2018年 11月 03日
ノスタルジー 栗山由利
先週、学会で東大を訪れた夫からLINEに「東大といえばこれでしょう」と安田講堂の写真が送られてきた。するとすかさず「私も撮りましたよ~」と息子も同じように送ってきた。東大といえば安田講堂。私たちの年代では東大紛争で全共闘に占拠され、最終的には機動隊により排除された〈東大安田講堂事件〉が記憶に深くある。
三年前、新聞に九大の箱崎キャンパスで「近代建築物撮影ツアー」なるものが開催されると知り、写真や建築物に特段の興味があったわけではなかったが、秋の日の散策のつもりで参加した。伊都キャンパスへの移転に伴い、いずれ壊される建物も多いということもあってか、卒業生など大学側の予想を大きく超えた参加者数だったようだ。造られたのは推定大正3年という正門をはじめとして、大正から昭和の初期に建てられた建物は柱の一本一本や階段の手すり、入口のステンドグラスなど、細かいところまで装飾が施された重厚という一言では言い尽くされないものであった。これらの解体される建物はレーザースキャニングの技術を使って、記録として保存されると聞いたが、やはり惜しいことだ。
そして、今年の9月、ちょうど放生会の前日に9月いっぱいで伊都キャンパスへの移転が完了するという九大に再び足を運んでみたのだが、行ったことを後悔した。工事用の塀に囲まれ、立ち入り禁止の立て札や貼り紙が目に付く構内を引越し業者のトラックが走り廻り、植え込みや樹木は伸び放題で雑草もいたるところで茂っていた。その少し前に、研究室を無断で使用していたとされる卒業生の男性が、退去を求められたすえに部屋に火をつけて命を絶っていた。
札幌に行けば必ず訪れる北大では、同時代の建物が少しずつ改修されて現役で活躍しているのを見るにつけ、何とか残す手立てはなかったのかという思いに駆られる。
手元にある撮影会で撮った写真を大切に持っていようと思っている。
弾けとぶ声なき午後のキャンパスに蟬声だけがながく尾をひく
福岡は文化的な事に予算を使わないですよね。跡地は何になるのでしょう。E.