2019年 11月 04日
号外 北原白秋顕彰短歌大会報告 大西晶子
11月1日から3日まで、北原白秋の命日の11月2日をはさみ柳川市では毎年白秋祭が催される。今年も2日に北原白秋顕彰短歌大会が柳川市のあめんぼホールで開かれた。毎年3人の選者の一お一人が来られ、講話と歌の講評をして下さる。今年は小島ゆかりさんが講師として来られた。コスモス柳川勉強会の方々が長年この会のお手伝いをしてこられ、近隣の県のコスモスの会員たちもかなりの人数が参加し、受賞者にも数名とコスモスの色濃い会だ。
会の前半はゆかりさんの講話。タイトルは「短歌の魅力」。以前に「短歌の地平線」とタイトルを付けてみたら会場では「短歌の水平線」になっていたのでそれ以来単純なタイトルにしていると、最初からお話が面白い。
以下、内容を一部ご紹介する。
万葉から現代へ
うらうらと照れる春日(はるひ)に雲雀(ひばり)あがり情{こころ}悲しも独(ひと)りしおもへば
大伴家持
歌には心、ことば、韻律の3つの柱がある。
春ののどかな情景を詠みそれまでなら楽しいとするべきところを順接なのに悲しいと詠み、また独(ひと)りの独という字は万葉集でこの一首のみ使われている。これは新しい表現で近世以降の孤独につながるものではないだろうか。これは心と言葉の柱で、韻律ではラ行音が9音と多く、ひ、か行音、さ行音と変わる面白さがある。
白南風(しろはえ)の光葉(てりは)の野薔薇過ぎにけりかはづのこゑも田にしめりつつ 北原白秋『白南風』
この歌には二重奏の面白さがある。照葉なら同じてりはでも秋の紅葉の意味をも持つ、しかし白秋は光葉と書き光を表現し、同時に音から紅葉の景をも想像させた。歌の二重奏には塚本邦雄の意図的な言葉がの切れ目と意味の切れ目をずらした「日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係も」のような例もある。
片思(かたおもひ)を馬にふつまに負はせ持て越辺(こしべ)に遣らば一かたはむかも 坂上郎女
常の恋(こひ)いまだ止(や)まぬを都より馬に恋{子}日来(こ)ば荷(にな)ひ堪(あ)へむかも 大伴家持
人を思う心に重量、形、重さを感じると言う表現は世阿弥の能「恋の重荷」になり、能の演者である馬場あき子の
父といふ恋の重荷に似たるもの失ひて菊は咲くべくなりぬ
にもある。また家持2000年万葉高校生バトル最優秀賞の高校2年生の歌
片思ひいつも寂しい風が吹く ときに熱(ほめ)きて球体となり では片思いは球体になるという若々しく力強い歌になっている。
一般投稿歌から
「この夏は平成最後」なんて言う去年の夏ももう来ないのに 高3
どの夏もたった1度の夏なのに、という思春期らしい思い。
クリスマスは寂しくて好ききみがいないことがこんなにくっきりわかる 大学院生
逆説の孤独感がとても良い。
何事も無くすぎし我がひと月と癌告げられし友のひと月 女性
切り取る角度が新しい。
朝刊を読みつつ妻のつぶやけり惚(ほ)れると惚(ぼ)けるは同じなのねえ 男性
会場に居た人達が皆笑った歌。この歌の作者にゆかりさんが贈る歌も披露された。
〈中日歌壇のN氏かつての上司なりつつしみてその歌を没にす〉
近刊の歌集から
いたはられ座るほかなししほしほと炎昼こもるわれは「ゑ」の字に
春日真木子
自己客観視が良い。ゑの字のかたちはスカートをはいた女性が疲れた感じで座っているように見える。
イワレビコ去りにえるのち残りたる芋幹木刀(いもがらぼくと)と日向南瓜(ひうがかぼちや) 伊藤一彦
神武天皇の東征のときに有能な男性、美しい女性を伴ったので、のこった日向の者は~というユーモア。
母死なすことを決めたるわがあたま気づけば母が撫でてゐるなり 川野里子
母の延命措置をしないと決めた作者の頭を撫でる母への切ない思い。
どうやら春の隣りではあるバス停に幼な子と母のむつみ合う声
三枝昻之
俳句では春隣(はるどなり)という季語がありそれを分けて使っている。
人を恋うこころのごとく立つポン酢小さき土鍋の湯気に濡れつつ
辻聡之
ひとり住まいの、ひとり鍋をする寂しさの歌だが、読む人の年齢で鑑賞が変わる面白さがある。
白飯の湯気わが顔にとびつきぬ 小島さんがおばあちやんになつた
米川千嘉子
上の句では生活の場面を文語で詠み、下の句では現代の口語を使うことで親近感が強く出た歌。挨拶の歌だけど独立性があり、この歌の小島さんはゆかりさんで、とても嬉しかった。
このように、日本には豊かな短歌の場や土壌があるので、皆さんもぜひ楽しんでください。
おおよそ、このような内容だったが、一時間がとても短く感じられほど楽しく、興味深くお聞きした。
後半は受賞、入選した歌の講評。
印象に残った歌をいくつか挙げる。
校庭のたんぽぽの絮がとんでゆく吃音の子の言葉を待てば 村上秀夫言葉になる前のその子の言葉のように、そして言葉にならない作者のこころのように、たんぽぽの絮がとんでゆく。静かだが優しさと思いのこもった歌。
ゆうらりと竿一本の伴奏で船頭唱ふからたちの花 佐々木佳子
「竿一本の伴奏」という表現がとてもいい。ゆったりした唱うようなリズムと大らかな余剰がいかにも柳川らしい作品。
合歓日和たな田のわきのわが畑をりりここりりここはしる沢水 新沼野 乙
合歓の花咲くころ、棚田のわきの畑を走り下るさわみず。「りりここりりここ」という独創的なオノマトペが歌を生かした。
虚空の見えざる手にてつぎつぎに柘榴裂かれて秋は闌けゆく 今泉洋子
一首が力強く見えない力を感じさせるのが良く、漢字の多い表記も柘榴らしい、おおぞを虚空と書く表記には大空と書いた場合よりもシュールな方に作者の思いが踏み込もうとする情熱があることが感じられ、そこも良い。
取っときのくぐもりごゑをきかせつつかはづは蛇にのまれてゐたり
原 義輝
断末魔の声が取っときの声と表現されるとかはづの死が大自然の中での命の循環であるように感じられる。馬場あき子の歌には蛇に呑まれて蛙が蛇になったという内容の歌もある。
彼岸へのボタン押しけり 五十路の子彼の日の夫と相似の指で
鍬田知子
初句、二句の言い方が簡潔で良い。五十路など古い言い方もきいている。間の一枡開けは作者が彼の日まで時間をさかのぼりたかったという気持ちが籠っているようだ。
八十で職退きし夫朝寝して昼寝し早寝す桜咲く日を 長澤八重子
のどかで良い歌。長く働いた夫をゆっくり寝させてあげる作者も良い。
とよはらの野田鮮魚店バケツには流水溢れ藁素坊あふる 西山博幸
柳川の魚の名の藁素坊(わらすぼ)が効果的。
ときにはユーモアをまじえ、楽しく語られるゆかりさんだった。
会が果ててからもコスモス会員の面々はしばらくは去りがたくゆかりさんを囲み立話をした。
私たち福岡からの南の魚座のメンバーは夕方の町を柳川駅まで歩き、駅でゆかりさんと再会。
天神までの電車のなかでお話できた幸運をよろこびながら帰ってきた。
本当に楽しく学ぶことの多い49回目北原白秋顕彰短歌大会だった。
小島ゆかりさん、本当に良い学びの時間をありがとうございました。
また、西山博幸さんはじめ柳川勉強会のみなさま、毎年お世話いただきありがとうございます。
お疲れさまでした。
誤解を与える表現になっています。訂正お願いいたします。
取り急ぎ、休憩中です~。E.
柳川、気持ちいい一日でした。
みなさま、お世話になりました。S.