2017年 08月 20日
臨海学校 大西晶子
むかしむかし、五十年以上まえのことだ、通っていた北九州市小倉の小学校では毎年、五年生と六年生は夏休みのはじめに臨海学校と称し現在の福津市津屋崎で合宿をしていた。
2泊3日の日程で、午前は海水浴、午後は昼寝と海水浴・近所の銭湯での入浴、夜は夕食の後は就寝まで自由時間の繰り返しだったと思う。
夜の自由時間は先生方は多少のアルコールも入り、トランプのゲームにつきあって下さったり、怪談を話して下さったり、普段とは違う親しさで楽しい時間だった。
津屋崎の暗い海を見ながら、砂浜に座って聞く怪談は怖くて面白かった。中でも教頭先生のお話は怖く、結核病棟に治りたい一心の患者が居て、お墓に行き骨を齧るなどと話されると、その患者のスリッパの音のシューッ・パタン、シューッ・パタンという擬音が耳に残り、部屋に戻っても聞こえきそうでドキドキした。
でもそれ以上に怖かったのは、津屋崎海岸で水死者が出たという実際にあった事故の話だった。小学生の女の子が海で泳いでいたら、海に引きずり込まれるように溺れたと言う。正しくその場で聞き、しかも「あのあたりで~」と指さしながら、「消防団員が捜して見つかったが、、、」などとリアルな話なので本当に怖かった。最後は先生が自分の顔を下から懐中電灯で照らされたりし、堪えられなくなってみな大騒ぎだった。
それから50年以上経ったが宿泊した旅館「正直亭」は今も営業している。私たちが泊まった頃は木造二階建てで、二階の大広間にずらりと並んで布団が敷かれていたことなどが思い出される。また、津屋崎の町並も当時とあまり変わらず、どこか懐かしい。
ただ当時は旅館の裏が砂浜だったが、今は新しい道路に面し砂浜が少し遠くなった。それでも海は遠浅で、底まで透けて見えるような海水も変わらない。
今でも津屋崎を通りかかると、当時の日焼けでピリピリ傷んだ肩や背中の感触、先生がたの怪談を思い出す。
半世紀まえのある夜のおもひでは日焼けで痛む肩と怪談
怪談を聞きつつ見たる舟の灯の心細さと海面(うなも)のくらさ
今も美しい海ですが、50数年前は、その近くにお嫁に来るなんて思ってもいなかったでしょう。縁って不思議。E.