2017年 01月 10日
河野裕子〜太母〜 藤野早苗
今日は、その稿に書ききれなかったことを少し書いておこうと思う。
この本の編者は永田和宏・淳・紅。河野の歌集全15冊6585首から1567首が収録されている。家族が選んだ河野作品は、どの歌集にもまして河野裕子の生の気息を伝えている。
好きな作品を引く。
・産むことも生まれしこともかなしみの一つ涯とし夜の灯り消す 『ひるがほ』
・子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る 『桜森』
・朝に見て昼には呼びて夜は触れ確かめをらねば子は消ゆるもの 『紅』
・おまへたちしつかりお聞きとまづ言ひて羊の母親の必死を思ふ
子を詠んだ作品。剥き出し感が凄い。
子を育てるという疾走感が満ち満ちている。太母。河野作品のイメージを一言で言うならそれに尽きる。豊穣、包容。母胎回帰。実際、現代短歌に豊かな女性性を取り戻したのは河野裕子の功績である。
・晩年は噫さうかいと言ふだらう飯食ふときもものを尋かれても 『家』
・君に似た子を二人産みし世に蚊帳吊草の細さにガガンボがゐる 『歩く』
文字通り、血肉を分けた子どもたちが物理的にも精神的にも、離れて行った頃からだろうか、河野作品にしんとした冷えが添うようになる。太母は豊穣な女性性の象徴であると同時に、飲み込み、巻き締めるものの象徴でもある。母としての包容力が強いほど、負の力も強くなる。もちろん河野に悪気はない。一途に子らの幸せを願っている。けれど、子どもはある時期からその愛が苦しくてたまらなくなる。いわゆる母殺しの時期を経て、子どもは自立するのである。母親にとって、最も辛いのがこの時期。注ぐ先を失ったエネルギーはしばしば自身の内側に向かい、破滅衝動を誘発する。河野にとって大きな救いだったのは、若い頃から変わらず、献身的に支え続けてくれる夫、永田和宏の存在があったことだろう。
その後、河野は宿痾に罹患し、10年に渡る闘病ののち、2010年8月に亡くなった。『庭』『母系』『葦舟』そして遺歌集『蟬声』、これらの歌集にその経緯は詳しい。
・病むまへの身体が欲しい 雨上がりの土の匂ひしてゐた女のからだ 『母系』
・ごはんを炊く 誰かのために死ぬひまでごはんを炊けるわたしでゐたい『葦舟』
・陽に透きて今年も咲ける立葵わたしはわたしを憶えておかむ
・過ぎゆきし歳月の中の子らのこゑお母さん、お母さんどのこゑも呼ぶ『蟬声』
・子を産みしかのあかときに聞きし蟬いのち終る日にたちかへりこむ
ああ、もうこのあたりになると全歌、引用したくなるほど、力ある歌が揃っている。これが死期を間近にした人間の作品とは到底思えない。河野の追悼号に小島ゆかりが寄せた言葉を思い出す。裕子さんは、生の時間の中で死を生き、死の中で誰よりも鮮烈に生を生きた…、そんな言辞を捧げていたと記憶する。全く同感である。
・あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき
・さみしくてあたたかかりきこの世にて会ひ得しことを幸せと思ふ
・手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
『蟬声』掉尾の3首。ベッド脇で家族が口述筆記したものだ。入寂の瞬間の神々しさが伝わるような作品である。「あなた」はこの歌を読んだ人みなに宛てた呼び掛けだと言ったのは永田和宏。河野裕子本人の真意は今となっては不明だが、なるほど、この歌を母なるものの原型、太母の言葉だとすれば、河野無き後の空虚さも少しは解消されるような気がするのだ。
洗ひもの片づけシンクに水放ち ああ母といふ昏き裂け目(クレバス)


シモーネ・マルティーニ「受胎告知」
900文字にも、書けなかった思いがある早苗さんも、思いを湧かせる『あなた』も凄いです。読まなければ。
総合誌の発行日も待ち遠しい。E.
河野裕子さんは私には憧れの人でした。でも母としては、ずっと「子供は天からの預かりもの」と思っていましたので、まるごと自分のものとして感じることが少なかったようです。情が薄いだけかもしれませんが。 A


