2017年 02月 15日
妖狐 有川知津子
小鼓の演奏会のご案内をもらった。イギリス浪漫派詩人の研究者であるマキさんは小鼓奏者でもあり、この演奏会では「殺生石」(せっしょうせき)の舞台にあがるという。
殺生石、殺生をする石。それに近寄るものをことごとく死に至らしめるという妖しの石。
こんな伝説がある。
ときは平安の代。玉藻前(たまものまえ)という宮廷女官がいた。美しく、詩歌管弦をよくした玉藻前は、しだいに鳥羽の院の寵愛を受けるようになる。ところがあるとき、狐の化身であることを陰陽師に見破られてしまう。――人の姿を借りた妖狐だったのである。看破された妖狐は追っ手から逃れようとするが、ついに那須野で討たれて石になってしまった。
殺生石は妖狐の執心の石なのである。
舞台のマキさんは、長い髪をすっきりとまとめあげ、ほっそりした身を水浅黄の着物に包んでいた。しだいに打音と掛け声が堂内を圧してゆく。しばらくすると舞台に座するマキさんの背後が異様にふくらんだように見えた。それは、ただならぬ、としか言いようがなかった。
日々の稽古の幾重もの幾重もの積みかさねの上に築かれる本番という舞台。もし、その舞台の一点の集中の尖端にのみ降りてくる境地があるとしたら、今がそれだとわかった。マキさんの凄愴な美しさに圧倒されていた。
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能楽堂からの帰り道で
そんなつもりぢやなかつた顔の子猫をり肉球と空をこもごもに見て
ただ、「 殺生石は温泉の出る山陰にあり。石の毒気いまだほろびず、蜂・蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほどかさなり死す」*と記述があるので、芭蕉が行ったころにもやはりガスが出ていたのでしょう。ちづりんのご友人の小鼓の演奏中の変容はなにかが憑いていたのでしょうか。別世界に行って居られたのかもしれませんね。 A