2020年 07月 04日
山笠のない夏 栗山由利
夏といえば祭。祭があるから、暑い夏もその勢いで乗り越えることができる。だが今年の博多の町に祭の熱気があふれることはない。「山笠のあるけん博多たい!」の博多祇園山笠が新型コロナウィルスの影響で今年の開催は見送りとなった。
博多祇園山笠の中断・中止は、昭和20年(1945年)の第二次世界大戦の戦況悪化による中止から昭和21年(1946年)の終戦直後まで遡り、戦後以降の中止は初めてという。いつもなら、7月1日に博多部を中心に14の飾り山が公開され、絢爛豪華な「静」の飾り山から15日早朝の「動」の追い山までの15日間の日程がスタートする。6月から解禁される男衆の長法被姿もちらほら見られ、普段なら関係のない私でさえ追い山に向けて気持ちが高まっていく。
760余年の伝統を誇る博多祇園山笠の起源については諸説あるそうだが、一番有力とされているのが、鎌倉時代、仁治2年(1241年)博多で疫病が流行した際に承天寺の開祖・聖一国師(円爾)が町民が担いだ施餓鬼棚にのって、祈祷水を撒きながら町を清めてまわり、疫病退散を祈願してまわったことを発祥とするという説である。起源にのっとれば、なおのこと開催したいという声もあるかと思うが、やはり人命に係るための苦渋の決定だったようだ。
そんな中、ニュースで今年唯一作られる飾り山が櫛田神社にお目見えしたと報じられた。少しでも祭り気分を味わいたくて赴いた櫛田神社の清道には清道旗も立てられ、カメラやスマホを向ける人も多かった。櫛田神社の飾り山は一年を通じて公開されている。今年は中村信喬人形師と中村弘峰人形師親子が手掛け、表は中村信喬人形師による「清正公虎退治誉(せいしょうこうとらたいじのほまれ)」、見送りは中村弘峰人形師による「桃太郎鬼退治誉(ももたろうおにたいじのほまれ)」となっている。唯一の飾り山とあってか、思いのほか見物客は多くみなそれぞれにカメラに収めていた。
表にも見送りにも入る「退治」の文言が今年らしさを表している。虎に立ち向かう眼光鋭い清正公、可愛さを残しながらも鬼を睨みつける桃太郎、この一年間、櫛田神社から博多の町を見守ってくれることだろう。
「夏よ、来い!」そんな気持ちにしてくれる飾り山立つお櫛田さんに
夏の風が吹きこみました~きっと、あまねく! Cz.