2019年 07月 11日
ブログ記念日34~千夜を超えて
私自身は少し遅れての参加ですが、今日で138回目の担当となりました。138もの記事を書くとは(書けるとは)……。一人では絶対に出来なかったことです。
「読んでいます」の声が大きな励みとなっています。魚座の仲間が心強い支えとなっています。
「量は質に変わる」という言葉が好きです。地道に続けていくことで育ってゆくものがあることを願って、日々の小さな思いを言葉や歌にしていきたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
写真は以前にご紹介した源久寺の大賀蓮(古代蓮)です。咲きました~。2000年前の弥生の人も見た風景、はろばろとします。
知ラセテネ 鈴木千登世
狐雨通り過ぎたる境内にあぢさゐ青き宇宙を起こす
上りゆく蜘蛛を仰ぎて上りたき心湧きぬ何に渇くか
知ラセテネ かすかに声の聞こえきて龍福禅寺参道緑陰
うつむきて咲く擬宝珠のむらさきのあはき憂ひに水無月の尽く
少女らは細い指にひそひそと襞たたみたり夜をたたむがに
あしたも晴れる 大野英子
わたくしを鞭打つごとく枝を引くたびに雨滴を落とす老い梅
とろとろと夕焼けいろに煮詰めゆく梅、さうきつとあしたも晴れる
九尾狐にかすめとられた梅ならんわたしをあはく照らす月影
水無川さへ隔てえぬ夫婦なり詠んで詠まれて連れ添ふふたり
ふたりにはなれぬまままた夏が来てゆふぐれ寒きしちぐわつよつか
やはらかき声 栗山由利
語尾あげて「すいとうと?」つて聞いたとき猫はとほくをみる目をしてた
このごろはおきうと売りの声きけずおきうとに似たやはらかき声
ゆふぐれの鴉の声にせかされて出すひと足が大股になる
朝にいふ「いつてらつしやい」夜にいふ「おかへりなさい」で一日しづまる
かけまはり、たふれこみ、またかけまはり永遠のごとく青の時代は
夏の入り口 大西晶子
司生虫のをりし龍ヶ岳の麓なる職場で夫は日々老い人を診る
そのかみは三毛や白やと呼ばれけん鼠退治で斃れし猫ら
子と孫に送ると本の小包をかかへて歩く小雨降るなか
庭すみの小さき畑で生るきゆうり食べつつ夏はいまだ入り口
にがうりの苦実炒める日々つづき夏の暑さに肌が慣れゆく
葛原 百留ななみ
しかと見よゲンバクによるニンゲンのまつ黒焦げの爛れた顔を
窓ぎはの蚊取線香つけしまま網戸で寝ねけり 昭和の子ども
羽衣をなびかせ天女の降りたつや七夕真夜の余呉のみづうみ
月光のま葛が原で蔓先を天へと競ふ葛モンスター
踏みしだく人はゐないよあたらしきコンクリートの葛原の道
文学批評 藤野早苗
邂逅はヒガンバナ咲く長月の太宰府 幸ひ人をひた待つ
ストレスが具現化したる結石といふ医師の目のわが方に向く
吹き荒れてやがてあたらし火を三つもてるその風「飇」つむじかぜ
自分史を投影しない記さない「文学批評」その一の一
紫陽花の葉裏にひかるひとすぢの マイマイツブリ銀のアリバイ
月下の群 有川知津子
梅雨の夜は夢のつづきに降りやすしチョウチンアンコウのわれに会ふゆめ
樅の木よおまへはどこへ帰るのか冬ひとときを塵芥のなか
「厚狭」といふ地名のゆゑを調べんと書き付けおきし紙片がのこる
黒鍵に狙ひさだめて降るごとし人を送りしのちのゆふだち
手を振れば手をふりかへす仲間ゐて月下の群はまた歩き出す
量が質に変わる…。嬉しい言葉です。信じて精進いたします。S.
やさしいエッセイをありがとうございます。Cz.
何も動かなければ、消えていっただけの思いをかたちに残すことが出来て幸せです。
明日、私は157回目の担当になります。だらだらナンバーカウントだけはしていました~。E.