2018年 11月 17日
シンポジウム「発禁と検閲」に行ってきた 栗山由利
先週の土曜日、西南学院大学で開かれたシンポジウムに夫と行ってきた。テーマは「発禁と検閲―英米中にみる生の枠組みの変遷」。
息子がこのテーマの中国の部分を担当するということで、珍しく来てもいいよと声がかかったからであった。まだ新しい学舎は赤煉瓦風の壁が秋の空の青さに際立っていて、土曜日ということもあってか、小さな子供を連れた人もキャンパス内で見受けられた。お昼どきだったので学食に行くと、ランドセルをしょった小学生とお母さんで満杯になっていた。安いので近所の人たちも気軽に利用しているのだろう。
シンポジウムは大学内のコミュニティーセンターで開かれ、登壇者は息子と同年代の英米中の文学や映像、音楽の研究者だった。広くお知らせをしてなかったので参加者数を気にしていたが、それでも10人を超える人が集まりそれぞれの講演に真剣に耳を傾けていた。
中国ではすでに紀元前213年の「焚書」という形で初めての「禁書」が登場し、この時儒生460余人が穴に埋められたという。その後反対に儒教の重要性が高まり、その絶対的地位が確立されると皇帝の権力と結びつき天文・占い、仏教、老荘に関する書物も頻繁に禁止されたそうである。近世になり清の時代には「読むべき」本が選定され、その中に入らないものは「禁書」だとされたこともあったという。
英国でも同様に政治的、宗教的、性的理由によって古くから「禁書」「焚書」が報告されている。アメリカでは現在も『禁書週間』というものがあって、その年の禁書がランキングをつけて発表されるそうである。過去においてあの世界的ベストセラーの「ハリーポッター」も禁書として報告されたという。理由はそのオカルト性、魔法、サタニズムなどがあげられたが、時期が2001年から2003年ということでその裏に9・11の影があるのではないかとも言われているという話であった。
難しい話で退屈するのではないかと危惧しながら参加したのだが、時間はあっという間にすぎ、過去の歴史を振り返ることは、今私たちが置かれている時代を考える上で必要な事だと改めて確認したシンポジウムだった。
大学の改革などが議論されると、真っ先に文学部などの人文科学系学部や大学院が名指しされるのだが、直近の結果を求めるものだけが学問ではないと私は思っている。この日講演した若き研究者たちが安心して研究に打ち込める環境が整うことを願っている。
学食のランチと真剣に聴いた講演に、遠い学生時代を思い出した一日であった。
平積みの本よりゆかし店奥の書棚にならぶ文字のつぶやき
学問に対するユリユリの見識、素晴らしいです。S.
しかし、今の学食豪華~。E.