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秋山和子第一歌集『父のインク壺』(柊書房)  大野英子

 秋山さんは千葉支部の方。コスモスに入会された五十代半ばから二十一年間の作品の中から、四五二首が収められている。歌集名に〈父の〉とあればついつい引き込まれて読んでしまいました。

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まずは温かい眼差しが伝わる作品から。

 水槽の鯉に見入れる幼子はまあるく口をひらきては閉づ

 砂浜の父の足跡子は追ひてひよんと跳びまたひよんひよんと跳ぶ

 ランドセルの蛍光塗料ほの白く日暮れの路地をジグザグに行く

病院のロビーにパジャマの幼子がじつと見てをり語らふ母子を

幼児教育や児童心理学を学ばれ「折々に見かけた子供の歌が多いことに気付きました」とあとがきに書かれる通り、愛情を持ってしっかり観察する幼子の描写力が際立つ。口の動き、飛び跳ねる姿、ジグザクな足どり、さびしそうな視線の先にあるもの、それぞれをしっかりと捉える視線が優しい。

折々に見かけた幼子にこれだけの優しさを見せる秋山さんは、家族を生き生きと詠む。特にご主人との日々は健やかで常に日向性がある。

 大き背をこごめて夫は蕎麦を切る「細いほど好き」と私が言ひて

 自らの酒のつまみと砂肝のしぐれ煮もどきを煮てをり夫が

夏日ゆゑ日暮れが待てぬと立ちあがり夫は切子の酒器はこび来る

寡黙なる夫がしきりに旅せよと介護の日々のわれを気遣ふ

ゆきちがひ何時しか解けて柿の木をつつく小啄木鳥を見よと言ふ夫

母逝きて「味方がいなくなった」など夫は言ひつつ線香たむく

婚五十年過ぎていよいよ夫の打つ二八(にはち)の蕎麦の滋味深まりぬ

カルチャーで蕎麦打ちを習われた夫の、妻の期待に応えようとする真剣な姿を捉え、またリクエストをすることによって上手くご主人をその気にさせるという夫婦関係が楽しい。二首目三首目は、お酒好きな夫の等身大の姿。五首目は小さな齟齬も何気ない言葉から自然にほぐれて行く夫婦の年月を思わせる。四首目と六首目は年老いた母の面倒を共に見てくれた夫の優しさが滲む。七首目は歌集巻末に置かれた歌。深まる蕎麦の滋味はまた、夫の滋味であることが伝わり、お二人の信頼関係が心地良い。

夫をよむ作品の中にもある〈母〉との時間はこの歌集のひとつの核でもある。

 久々の銀座の通りにわが母はモガ、モボのことなつかしみ言ふ

 ちぢみたる身の丈をいふわが母にかはりて掛けぬ子年の暦

 渡された携帯電話たいせつと手箱に入れてしまひ置く母

 独り居をじやうずに過ごす九十の母にふえゆく聞こえないふり

浴槽に浮かぶ柚子の実摑むなり母は右手のギプスの取れて

包装紙を竹に定規で計りては折り紙にする九十五の母

脳外科の病室の母よろけつつ椅子よりたてば夫も()も立つ

小声にてひとこゑ「ありがたう」と言ひたらちねの母ふたたび眠る

がんばりやの明るき母の子にあれど切なき夜を泣くときは泣く

一緒に出掛けたりする、仲の良い母子にも老いは重くのしかかってくる。それでも見守り、寄り添い、時にはユーモアを交え、丁寧に詠み残す姿に愛が溢れる。亡くなられた後の「泣くときは泣く」の一言から、どれだけ気丈に振る舞い通して来たのかが伝わり胸を打つ。

他にも、他者に対しても細やかな気配りをさりげなく詠み込む。

膝病める母に手を貸すわがならひ杖持つ人のあれば寄りゆく

ケイタイを閉ぢたる夫人の溜息をなにげなく聞く電車待つ間に

住所録の友の名前は消さないで逝きし日付を横に書きそふ

そして歌集名となった〈父〉を歌集前半と後半から二首ずつ引く。

 ペン書きの父の文字なり大赭色の写真の裏の「和子一歳」

 冴えざえとひかりて細きガラスペン今にし残る父のガラスペン

 亡き父の片そで机の引き出しに扇形なるインク壺ある

 手にのせてわれは見てをり父が使ひし液乾らびたるインクの壺を

早く亡くなられたのであろう父親の存在は、思い出として写真の裏書の文字や愛用のガラスペンやインク壺に確かに存在している。

日常の秋山さんは、母として妻として、そして母を看取る娘として明るく取り仕切る家刀自の姿そのものであるが、父の思い出の品に触れる時が小さな子供に戻れる唯一の時間であるのだろう。

そういった感情を一切詠み込まず、物を静かに提示することにより、いっそう、その気持ちが伝わってくるのである。

最後に心に残った、折々にご自身を客観的に詠まれる作品から二首。

 ガラス張りのエレベーターに海のぞみ気泡のごとくわれ上昇す

 外出(そとで)なき日は化粧せず〈臨済の喝〉などはなきわれの日常

紹介出来なかったが娘や孫を詠む歌など、多く人に対する優しさ溢れる歌集だが、旅行詠も多く、地名や歌枕にこだわりを持つ、一過性の旅行詠でないものが読み取れる、魅力的な一冊でした。

さて、私には縁が無いとはいえ、もうすぐクリスマス。みなさまにささやかなプレゼントです。

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       凛とたつ朱のアロエの鱗片を纏ふつぼみはまだ固きまま


Commented by minaminouozafk at 2019-12-20 23:58
ご紹介ありがとうございます。読みながら、あたたかな気持ちになりました。
お蔭で、おかげさまの一日となりました。いろいろ、覚えていたいと思います。
これは、アドベントカレンダーかしら~。贈り物をありがとう! Cz.
Commented by minaminouozafk at 2019-12-21 19:13
やさしい気持ちになったり、目が潤んできたり父、母の歌は自分に照らし合わせて読んで少し苦しくもなります。元気な母がいてくれることの大切さを心から思いました。ありがとうございました。Y.
Commented by minaminouozafk at 2019-12-22 16:01
作品からお人柄が伝わります。インク壺の作品、しみじみとして心に残ります。英子さんの批評も。やさしい眼差しの歌の数々に温かい気持ちになりました。ご紹介ありがとうございました。Cs
Commented by sacfa2018 at 2019-12-22 16:49
いつもながら丁寧な読み。秋山さまもさぞお喜びのことと存じます。家族に注ぐ眼差しがほんとに暖かくて、暮れのささくれた心に沁みました。
ありがとうございました。S.
Commented by minaminouozafk at 2019-12-22 20:51
思いやりのあるやさしい歌から秋山さんのお人柄が伝わってきました。英子さんのコメントも丁寧で暖かく嬉しくなりました。
贈り物🎁ありがとうございます。A
Commented by minaminouozafk at 2019-12-23 07:08
インク壺という魅力的なタイトル通りの温かなこころに沁みる作品です。ご主人様の歌も明るく優しく、楽しいお二人の日常がうかがえ穏やかな気持ちになりました。扇型のインク壺、宝物ですね。N.
by minaminouozafk | 2019-12-20 09:09 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(6)