2019年 12月 18日
「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」展 有川知津子
福岡市博物館で開催中の「挑む浮世絵 国芳から芳年へ」展に行ってきた。贅沢な空間であった。
その前日に展覧会概要を見てみると、
一部、衝撃的な表現がございますので、体調を整えてお越しください。
と書いてあった。これにはちょっと笑ってしまったが、もしかしたら笑いごとではないのかもと思いなおして、素直に翌日が平日であるかのように眠った。
実際、ミドコロが多くて、「衝撃的な表現」でないものにもかなり気力を使ってしまったように思う。それはもう一年に一度しか行かない(行けない)テーマパーク並に。
ところで、この特別展に行ったのは、11月の支部歌会の数日後。そのことが重なって、それがなかったなら通りすぎていたかも知れない一枚に長く立ち止まってしまった。
これである。(館内、撮影可)
その名も《はやく酔をさましたい 豊前小倉縞》という。気にかかったのは、「はやく酔をさましたい」のほうではなくて、「豊前小倉縞」のほう。歌会に「小倉縞縞」(こくらしましま)を詠み込んだ歌が出されていたのだ。
小倉織(こくらおり)は、江戸時代の豊前小倉藩の特産物。縦縞が特徴。一時は広く流通し愛されたが、次第に衰退し、昭和初期には途絶えてしまった。それが昭和59年に染織家の築城則子さんによって復元され、新たなる小倉織「小倉縞縞」として注目されているという。くだんの詠草には、「小倉縞縞」を目の当たりにしたときの喜びが詠まれていた。
さて、ところで、この絵の絵解きがまだできていないようなのだ。そのキャプションをそのまま貼りつけておこう(この文字の大きさ、読めるかしら)。腕に覚えのある方、ぜひ挑戦を!
もう一枚。
これは、国芳の弟子の月岡芳年の作。
明治10年(1877)作とある。西南戦争の年であるから、やはり西郷隆盛の最期の場面に違いない。けれども、最期は城山じゃなかったかなあとへんな感じがする。キャプションをよく読んでみると、そこはきちんと説明書きがあった。
西南戦争を題材とし、西郷隆盛の最期を描く(誤報に基づく)。
「誤報に基づく」。
この西南戦争の戦況は、つぎつぎと錦絵になって出版されたという。速さの点では新聞には及ばないけれども、視覚的にニュースを伝えることのできる唯一のメディアがこの錦絵だったとか。
芳年のところに入った第一報が間違っていたのだろうけれど、それをきちんと確かめることもせず仕事に取りかかった芳年の気持ちが分かるような気もする。それだけ、錦絵が待たれていたということだろう。
最後の章に、芳ファミリーの系譜があった。ただただ労作というほかない。
月岡芳年を絶対見たい!と思いつつ、年末モードに入り、抜け落ちてた。
今日は年賀状を作る予定だったけど、ブログを見て、今日しか無いって行って来ました!
国芳の楽しませる力から芳年の繊細さと時代を踏まえた変貌、これだけまとめて芳年を見られるとは思わなかった。
あぁ、本当に感謝です。
みなさま、年賀状が遅れたらお許しを~。E.
キャプションという言葉はじめて知りました。ありがとうございます。N.