2019年 05月 21日
『石蓮花』吉川宏志 『歓待』川野里子 『光のアラベスク』松村由利子 藤野早苗
日曜日の晶子さんの記事を読んで、ずいぶん歌集について書いてなかったことに気づく。そこで今日は三冊。
『石蓮花』 吉川宏志 (書肆侃々房)
1時雨降る比叡に淡き陽は射せり常なるものはつねに変わりゆく
2パスワード******と映りいてその花の名は我のみが知る
3旅はたぶん窓の近くに座りたくなること 山に石蕗光る
4亡き人を知らざる人に語りつつ青菜は鍋に平たくなりぬ
5リュウグウノツカイが棲んでいるような春の空なり尾びれゆらして
6アメリカから剝ぐことのできぬ爪として日本はあり 戦近づく
5月11日の福岡支部出前歌会にお招きした大松達知さんが、ミニ講座の資料としてご紹介下さった一冊。大松さんのリードに従って再読。なるほど、見えてくるものがたくさん。
永遠であるためには恒常的な変化が必要なのだということをリフレイン(「賞を獲りたかったらリフレイン」by大松氏)によってなめらかに伝える1番。アスタリスクの伏字に隠されたパスワードを「その花の名」と呼ぶ自在な2番。旅を独特な定義でくくる3番。「亡き人」の話をする作者とそれを聴く人々に流れる時間を「青菜が鍋に平たくな」ると譬える4番。リュウグウノツカイの存在が空の広さを語る5番。「尾びれ」に躍動感がある。6番の「剝ぐことのできぬ爪」には日本の逼塞してゆく現状が的確に表現されている。
あまりにもさりげなく詠まれているので、見過ごされがちだが、吉川作品にあるレトリックは実はけっこう前衛的だ。それをきわめてナチュラルに一首の中に取り込んでしまうのが吉川の力量なのだ。
『歓待』 川野里子 (砂子屋書房)
1延命処置断るはうへゆれながら傾く天秤 疲労のゆゑに
2倶会一処 死ねば居場所のある母か赤い椿がつくづくと見る
3雪降つたね餅を搗いたね笑つたね遠いところへ行つてしまふね
4ああそこに母を座らせ置き去りにしてよきやうな春、石舞台
5神の手が初めて創りし泥人形のやうなれど吾に手を伸ばしくる
前作『硝子の島』で長く母上の遠距離介護を続けていることを詠んだ川野。本歌集においても母は重要なテーマとなっている。人生百年を謳いながら、その長寿を支える公的福祉は事実上破綻しているこの国。これが過渡期なのか、このまま奈落へ突き進むのかは定かではないが、自身も加齢をしてゆく中で親の老いを、死を、個人が引き受けねばならない苦渋が滲む。
歌集名『歓待』は、「次第に狭量になってゆく世界で、枯れ枝のような一人の老人は、小さな献身の連続によって温められ、尊い命となることができた。それは何という命への歓待であったことか。この歓待こそ時代への抗いなのだ。」(あとがき)という、母上を介護してくれた方々への川野の思いに由来する。一つの命に誠実に向き合ったからこそ舐めねばならなかった辛酸ではあるが、そこに差すひとすじの光の存在を肯う歌集名に慰められた。
『光のアラベスク』 松村由利子 (砂子屋書房)
1この世あまねく覆われゆかん粘りつくポピュリズムという暗愚の糸に
2にっぽんに夢多からず『赤毛のアン』のふるさと目指すツアー廃れず
3欠けてゆく欠けてゆくああ満ちてくる自ら太る女の肝胆
4詩を問われ詩人は答う「一滴の血も流さずに世を変えるもの」
5世界中の人が使えば地球ひとつ終わる温水洗浄便座
6インド製ユニクロのシャツのほつれ糸手繰れば今日も少女売られる
松村は「かりん」所属の歌人。福岡市出身(娘の小学校の先輩で、夫の高校、大学の後輩というご縁が嬉しい)。新聞記者を経て、現在は沖縄の離島に暮らす。外縁と見えるところに居住しながら、いや、するゆえか、歌人の批評眼は近年、より一層鋭さを増している。
「ポピュリズムという暗愚の糸」が覆い隠そうとするものは何なのかを問う1番。もう夢を見ることもかなわないこの国の現状から目を逸らす人々を詠んだ2番。自然へ回帰した暮らしの中で豊かに太る女性の本能を詠んだ3番。詩を生業とするもの同士の共鳴が感受される4番。「温水洗浄便座」、「インド製ユニクロのシャツ」が実は世界の綻びに繋がっているのだというミクロからマクロへの視点の転換鮮やかな5、6番。
知的レトリックの見事さは言うまでもないが、南島に移住して以降の松村作品には屈強な体力を感じる。心身一如、南島が松村に与えたものの大きさを思う。
三冊の歌集、どれも作者の個性の際立つ作品であった。三冊に共通するのは、憂国の思い。それは社会詠にも通じるのだが、社会詠としてしまうと取りこぼしてしまうものをこまやかに、あくまでも自分というフィルターを通して丁寧に詠んでいる。
瞠いてつぶさにぞ見よいうきうと呼ばれしものの崩れゆくさま
矮小な世界で生きている私は、もっと社会に目を向けなければ、と反省いたします。E.