2019年 05月 22日
しゃぼんだま 有川知津子
ひだりの方から流れてきたのは、しゃぼんだま、だった。
これはチャンスである。
シヤボン玉の中へは
庭は這入(はひれ)ません
まはりをくるくる廻つてゐます
ジヤン・コクトオ作
堀口大學訳『月下の一群』(1925年)
ほんとに這入れないのか確かめるチャンスである。
…………
庭がないので、とりあえず私が庭の気持ちになる。
ああ、なるほどね~
しゃぼんだまの筋肉って、意外と弾力があってしなやかだ。
これじゃあね。
庭の私を見下ろしてしゃぼんだまは昇ってゆく。
もう、もどらないつもりだな。
堀口は、白水社版の『月下の一群』訳者あとがきで、
求められて訳したもの、目的があつて訳したものは、只の一篇もないのである。
何のあてもなく、ただ訳してこれを国語に移しかへる快楽の故のみになされたも
のだつた。
と書いた。
「ただ訳してこれを国語に移しかへる」ことが楽しくてたまらなかったのである。そうして成った一書は、佐藤春夫に捧げられた。
海よりの風かがやかぬ曇り日に庭をあやしてゐるしやぼんだま
シャボン玉のまわりをくるくる廻っている庭!うっとり~。シャボン玉は何処に連れていってくれるのでしょう。
私も飛ばしてみたくなりました。ありがとう。E.
〈筋〉もしなやかで強靭なのですね。Y.