2019年 07月 13日
インディアカ 栗山由利
神様はときどき、不公平なことをなさる。二人しかいない私たち姉妹に運動神経というものを公平には与えてくださらなかったのだ。妹は小学校の1、2年生のころは水着のストライプ柄が身体に残るほど泳いでいたし、大分市の記録会ではボールの遠投競技で賞状をもらって帰ってきた。比して私はといえば、プールで一生懸命に平泳ぎ(もどき)を泳いでいたのに、よほど無様に見えたのか、見ていた父から「ゆりーーっ!もういいぞー!あがれーーっ!」と叫ばれたり、ボールを投げるタイミングとフォームがわからず、投げたボールがすぐ近くにポトンと落ちたりだった。同僚とバッティングセンターに行けば、男性が感心するような快音を響かせたという妹の車のトランクは一時、バレーボールシューズやゴルフのクラブなどのスポーツ用品が占めていた。未だにバットにボールが当たることさえ不思議で仕方がない私である。人にはいつも「妹のために運動神経を風呂敷につつんで、お母さんのお腹の中に置いてきてやったんよ。」と言っていた。
そんな私だが、これまでの人生である時期、選手としてユニフォームを身につけてコートに立っていたことがある。それがインディアカという競技だ。インディアカと聞いて、即座に「ああ、あれね。」とうなづいてくれる人は皆無といってよいほどのマイナーなスポーツなのだが、これがなかなか面白い。20年以上前に町内対抗の大会がきっかけで始めたサークルだったが、6年くらい前まで続いていた。
コートはバドミントンのダブルスと同じで、インディアカとよばれる手のひらサイズのお餅のようなものに20センチくらいの赤い羽根がついたものを肘から先の手で打ちあうゲームだ。ルールはバレーボールとよく似ている。サーブから始まりレシーブ、トス、アタックの3回で相手コートに返す。この競技は男性、女性、シニアのほかに混合というブロックがあって、高所から打ってくる男性の強いアタックをまぐれでも取れたときは飛び上がるほどに嬉しい。
相変わらず鈍かった私はアタックしようとした羽根が自分の頭に当たったり、サーブを空振りしたりと散々だったが、土曜日午後の4時間は楽しかった。今でも年に一回、校区の文化祭のバザーに参加するのだがチームワークは昔のままだ。ただ、如何せん、スポーツは年齢を重ねると続けることがむつかしくなってくる。
短歌を始めた頃はまだインディアカをやっていたが、インディアカをやらなくなった今、私が大勢の人たちと一緒に活動することのほとんどを短歌が占めるようになった。そして、インディアカでできた仲間と同じように、短歌での仲間、知人も多くなり、まだまだ増えそうな勢いである。全国大会などに参加するためには体力ももちろん必要だが、それ以上に、これから先も短歌を続けるための脳力を落とさないように、気をつけて過ごしたいと思っている。
たちまちに時計の針を逆まはしできる人をり 友といふ人
ありがとうございます。S.
「脳力」、ああ、もう危うし~。Cz.
悲しいけれど、(多分やったはず)ワイワイ応援した覚えはあります。頭の中が30年前に戻って活性化しました。ユニフォームから楽しそうなクリユリ家の声が聞こえてきそうです。Cs