2018年 07月 30日
旧下関駅界隈 百留ななみ
明治34年。赤間神宮そばの春帆楼で日清講和条約を交わして6年後、赤間関駅は現在、警察署や図書館のある細江町に開業した。山陽本線の終着駅。
目の前の海岸からは門司への渡船が1日に50往復もしたという。なんとういう賑わい。ちなみに明治19年の都市人口の統計では赤間関市(今の下関市)は全国26位の3万人ちょっと。福岡市は17位で4万ちょっと。14位は鹿児島市、15位は熊本市。
炎天だが、ぽっかり空いた待ち時間。まだ朝だし大丈夫かも。
岸壁ちかくのマンションやビルの日陰を歩く。警察署前の海への広い道。街路樹はほとんど花を落としたデイゴ。朝の海峡ゆめタワーはまだぼんやりと眠たそう。こっちの通りはヤシの木でやはり南国ムード。
ドリームシップ裏の駐車場。たしか数年前まで旧国鉄が管理していた雑居ビルは明治35年開業の山陽ホテル。皇室も泊まられていた由緒正しきホテル。火事のあとの再建の設計はたしか辰野金吾。手入れが行き届いてなかったせいか老朽化での取り壊しは止む終えなかったようだ。
つい先日、対岸の門司港駅の修復が終わったニュースを見ただけになおさら残念・・・。とか思いつつ歩いていると大通りの市営細江駐車場のそばに石碑がある。なんだろうと近寄ると夏草にちょっと隠れている吉井勇の歌碑。
大いなる船ほうほうと汽笛ならし馬関海峡暮れにけるかも
吉井勇
そう馬関海峡ともいっていた。今でも大きな船が1日500隻も行き交う。
数10メートル行くとまた同じような石碑が。今度は・・・と近づくとなんと若山牧水。
桃柑子芭蕉の実売る磯町の露店の油煙青海にゆく
若山牧水
桃やみかん、バナナを売る夜店とはあやしげな活気にあふれている。油煙とは何かを焼いているのだろうか。宮崎の牧水は旅に出るたびに関門海峡の渡船を利用したのだろう。
なんだかまだまだありそうで、近くをうろうろしたら、今度は斎藤茂吉の歌碑。
雨雲のみだれ移るを車房よりわが見つつ居り関門の海
斎藤茂吉
茂吉は暴風雨の関門海峡沿いを車ではしっているようだ。海峡は天気によって今でも大きく表情を変える。
もうひとつ種田山頭火の碑も発見。
まだあるかもしれないが暑さでギブアップ。
思いがけず見つけた歌碑。海峡はそのまま、汽笛の音もそのままだが、人影はまばら。世は常にはあらず。
賑わいを妄想しつつ炎天下を歩くのも悪くない。
バナナ売る桃売る声が海峡の波音消しき馬関の夜店