と言い切る。マンゴーの平べったい種を木簡に見立てさらに恋文や呪符だろうと違う世界へ誘う。

それぞれの飛躍の大きさにより、日常を掬い取りながら言葉の力により非日常の世界を作り出す力量が読者を楽しませてくれます。

果物に関しては他にも葡萄、梨、柿、メロン、夏柑、桃、柘榴を一度のみならず繰り返し個性的に詠まれ、美味しいものをこころから愛でています。

序盤で腸癌切除の手術を受けられ(しかし、さらりと詠み流しているところが水上さんらしくて)生と死を意識される作品が散見されます。

文字盤をめぐれる長き秒針が死をたぐりをりきらめきながら

血液はぐるぐるめぐるしかすがにぐるぐるめぐりぐる、と停止す

谿川も街川もとほき(きう)(せん)につづきてをらむ夕あかねぞら

朝が来て夜をむかへて朝が来て夜をむかへて永久(とは)の闇に入る

樹々しげる夏と朽ち葉の冬のあひ隠り世に咲く青曼珠沙華

一首目は秒針の光が、二、四首目は血液、朝と夜のリフレインが印象的に、変らず巡りゆくものそれぞれが、死を手繰り寄せているという事実を不気味さを持って提示されています。三首目は、美しい夕空のもとだからこそ、現実世界も黄泉の世界に繋がっていることへ想像をめぐらしているのでしょう。

五首目は歌集名となった作品。あとがきに宮英子氏の有名な「きょうのわたしは曼珠沙華」の歌への憧れも入っていることが書かれていますが、あの世に咲くという青い曼珠沙華を、微妙な季節の提示が「隠り世」を効果的に引き出しています。

水上さんのかぎりない愛情は亡き父母や周囲の方たちのも注がれます。

箸置きは箸を乗せゐる海人(あま)小舟(おぶね)盆会に母の朱き箸乗す

「箸」「箸」「小舟」「母」「箸」と優しい響きのハ行音の連続にまるで小舟が波間をたゆたうような心地よさ。母の魂の帰りを心待ちにしている様子が伝わって来ます。

(むつみ)さんのしづかなこゑが呼び水となりてすみれに降る春の雨

二〇一六年に亡くなられた岩手の柏崎驍二さんへの挽歌。睦さんもコスモスの歌人である柏崎さんの奥さま。多くの歌人に愛されるご夫婦です。お電話で話されたのでしょうか。柏崎さんの作品にも登場する印象的なすみれを連作で詠まれています。悲しみが溢れだす様子ながら、睦さんの声から「呼び水」「春の雨」と詠み、祈りと癒しをも感じさせてくれます。

次郎柿のひとつひとつを撫でながら箱に詰めけむごつごつの指

連作で、送られてきた柿の生産者さんとも顔見知りであることがわかります。送り出す最後まで愛情を込めたであろうことを想像しながら、指の描写から生産者さんの慈しむような笑顔までも映像化されてきます。

柱なで「神さまお退()き下さい」と言ひつつ釘を打ちゐき父は

あを雲の群の向かうで亡き父がわれに手紙を書きゐるや春

父を読む作品から。一首目は自宅に宿る神様に声を掛けながら釘を打つ父の姿を見て育って来られた水上さんだからこそ、初めに紹介した物に宿る魂を常に感じながら〈愛しい気持ち〉を持たれているのでしょう。二首目は巻末近くの作品。何か良いことが起こりそうな春の訪れ。水上さんにとっての良いことは亡き父からの手紙。あぁ、最高の愛情表現ですね。

このように愛に溢れた作品に、私まで満ち足りたものを感じた読後感でした。

自在な枕詞の活用は第一、第二歌集でも多く取り上げられてきましたが、他にも回文や物の名、折り句、漢字からの発想など、さまざまな技法で読者を楽しませてくれています。

是非、お手にとって古典から隠り世まで、自在に往き来する水上さんの世界をご堪能いただきたいと願う一冊でした。

水上比呂美第三歌集『青曼珠沙華』(柊書房)  大野英子_f0371014_06173390.jpg

陽だまりのなかに見上げる秋空の枯葉をわたしをさらふ風音


Commented by minaminouozafk at 2020-11-14 10:08
よき歌がよき評に出会って、ますます惹かれる思いです。英子さんの書かれたようにたくさんの物語や新鮮な言葉に出会えました。楽しみと一緒に温かく満ち足りた思いも味わいました。ご紹介ありがとうございます。Cs
Commented by sacfa2018 at 2020-11-15 09:17
水上短歌の魅力をあますところなくご紹介いただきありがとうございます。
素晴らしい歌集でしたね。
再々読中。S.
Commented by minaminouozafk at 2020-11-15 14:31
ご紹介ありがとうございます。優しく不思議な空気感はそこにあるものの物語だからなのですね。水上さんの作品がよりきらめく批評です。私も読み終えて満ち足りた優しい気持ちになりました。N
Commented by minaminouozafk at 2020-11-17 05:52
ご紹介をありがとうございます。
青曼珠沙華という歌集名にときめきました。歌を詠むのが楽しくて楽しくてたまらない気持ちが伝わってきます。Cz.
Commented by minaminouozafk at 2020-11-17 07:10
ご紹介ありがとうございます。楽しく歌を詠みたいと心から思いました。再読します。Y.
Commented by minaminouozafk at 2020-11-17 21:26
ご紹介ありがとうございます。豊富な語彙やさまざまに詠み方の工夫に学ぶことが多い歌集でした。英子さんの紹介の文に再読したくなりました。A




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by minaminouozafk | 2020-11-13 06:19 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(6)