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天鼓   藤野早苗

 いろいろな催しにお邪魔する機会が増えています。今回書いておこうと思うのは、3月16日(土)に開催された「天鼓」。観世流能楽師今村嘉太郎さんが会主を努めていらっしゃる「よしたろう会」主催の第二回能楽公演です。昨年は「融」。こちらもとても素晴らしく、当ブログにレビューを書きました。前回素晴らしいとその次の上演はそれを上回らねば、というプレッシャーが大きくてさぞかし大変だろうと思いながらお邪魔した大濠能楽堂でしたが、結論から言うと全くの杞憂でした。今年も嘉太郎さん、素晴らしかった。お能に詳しい方々はもっと違った角度から専門的な鑑賞をされるのだろうけど、ここは一素人の感想ということで、諸々お目こぼしいただきながらお読みくださいませ。


 今回の演目「天鼓」は世阿弥の作(と言われています)。前半と後半で、シテ(主人公)の姿(面)が変わる複式夢幻能の体裁の一曲です。以下、あらすじを貼っておきます。


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前シテの面 子牛尉。


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後シテの面、慈童。



A 後漢の頃、天鼓という名の少年がいた。この子が胎内に宿る時、母である王母は、天から降ってきた鼓が胎に息づく夢を見たという。それに因んで生まれた子は天鼓と名付けられ、さらに不思議なことには天鼓誕生後、実際に天から鼓が降ってきたのだという。少年天鼓はこの楽器天鼓とともに成長し、少年の打つ鼓の音はえもいわれぬ天界の楽音がすると、その名声は皇帝の耳にも届くこととなった。そのため、皇帝の勅使が天鼓の父母である王伯・王母の元を訪れ、鼓を差し出すように勅命を下す。それを諾なわない少年天鼓は鼓を抱えて逃げ出すが、あえなく捉えられ、呂水(河)に沈められ落命。鼓は奪われ、宮廷に運ばれるも、誰が打っても全く音を発しない。

B 業を煮やした皇帝は王伯に勅使を送り、宮廷で鼓を打つよう命じた。王伯は死を覚悟で上洛し、皇帝の前でわが子天鼓への思いを胸に鼓を打つ。するとあろうことか、鼓はこの世のものとは思えない妙音を鳴り響かせ、その音色に心うちふるわせた皇帝は王伯に褒美を与えて帰し、少年天鼓の冥福を祈るために、呂水のほとりで音楽による法要「管弦講」を催した。

C 管弦講当日、皇帝が呂水に向かうと少年天鼓の霊が現れ、鼓を打ち、管弦の音に乗って舞い踊る。楽しげに舞う少年天鼓の霊は、夜明けとともに消えてゆくのであった。


以上が「天鼓」のあらすじです。字面で読むと理不尽で悲しい物語です。天からの授かり子を権力者の横暴で奪われてしまうのですから、憤懣やる方ないストーリーです。でも、これが能という舞台劇になると全く違った印象の物語になるのだから不思議です。


 まず、構成について確認しておきましょう。あらすじに書いたAの部分、ここは最初に舞台に登場するワキ方(生きている人間で識者。直面で現れこの物語では勅使)が前日譚として観客に語ります。その上で、物語前半Bに舞台が繋がり、橋懸りから天鼓の父王伯登場。こちらが前シテ。面は格式高い子牛尉。翁面の一首です。この面から、王伯の品高い為人が察せられます。そしてこの面、角度によって悲しみ、苦しみ、喜びなどの表情が非常にこまやかに表現できるのでした。王伯の打った鼓が鮮やかな妙音を響かせたことで、呂水に沈んだ少年天鼓の管弦講をしようと思い立った皇帝、その当日のさまが語られているのがC。舞台は後半、後シテの登場です。面は慈童。幼さの残る少年の面です。装束も前シテの時とはうって変わって華やかなものになっています。前シテも後シテももちろん中の人は今村嘉太郎さん。考えてみれば、能楽師さんは一つの舞台で二つのキャラクターを演じ分けねばならないわけで、大抵の場合、その振り幅はかなり大きい。ギャップ(落差)があるほどドラマティックというのは古今東西論を俟たない演劇上のセオリーですよね。


 Aの部分は名ワキ方、宝生流能楽師御厨誠吾さんが見事に演じられました。抜群の安定感。物語を回すのにはなくてはならない存在です。Bの王伯、橋懸りからの登場シーンには異様な緊張感がありました。静かに時が流れます。舞台中央に置かれた鼓にゆっくり向かう王伯。ためらいながら打った鼓が鳴った瞬間のカタストロフィーに一瞬で緊張の糸が切れました。子牛尉の顎が上がり天を仰ぐその晴れやかさ。鳴り響いた鼓の音は、少年天鼓から父王伯への応えだったのでしょう。そして場面はCへ。管弦講が営まれる呂水のほとりに現れた少年天鼓の霊。無惨な死を遂げたとはいえ、その魂は清らかで身体を失った今もなお、この世に生きることの楽しさ、美しさを伝えるそのさまに涙を誘われました。無垢な魂、その形を慈童の面をつけた後シテに見た思いです。


 能の演目によっては小書(こがき)というものが添えられていることがあります。これは能楽における特殊演出のこと。今回の「天鼓」には「弄鼓之舞」とあり、遊舞の際の囃子方に、通常は使用されない太鼓が使用され、その歌舞性を高めていることがわかります。舞台方丈ところ狭しと舞い踊る天鼓の霊。その魂の躍動のさまそのままに打ち鳴らされる鼓の音色。その美しい混沌にこころを預ける時間の豊かさに痺れました。この時間がいつまでも続きますように、そう思っていると、いつしか朝。管弦講の夜は明けて、天鼓の霊も彼此の境の橋懸りに静かに消えて行ったのでした。


 この「天鼓」の作者は世阿弥と言われていますが詳細は不明です。しかし、物語が生まれたのは世阿弥の時代、すなわち戦乱の世です。幼い命が理不尽に失われる、その悲しみに遭遇せざるを得なかった親たちもさぞかし多かったことでしょう。この物語の根底にはそうした無垢な魂への祈り、鎮魂があるのでしょう。後シテの華やかな舞を堪能しながらいつの間にか涙が流れていたのはその祈りが一観衆である私にまで届いたためだったのではないかと思います。芸能って素晴らしい。余白の多いお能の、その余白にこころ遊ばせた午後でした。


  


   深呼吸してさあ一歩踏み出さん春の鼓がどこかで響く



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当日のパンフレット。
スタイリッシュ。


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感動するとお腹空く。
ミスタードーナッツ大濠公園店にて。



# by minaminouozafk | 2024-03-19 11:11 | Comments(0)

ふきのたう 百留ななみ


蠟梅が咲く頃からそわそわ蕗の薹が気になり始めるが、この春はまだ蕗の薹を食べていない。もう弥生半ばちょっと心残りだがもう無理かもしれない。


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いつもまだ寒い2月頃に道の駅やJAの店などで地元産を見つけたら即購入。散歩しながら探しても葉っぱや花ひらいたものは見つけるが、蕾の蕗の薹にはなかなか出会えない。



3月はじめの長府庭園、水辺の蕗の薹はすっかり大きく花ひらいていた。それから10日ほど過ぎ、肌寒く降り続いた雨が上がり急に暖かくなった朝、久しぶり功山寺を訪れた。裏の墓地への坂道は春の雨をしっかり含んだ黒土。毎春、蕗の薹や土筆が生えている場所。3月半ば元気に蕗の葉っぱが繁ってよく見るとまだ蕗の薹もちらほら。日当たりがいい場所のせいか満開。ちょっと遅かったようで残念。もしかしたら日陰ならと少し期待しつつ歩く。


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ゆるゆる坂をのぼり墓地から民家への路地。そばの栗の木のある空地にはいつも蕗の薹が。前日までの雨で多少ぬかるんでいるが蕗の薄緑がみずみずしくうつくしい。あちこちに蕗の薹も…ほぼ満開だかまだ大丈夫そうなものを3つほど摘む。うれしい。



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大切にかばんに入れる。ちょっと開き過ぎだが天ぷらなら大丈夫。軽やかな心地で坂を下っていると右手の木立の地面が薄緑色。やっぱり蕗。日陰の土に蕗の薹。つぼみの蕗の薹。なんだか待っていてくれていたようで、嬉しくなってしばらく見つめていた。小さな蕗の薹を6ついただいた。



花も人も邂逅の不思議。想いが通じた喜びがこみあげてくる。あつあつの天ぷらの春の香り、鼻にぬける苦味。やっぱりおいしい。





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もうひとつ蕾のふきのたうを摘む雨あがりたる寺の黒土









# by minaminouozafk | 2024-03-18 07:33 | Comments(0)

 このところ紙に文字を書くことが減っている。書く機会といえば、買い物のメモ、家計簿、介護の書類に住所や氏名を書く、コスモスの詠草を清書する、その程度しか思いつかない。

気が付いたらパソコンかスマホに向って文字を打っていることの方が多くなっていた。そんな私だがFacebookの〈文房具が好き!〉というグループの一員になっている。これは間違えて触ったキーか何かのせいで、意図して入ったのではないのだけどメンバーの文房具愛が伝わって来るし、新しい文具の情報に驚いたりすることもあり結構楽しんでいる。

 そんな情報に影響されたわけではないが、新しいボールペンが欲しくなって久しぶりに文房具店に行ってみた。

 中に入ると先ずは三菱のコーナーを捜した、必要に迫られ急いでボールペンを買う時はいつも奥村晃作さんの「ボールペンは三菱がよく~」につられて三菱ボールペンを買っていたからだ。三菱鉛筆の名はあの大「三菱」と全く関係がないことをつい最近知ったばかりで、面白かったがそれはまたいつか。しかしなぜか三菱の売り場が見つからず、〈文房具が好き!〉で名前を知っている銘柄を色々見てまわった。


 重厚で高価なものからカラフルでお手軽なものまで種類の多さに目がちらつく。

私が使うのはそんなに立派な物でなくてもいいし、できれば黒以外に赤と別の一色が使えると便利だ。

見ているうちに空のボディとインクを別に買ってオリジナルのペンを作ることができる商品があることに気が付いた。

パイロットの製品では、入れられるインクのレフィルは最多で5色のようだが、3色のボディを選ぶ。ボディの色は5,6色あるがパールのかかったベージュにする。芯の太さは書きくらべて細いものに決め、黒、濃いピンク、緑の三色のレフィルを選びレジに行った。合計の金額は500円硬貨からお釣りが出るほどだったが、時間をかけて身の回りのものを選ぶ楽しさを充分に味わえた。

〈文房具が好き!〉の会員の方々ほどの深い愛を文房具に持つことはできないと思うが、その気持ちが分かるような気がする。


ボールペンは三菱が良い?  大西晶子_f0371014_13520406.jpg

選択肢多すぎるゆゑ決められずボールペン選ぶに時ながくたつ


# by minaminouozafk | 2024-03-17 09:58 | Comments(2)

 コロナ禍前、ちまちまと貯めていたANAのマイレージがなんとか二人で中国往復できるほどあった。それがコロナで海外への移動が難しくなり、失効期限が猶予されていたのだが、この3月末をもってそれが終了することになったので、その分をコインなりペイなりに交換しておくようにと、夫が教えてくれた。


 コインに交換だと1.4倍にはなるのだが、航空券かツアー限定で期間も1年間と限られている。昔はよく行っていた北海道に行けるだけのものはあるが、今の状況では北海道一人旅は無理。で、考えた末にANAペイに交換することにした。コロナさえなかったらと思うと残念だが、発生元は武漢ということを考えるといささか複雑な思いもしている。マイレージポイントをお持ちの方は、HPで確認されることをお勧めする。


マイレージポイント失効  栗山由利_f0371014_11171666.png


 以前、ツアーで一緒だった車いすを使っていた高齢の女性が「元気なうちに遠いところに行っておく」と言っていた言葉になるほどと思い、先ずは西安・敦煌に行きたかったのだがあれよあれよという間に時間が過ぎてしまい、実現の可能性が薄くなりつつある。息子の徐州での暮らしも3年目に突入し、こちらももたもたしていると後悔することになりそうなので、まずは、福岡➡上海(1時間30分)、上海➡徐州(高速鉄道で3時間)と乗り継いで行きたいものである。


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 マオズや諸々の了解をもらえたら、今年こそは実現させたいことのひとつである。


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    おほぞらをぐいと手元に引きよせるせいいつぱいの背伸びして 春


# by minaminouozafk | 2024-03-16 12:25 | Comments(1)

高野公彦著『歌の魅力の源泉を汲む ―わが意中の歌人たち―』(柊書房)  大野英子_f0371014_06520339.jpg


昨日、届きました。まだすべては読んでいませんが、少しでも早くご紹介したくて。

これまで高野さんが総合誌等に書いてこられた歌人論や歌集解説の中から、津金規雄氏が一冊分になるよう編集してくださった一冊です。

津金さん、ありがとうございます。


例えば宮柊二は〈励ましの文学〉という題です。

これは2012年、「短歌」での宮柊二生誕百年の特集の総論として高野さんが寄せられた文章。

私もこの号は、保存版として手元にあります。

総論ですので、宮先生のそくせきと歌の変容を簡潔に判りやすく解説されています。さて〈励ましの文学〉とは―。今こそコスモス会員、いえ会員でなくとも、じっくりと読んでいただきたいと思う一文です。


次に読んだのは小池光の第一歌集『バルサの翼』の解説です。

なぜ、この論に注目したかといえば、昨年の「短歌研究」の3か月連続での小池光特集で、松村正直氏の文章のなかに高野さんの文章を引用されていたのでした。それは第三歌集での作風の変化についてかなり手厳しい批評でした。

初期の小池光の歌集は難解さがあり、高野さんが絶賛されたという解説をぜひ読みたいという思いがあったからです。

判り難かった歌の解説をそれはそれは丁寧に敬意をもって、小池作品の繊細さを解説されていました。有名な作品しか知らなかったわたしも『バルサの翼』を丁寧に読みたいと思いました。


届いたばかりで、まだ読みはじめたばかりですが、帯に「優れた近現代短歌を詠む愉楽を与えてくれる一冊」と書かれる通り、子規、牧水、茂吉から始まるこの一冊は、それぞれの歌人の魅力を簡潔に、且つ時にユーモアも交えて、やさしい筆致で書かれています。ここが高野さんの文章の魅力です。どこから読んでも、楽しみながら読めることは間違いありません。


〈わが意中の歌人たち〉とあるように愛に溢れています。逸る心を押さえつつ、じっくりと読ませていただきたいと思います。


「いづれ続編を出したいと思つてゐる」とあとがきに書かれていました。

はい、期待して待っています。


高野公彦著『歌の魅力の源泉を汲む ―わが意中の歌人たち―』(柊書房)  大野英子_f0371014_06515077.jpg

偶然、昨日の早朝散歩でみつけました。


しろ浄きはなの差し色あかるくて「愛を包む」といふ花言葉もつ


# by minaminouozafk | 2024-03-15 06:53 | Comments(0)