2018年 12月 06日
山口県総合芸術文化祭2018 その1 鈴木千登世
昨年山口市で開かれた県の短歌大会が、12月2日の日曜日、防府天満宮参集殿で開催された。今年は役員ではなく、一会員としての参加。この日を迎えるまでの役員の方々のご苦労を思いながら、会場で出会った大学の先輩であり、かりん所属の高崎淳子さんと並んで席に着き、短歌を味わう一日を過ごした。
防府天満宮
開会式。主催者の歌人協会会長の長尾健彦氏の挨拶と来賓のご祝辞。
続いて、10時30分から広島県歌人協会会長の香川哲三氏の「佐藤佐太郎純粋短歌の世界」というテーマでの講演。香川氏は昨年同名の『佐藤佐太郎純粋短歌の世界』という500ページを越える佐太郎の評論を出版され、佐太郎の全十三冊の歌集について、作歌の背景や作品世界を具体的に論考されている。講演では佐藤佐太郎の十三冊の歌集を年代ごとに追いつつ作品から見えて来るものを縦軸に、作歌姿勢を貫くものを横軸にしてお話くださった。
・薄明のわが意識にて聞こえくる青杉を焚く音とおもひき 『歩道』
・苦しみて生きつつをれば枇杷の花終わりて冬の後半となる 『帰潮』
・みるかぎり起伏をもちて善悪の彼方の砂漠ゆふぐれてゆく 『冬木』
・海の湧く音よもすがら草木と異なるものは静かに睡れ 『形影』
・島あれば島にむかひて寄る波の常わたなかに身ゆる寂しさ 『天眼』
晩年の言葉として紹介された「言葉では言えないものを言う。だから自分の心を言い当てるということに苦心しなければならない。」「言葉に境涯の影があり、影に境涯の声のある如くせよ。」が心に残る。
目に見えるものの背景を短歌にこめた佐太郎の写生の鋭さと重厚さ。物の核心を捉えた表現。言葉の重量感。描写に込められた哲学的な深い思いやいのちへの慈愛の心。佐太郎の77年の人生を歌に添って展望する中で書き留めたメモの一部。詩の純粋性を短歌に求めた佐太郎の詩人としての心を作品を通して丁寧に解説されたあっという間の1時間だった。評を聞きながらしきりに「修練」という言葉を思い起こした。見ること、描写することを改めて考え、佐太郎の作品世界に浸った講演だった。
すみません。ここまで書いて時間が……。大会の後半は次回にご紹介します。
ぼんやりと見ているだけでは見えぬもの冬の海へと参道は伸ぶ
ちーさまも、今年は一参加者として堪能された事と思います。
続報楽しみにしています。E.