2018年 10月 12日
海老原光子第一歌集『つんつんつばな』 大野英子
海老原さんは、このブログ〈南の魚座短歌日乗〉の元となった、三人だけの小冊子『みなみの魚座』の立ち上げメンバーであり、棧橋から灯船でのお仲間でもある。
海老原さんの一冊には〈ふるさと〉という暖かい空気が流れている。
温暖な宮崎という土地柄もあるのだろうが、豊かな自然に対する海老原さんの眼差しにも拠るのだろう。
・アスファルトに田の土黒く落しつつ威風堂々田植機帰る
・故郷と書きつつ故の字愛しめりいつか私に冠する一字
・音もなく冬の陽ざしは降りそそぐ田の神様の欠けし鼻にも
・無戸室の跡をおほへる杉苔にしらじら遊ぶ土用のひかり
・しんとして海鳴りまでも聞こゆる日もうぢき馬酔木の花がひらくよ
大仕事を終えた田植機の誇らしげな様子。「故」の文字も故郷に繋がると思えばという思索。
古来より田畑を見守ってきた田の神様の欠けた鼻に降りそそぐ陽射しに大いなる自然と伝統を嘉する海老原さん気持ちが伝わる。どの歌も宮崎という土地の持つ空気感が色濃く出ている。
海老原さんの日常と心の揺れを詠んだ作品から。
・こぶし咲き馬酔木、沈丁花匂ひ来て春は新しき靴欲しくなる
・春さきの野草おほかたアク持てば思ひ出すなりわが反抗期
・焼き茄子はぽんと弾けてしぼみたりわが拘りもそんなものかも
・機械にも機嫌よき日のあるらしく今日のミシンは軽やか軽やか
・頼まれて入学準備の手さげ縫ふ縫ひものオンチの嫁を持つ幸
・内臓を持たねば影はらくらくと折れて社の石段くだる
巻頭の一首から始動の季節への期待感と積極性にワクワクする。「反抗期」や「拘り」も軽くいなしながら前向きに暮らす様子が伝わる。裁縫がお好きなのだろう。軽やかなミシンは海老原さんそのものであり、頼まれる手提げ作りも心踊りが伝わる。「影はらくらく」からは、私はしんどいけれどというユーモアがあり、どの歌も向日性がある。
明るさは人間観察にも働いている。
・バスを待つ男のしたる大あくび夕陽がぐいと吸ひ寄せらるる
・胃袋を吐き出すほどのくしやみして男過ぎるたり真昼の団地
・失礼と声かけ来たる人ありて煙草の臭ひが先に坐りぬ
・もう誰も〈そのまんま〉とは呼ばぬかほ物産館の幟りに笑ふ
・喜劇役者ならば詮なし幕引きの「そのまんま」劇は粗末でをかし
・真正面を定位置とする男ゐていつも斜めにテレビ見るわれ
眉をひそめたくなる「大あくび」「くしやみ」「煙草の臭ひ」も海老原さんにかかるとユーモアとなり、人物像もくきやかに立ち上がる。
四、五首目は東国原劇場と呼ばれ積極的な広報活動により宮崎ブランドを定着させた手腕と、その呆気ない幕切れを詠む地元ならではの視線だが「詮なし」と明るい。
六首目はご主人だろう。長年連れ添い、安定した間柄だからこそ詠める一首。世の多くの妻たちは「うちもそう~」と共感しているだろう。
この歌集は「何かと心配をかけた父への感謝を形に」と編まれている。
父はツマベニチョウを宮崎で繁殖のための保護活動を続けられた海老原秀夫さん。この秋、百二歳になられ、コスモスにも現役で出詠され、全国のコスモス会員の励みとなっている方。
・世話になる、面倒掛ける 畏れゐし父が言ふからさびしくなりぬ
・ゆるゆると優しくなつた父とゐて海のうへ行く雲を見てをり
・百歳の秀ぢいちやんは物知りで何でも教へてくれると児の言ふ
・クレアチニンの基準値きけば百歳の数値は知らぬとドクター笑ふ
私達には、いつも穏やかな微笑みを湛えたお父上のイメージしかないが、娘さんにはたいそう厳しく接し、畏れられていたようだが、現在は共に穏やかな暮らしが伝わる。
もうひとり、最大の故郷を感じさせてくれるのは母の歌
・杉の間を霧の流るるわが故郷会ふ人はみな母に繋がる
・墓標には母の名ひとつ墓の下の壺中にひとりの母の恋しき
・休み休み母が訪ひ来しこの道にまた薮つばき咲きて母亡し
・母の日の母の墓処のそのめぐりゆたかに揺るるつんつんつばな
亡くなられて二十年になり、折々訪れている母の墓所を取り囲む空気が慰藉を感じさせてくれる。
ご両親の豊かな情愛があってこその、海老原さんのふるさとを内包する一冊となったのだろう。
ただ一度訪ひし日向にワープするまだ父母が待ちゐしころの
読み終えて机上にあります。英子さんと読書会をしている気分になりました。ご紹介、ありがとうございます。Cz.