2020年 04月 01日
「COCOON」Issue15の批評会報告に代えて 有川知津子
4月の第2日曜日の「COCOON」Issue15の批評会の中止は早めに決定された。

批評会が中止になるとどうなるのかというと、COCOONの会の場合、メーリングリストが活躍する。メーリングリストにそれぞれ一首選を送るのである。歌だけでもいいし、何かコメントをつけてもいい。無理のない範囲で、楽しくやろうという趣旨である。
そのやり方にならって、以下に作品を紹介したい。巻頭の4作品については2首ずつ、以下は1首ずつ掲げてみた。*で何か言っている。
○野村まさこ「かたわれ」
来週は修学旅行 テレビには行くはずだった首里城燃える
*来週はそこに生徒たちといるはずだった。呆然の態でテレビに見入る様子が、「首里城燃える」という助詞を省いた言い方に表わされているようだ。
少年の耳に喰いつき魂を啜っているのか こいつイヤフォン
*「こいつイヤフォン」のイヤが「嫌」をも含意するように読めてしまう作りであることに、(第四句までの内容から)救われる気持ちになる。
○三沢左右「町を抱く」
〈ぶつめつ〉の〈つ〉を完了の〈つ〉と思ひその下二段活用を誦す
*この歌を読んで、「ぶつめて・ぶつめて・ぶつめつ・ぶつめつる・ぶつめつれ・ぶつめてよ」とやってみなかった人はすごいと思う。(二つの「つ」両方でやった人はもっとすごい)
こないだまで肉に張り付きゐし爪をしんしんしんと月に変へゆく
*爪を切る行為が厳かに語られる。儀式のようだ。
○島本ちひろ「身の内の砂」
こんなにも湖面に確と映るのに影は濡れない 黒くたゆたう
*「影」はこの作者の大切なモチーフである。何かを少し考える時間が一字空けに表現されている。
刺青をしない理由は一生涯愛せるモチーフ決められぬから
*刺青をするしないは道徳的問題ではなく、愛の問題と示したところが鮮やか。
富士川は幅ひろくして南には海はるばると田子の浦見ゆ
*いにしえの歌人山部赤人と向き合っている構図であろう。時代を越えて壮大な歌と読んだ。
立体駐車場(りっちゅう)に三つ車をねむらせて夫はあるいて通勤しおり
*夫が車に「エンスージアスト」であり、一連にはその証拠がいろんな角度から提出されている。

○松井竜也「さようなら冬」
AIにできないことはなんですか 今日は遠回りして帰る
*たしかにAIに「遠回り」は苦手そう。
○松井恵子「ユーカリ」
「週末は遊びに行こうか」何億年先の週末だらう眩しい
*目を細め消失点のはるか向こうまで見晴るかす人が思い浮かぶ。
○伊藤祐楓「夢のあとで」
柑橘の香のするごとく清らかな娘の寝顔は哀しき絵画
*美術館で絵画に触ることはマナー違反である。成長した娘に触れることの躊躇いが感じられる。そんな父親の悲哀だろうか。
○小島なお「亀」
雪食べて死んだ俊成そののちも雪吐いて生きつづける空は
*生と死、そして雪も伝統的な歌のモチーフである。だが、ここでは、「雪月花」の「雪」とは違う雪が詠まれていると感じる。
○椎名恵理「自習室に歯ブラシ」
住人のようなかるさで学生はポットのお湯を入れ替えており
*大学院の院生自習室の一場面を切り取った。「かるさ」の語が、そこを使い慣れた学生の様子をよく伝える。
○渋谷美穂「春と希求」
鉄塔のてっぺんの細いところから花びらを撒くような計画
*なんと壮麗な計画だろうか。撒かれたはなびらは、地球の自転の生む気流にのって地球を取り巻くに違いない。
○早川晃央「お別れを待つ」
十五年前の一五の夏休み祖母が誘ってくれた「コスモス」
*祖母の歴史と自身の歴史とがともに詠み込まれた得難い歌。
○山田恵里「フラワーデモ」
文字のない便箋のやうなひかり射し導かれゆく十番出口
*これから起こることのプロローグとして読者をぐいっと作品世界に引き込む。
○河合育子「りんごとみかん」
檀(まゆみ)の実ひとつ飲みまたひとつ飲みつぐみが連れてくるよゆふやみ
*いろんな「み」があって楽しい。
*この歌の良さは、3月30日の「日々のクオリア」で岩尾淳子さんが解き明かしている。学びをいただいた。
○久保田智栄子「点る陽」
きつちりと横断歩道の上ゆける蝶々見しは一度(ひとたび)ならず
*一度だけでもおもしろい。度重なってくるともう偶然のような気がしない。その不思議への好奇心が歌になった。この蝶の行いは、科学的に説明できるのだろうか。
○船岡みさ「春待つ」
七草の二つ三つほど野に摘みて作りたる粥思えばゆたけし
*「思えば」ゆたかとうたう。今は「野に摘」むことが叶わぬ状況にあるのだろう。一連全体に、大地から切り離された息苦しさのようなものが漂っている。
○大松達知「オリフィス」
許せないあれこれありてオリフィスをたらりら蒼き砂が抜けゆく
*「オリフィス」は砂時計のくびれ。その語が腰の句にあること(一首が砂時計の形象となっていること)、「抜けゆく」とあっさり言ったところに引きつけられる。
○真島陽子「つくんつくん」
食缶に沢煮椀捨てししゃも捨てご飯を捨てて暗闇つくる
*食行動の難しい子供と接している様子が感じられる一連。食べ残りは食缶にまとめられ蓋をされる。一首の「暗闇」は直接的には食缶の暗闇であるだろうが、いろいろ考えさせられる。
○伊田史織「はるけく深し」
山葡萄の実をとり種をまた蒔かう酷暑にすだれをかけよういつか
*最後の「いつか」に引き留められる。今は思うことがおもうようにはできない状況にあるのだ。祈りの「いつか」と読んだ。
○大西淳子「鉛の砂時計」
呑み込んだ言葉は消化されません鉛の砂時計が落ちゆく
*第四句のあたまに「鉛」とあり、まるで「呑み込んだ言葉」が「鉛」であったかのような錯覚に陥る。鉛毒が時間をかけて人体を蝕んでいく。
○小川和恵「垂直の時間」
顔を見て下の名聞いて朱の筆でこつそりと書く名前の手本
*学校に書写の指導に行ったときの一首。「下の名聞いて」に、生徒とのこまやかな交流が表現されている。
○柴田佳美「太郎月」
こんなにも折りたたみ傘軽くして蕾のごとしわれの体に
*折りたたみ傘が蕾のようだ、と言うだけにとどまらず、「われの体に」と言ったことで、無機物の傘に命が吹き込まれた。その開花まで想像させる。
○斎藤美衣「君はわすれて」
ほろほろと君はわすれてテーブルにこぼれた星も拾はうとせず
*「ほろほろと」は、少しずついろんなところが止めどなく崩れていく様子である。そのように忘れてゆく人を見守っている。結句の打ち消し哀感がこもる。
○杉本なお「ふくろふの森」
声小さきわたしの方へ机ごと近づきてくるやさしきまなこ
*なになに? と近づいてくる人のやさしさを「机ごと」で端的に言い表わした。
○片岡絢「慈雨」
あの歌の三句目〈霧時雨〉ぢやなくて〈落ち葉踏む〉にしとけば良かつたな
*メタ短歌のなかでも一首の中で具体的に推敲してみせるのは、特異ではないだろうか。第三句「霧時雨」の歌に出合ったら、「落ち葉踏む」に読み替えよう。
○水上芙季「オリオン」
公園の一番高い銀杏の樹てつぺんに星付いて冬来る
*この時間この場所に立ったとき、あの銀杏の樹のてっぺんにあの星がかかったら冬。そんなかけがえのない場所をもつ。
妄言多謝。

ちづりんのことだから、みなさんに入念に許可を取ったのではないでしょうか。
会えなくてもお勉強の方法があること、それも無理のない参加方法。みなさん楽しそう。
色んな感性を楽しませていただきました。E.
