2017年 06月 06日
大松達知歌集『ぶどうのことば』 藤野早苗
大松達知の『ぶどうのことば』を読んだ。
われをみてンンンッ?と言ふ一歳児ぶだうのことば話すみたいに
どんな親不孝を君はしてくれる? みかんを五つ剝くだけ剝いて
地団駄を見せてくれたねありがたう見たかつたんだ君の地団駄
クルリンとグルリンはどこか違ふらしパパやつてみてパパやつてみる
なんで?なんで?娘は父を問ひ詰める ああ、その母のくちぶりのまま
愛娘を詠んだ作品から引いた。2014年から2016年にかけての作品を収めた本歌集中で、お嬢さんは1歳から4歳へ成長していく。
タイトルの由来となった1首目(タイトルは一読で意味がわかるように新仮名表記にしてあるとのこと。作者ならではのこだわりがここにも・・)。内側から漲ってくる、爆発的な知の力の成長を感じさせる作品。「ンンンッ」が黒くみつみつと太る葡萄のイメージを伝えている。
2~4首目。イクメンで括られがちな男性の育児参加。大松のこのような作品を読むとその濃淡について考える。父と娘の濃密な時間。赦しの時間。残念ながら「親不孝」は見られないだろう。
巻末近くの5首目。4歳になったお嬢さん。ちょっと笑ってしまった。
ラーメンを食へばなかなか腹が減らず、トシですよつて言つたねあんた
うら紙の上でからまるあたりめの下足(げそ)あり言葉よりうつくしく
バカボンのパパの齢を二つ超え余白の多いわれのししむら
言葉あたへるやうにカツブシ降らせたり孝行顔(かうかうがほ)のもめん豆腐に
不惑過ぎてジャングルジムに登りをり娘とゐれば〈変な人〉ならず
負けない、と声に出しをりたましひに燠のあることたしかめながら
つきつめて思へば人と暮らすとは人の機嫌と暮らすことなり
タレと塩ありて穏やかなる日ぐれタレはスンニ派、塩はシーア派?
1970年生まれの大松は今年47歳。そうか、もうバカボンのパパより年上なんだとしみじみする。(因みにバカボンのパパは私の理想の夫。大松の意識にやはりバカボンのパパがあったことがなんだか嬉しい。)
若いと思っていた、もしくは思っているわが身に訪れる不惑の日々。その年齢特有の鬱屈が、韻律というフィルターを通ることで沈潜し、淡々と、共感を呼ぶ作品に昇華されている。
「短歌は時代とどう向き合えるのかを常に考えます。他言語に翻訳不可能な定型のリズムを遵守し、歴史的仮名遣いや擬古文法を使用することはグローバル化に逆行することにならないか、矛盾をはらんでいることもわかっています。ただ、この詩形だからこそできることもあると信じて歌と関わってゆきたいと思います。」
大松の歌人としての覚悟が感じられる「あとがき」。
2014年 「桟橋」終刊
2015年 宮英子氏逝去
変容を強いられる中での、2016年季刊同人誌「COCOON」創刊、発行人就任。「コスモス」のみならず、現代歌壇の次世代の牽引者としての決意もせねばならない立場にあるのが大松達知だ。
実験的にならざるを得ないだろう。模索しなければならないだろう。それは、おそらく単に文芸上の試みにはとどまらず、私性の文芸短歌においては、生き方そのものに連動する問題になる。
「コスモス」6月号に島本ちひろ氏が大松歌集のタイトル、『フリカティブ』『スクールナイト』『アスタリスク』のカタカナタイトルから、『ゆりかごのうた』『ぶどうのことば』のひらがなタイトルへの変容をについて述べていたが、実に慧眼であると思った。大松の言葉への興味、関心は尽きない。言葉に執することが現代短歌を考える源であるという信念に揺るぎはない。けれど若い頃の新奇さに引かれる「知」の歌ではない、もっと柔らかな内省的な作品の登場はひらがなタイトルの使用と無縁ではないだろう。
娘のための雛(ひひな)であれどけふも見てふかく悼めりひいなさんのこと
小高さんについに会つてはもらへない娘なりパパだいぢやうぶだいぢやうぶ
七冊みな四六版なり 読、青、四月、月、四十、百、北、もう出ないんだ
挽歌を3首。
私たち福岡コスモスの仲間だった毛利ひいなさん。享年37。若すぎる。でも、こんな風に思い出してくれる人がいる。それがうれしい。
小高賢氏。悔やみきれないその死。
『読書少年』『青北』『四月の鷲』『月白』『四十雀日記』『百たびの雪』『北窓集』、7冊は柏崎驍二氏の歌集。「もう出ないんだ」・・そう、出ないんだ。
現在、NHK短歌も担当し、メディア露出もしている大松達知。振りっ切った感のある演出も、時代の遺物になってしまう危機感と常に隣り合わせの短歌が、いかに時代と繋がっていくべきかを考えた結果であるだろう。先達は辛いのだ。頑張れ、達知。
おとうとのやうなる人と思ひしが一家言ある大人(うし)となる、ああ
タイトルと装幀がよく響きあっていて、素敵な歌集です。手元においてひらいています。Cz.