2017年 06月 04日
草書のひかり 大西晶子
母は蛍が好きだった。
98歳で亡くなったのは3年前の5月18日、あと一か月で99歳だった。
今年の祥月命日の翌日、夜道を歩いていたら、道路に小さな緑色の光が見えた、車道に留まる蛍だ。近寄るとふらふらと飛び、やがて草むらに入って見えなくなる。
母の実家の、祖父の住んでいた筑後市久恵(くえ)の家は二方がクリークだった。建物は昔ながらの田舎家で、雨戸以外には戸外と室内を区切る戸がない。子供の頃、祖父の家に夏に行くと、蛙の声が遠くに近くに聞こえ、夜には家の中まで蛍が迷いこんでくる。母と祖父や叔父たちの話を聞きながら、寝転んで天井の下を飛ぶ蛍を見たりしたものだ。
晩年の母は「泣きたいほどに故郷が懐かしい」と度々言っていた。蛍は母には故郷の象徴だったのかもしれない。
蛍を見た車道の近くには小川がある、母と蛍を見に来たこともある場所だ。草むらに踏み入り小流れの見える場所に行くと、居る居る。
翠の光が音もなく明滅しながら幾つも闇に線を描いている。
暗黒にほたるの舞ふはやはらかき草書(さうしよ)のごとしひかりの草書
高野公彦『地中銀河』
本当に「ひかりの草書」そのままだった。
母が「蛍を一緒に見よう」と私を誘ってくれたのだと思った。
それから一週間ほど後、ローカルニュースで福岡県の各地で蛍が出始めたと報じるのを聞いた。
てのひらに留まるほたるの明滅に気づけば息をあはせてゐたり
晶子
40年くらいみていないなぁ。E.