2019年 11月 17日
皇帝ダリア 大西晶子
十年ひと昔というが、母が心不全で倒れたのが10年前、2009年5月で母の 94歳の誕生日のひと月前だった。九州市八幡東区に母は住んでいたので入院したのは同区のS病院、その後いくつかの病院と老健を転々としたが、場所はいづれも北九市八幡東区と西区だった。
心不全から夜間譫妄で階段を転げ落ち大腿骨骨折、認知症と発症し、病状は急速に悪くなったが、会話は出来た。ただ、母の年齢は女ざかりに戻ってしまったし、祖父や父の幻影をよく見ていた。
宗像の私の家から八幡に車で行くには幾つかの行き方があるが、高速道路以外だとどれも小一時間かかる。
気分が萎え気味の日には山がちの県道を行くことが多かった。途中で猿田峠という峠を越えるその道は昔の唐津街道の一部だったらしい。
晩秋には山茶花や菊の花、紅葉がきれいだった。母を見舞い病状に気落ちして帰る道々の、季節で変わる風景にずいぶん慰められた。
ある日集落のなかに背の高い薄紫の花を見かけた。同じ道筋でほかにもその花が咲いている場所が何か所かあった。それが皇帝ダリアを見た最初だったが、名を知ったのはかなり後になる。気をつけるとご近所にも背が高いこの花は咲いていた。
花が少ない晩秋に咲く皇帝ダリアを夫が気に入り、翌年苗を植えた。一時期は夫は茎を輪切りにしてそれぞれから根を出させ増やすことに熱中し、知り合いの方に差し上げていた。
また母は北九州の病院で食が細く衰弱してきたのをきっかけに翌年の秋に宗像市のA病院に転院し、私の猿田峠越えのドライブは終り、その後しばらく母に小康状態が続いた。
さすがに今は時が経ち庭の皇帝ダリアの寿命も尽きかけたのか、勢いの良かった株が次第に枯れて来た。近所の庭でも見かけることが少なくなった。
今、庭で二株の皇帝ダリアが花を付けている。この季節の皇帝ダリアの薄紫の花は確かにきれいだけど、秋にはふさわしくないような気もする。それ以上にこの花を見ると、母を見舞いに通った10年前のドライブを思い出して切なくなる。見ればきれいな花なのに素直に好きになれず、ちょっと複雑だ。
風折れしやすいのに高く咲いてしまう皇帝ダリアの気持ちとどこか響き合って、しんと読みました。ありがとうございます。Cz.
晶子さんの思い出の花、また季節がやって来ましたね。E.