2019年 04月 03日
最終日のエッシャー展 有川知津子
3月19日の早苗さんの記事を読んで、行きたいなあ、と思ったエッシャー展。でもなかなか行けなかったから、あまり真剣には思っていなかったのかもしれない。
最終日の30日。アジア美術館に電話をすると、最終日も通常どおり午後8時(入館は7時30分)までという。ぐるっと出掛ける。5時半に到着できた。2時間半はある。思ったより人が多い。
エッシャーの特徴的な作品については早苗さんの詩的な報告がある。それらはほんとうに、よかった。
その一方で、ふつうの作品を見られたのもよかった。錯覚や錯視や反射に心を砕いた作品ばかりではないのだ。こんな時期もあったのかあ、とかえって新鮮に思われた。初期の塚本邦雄に伝統的な歌を見つけたときのようなかんじ、といおうか。
エッシャーは版画ひとすじの芸術家だった。油絵などの他の表現には、手をそめていない。上に、「ふつうの」と書いた作品でも、版画ということを思い出すなら、ちっともふつうなんかじゃなく、これ版画よね、版画でここまで、と気持ちは高揚する。
しかしそれは少しちがって、実は版画でなくてはできない表現なのかもしれない。
エッシャーは、版画に執着することで、版画にしかできない表現にたどり着いたのかもしれないと思った。
会場最後の作品を見ていると、出口はあちらです、と促される。すなおに出る。さあ、ポストカードを買ってかえろう。ところが、である。グッズ売り場は閉店していた。時計をみると8時15分。そう、とうに閉館時間を過ぎていたのだ――。
念のために言い添えておくが、私が閉館時間を遅らせたのではない。まだ、会場には撮影を待っている人が並んでいたからそういえるのである。たしかその撮影の待ち時間は、10分とか15分とかだったはず。その列には並ばずに出てきたのだから、私のぐずぐずのせいではないのである。ああ、でもごめんなさい。
そういうわけで、ここでご紹介するべきポストカードがない。ざんねん。
でんぐりでんぐりの、早苗さんのご紹介とはまた別のを、ここにあげたかった。文字の間を、でんぐりでんぐりが行進しているのだ。
ぐるんぐるん転がつてゆくエッシャーの〈でんぐりでんぐり〉命なりけり
私も、でんぐりでんぐりでんぐりのポストカード欲しかった。そして、エッシャーのリアリズムの絵も見たかったんだよなあ。初期の塚本邦雄の伝統的な歌的な表現、さすがちづりん、座布団一枚!次は愛媛でした~。残念!E.
機会があればよろしくお願いいたします!E.