2026年 01月 12日
ポケットにスマホ 百留ななみ
今朝の朝日新聞をひらくと高野公彦さんの写真と目が合って驚いた。朝日新聞の文化欄、語るー人生の贈りものーのコーナーに今日から全15回の連載のようで、しばらく毎朝が楽しみだ。高野さんはスマホがお嫌いだ。
歩きスマホ立ちスマホする人ら満ち窈然とあり日本の行方
『無縫の海』
スマホ人幸ひならむ死後もなほ墓の底まで電波が届く
アイパッドときをり使ひ変転の世に追ひすがる塩焼老人
侮蔑語のニュアンスのあるガラケーのその静寂を身ほとりに置く
『水の自画像』
2026年 01月 11日
ブログ記念日111 大西晶子

1月8日にそろそろ初詣の人達も減った頃かと宗像大社にお参りに行ってきました。広い駐車場の半分くらいに車が停めてある程の人出でした。いつものようにお参りをして、福御籤を引いてきました。
この福御籤は外れなしで景品が付いています。今年は半吉12等でしたが、差し出された景品に絶句。
実は毎年このお神籤を引くのですがここ2年は続けて半吉で、頂いた景品が熊手の飾り。そして今年はまた半吉で熊手の飾りでした。全部で20等以上の等級のあるお神籤なのですがどうしてでしょうか、3年続けて12等と言うのは。でも小さな幸せを搔き集めるのをこの熊手が助けてくれるのならそれもいいかと、今年は3本纏めて飾ることにします。

新年を待つ 大西晶子
朝ごとに開けるアドベントカレンダー今日の小さな幸せはなに
有毒の花には見えぬ水仙を模した練り切りねつとり甘し
注連縄のあたらしき紙垂ましろくて来る年はきつと佳き年になる
七十の齢にみえぬ郷ひろみ走り歌へり艶あるこゑで
浴槽でとほき鐘の音ききてをり新しき年に替はるを待ちて
石橋わたる 百留ななみ
あかねさす昔乙女が冬空の梛木の葉あふぐ四人そろひて
病室で新聞ひろげる百歳はたぶん間もなく退院できる
けんめいに追へど追へどもY字路で正義のミカタを見失ひたり
AIのまなこの光る暗闇で組み立てられて自動車となる
樫の実の水輪たのしゑ石橋をそろそろ渡り貴船の祠
二重線 藤野早苗
老いの影見せざりしまま人逝きぬあきらめ悪きわたしを残し
歳末の空低きかな伸ばす手が雲のかけらをつかめるほどに
明日からは伸びる日脚ぞ一年でいちばん長き影を曳きゆく
書き込んだ予定を二重線で消す未来を過去にしたる証に
橋上に見下ろす冬の香椎潟泥に眠れる命を祝ぎて
なぞなぞ 有川知津子
守るものがあるといふこと寒天にゐのししの母とにんげんの母
月日貝拾ひあげてはまた戻す海に濡れてゐてこそよくひかる
おほいなる風の扉はひらかれてもゆらもゆらに咲く冬桜
人日にシャワーヘッドを落とす音聞こえて下階の間取りも同じ
大津から小舟を引いて林檎狩るこれはなぞなぞ林檎は青い
未来(あした) 鈴木千登世
ニューイヤー駅伝伝える高き声 こたつとみかん 窓のぞく猫
布を裂き糸とし織りぬ古布のささやく声を聞き取りたくて
書架はもう〈玉手箱〉なり抽斗からVHSのテープ現はる
地下深く眠るマグマの欠片(かけ)拾ひ波打ち際に風を聞きをり
未来(あした)より過去(きのふ)ゆたかな日にありて未来しかないみどりご抱く
みどりの大屋根 大野英子
釣り人の竿の揺らぎに合はせつつ港のベンチで足ゆらしをり
またひとつ昭和の景色が消えてゆく喜も悲も容れしみどりの大屋根
クリスマスソングは疾うに飽きて聴く「亡き王女のためのパヴァーヌ」
庭仕事せぬままに去る新年の実家の庭に揺るる万両
北風をしのぎて遠き春を待つ庭の古木の梅とわたくし
すみれ草 栗山由利
猫だからやつぱりしてた猫かぶり わたしにみせない顔あれやこれ
腹くくり子育てせよと父がかきくれし賀状に咲くすみれ草
年の瀬は師までも走るといはれても走らない猫うちの三匹
風はもう立ち向かふものではなくて受け止めるもの七十二歳
春をまつ越冬サナギのみどりいろあざやかさまし新年となる
2026年 01月 10日
越冬サナギ 栗山由利
昨日は年が明けて初めての朝日カルチャーセンターの講座だった。講師はこのブログ金曜日担当の大野英子さん。朝5時前に起きて嘉麻市から電車を乗り継いでくるNさん、90歳ながらお一人で佐賀から通うHさんの熱量には圧倒されている。コスモス会員以外の方も2名おり、他の方の鑑賞のしかたを聞くのはほんとうに勉強になり、いろんなことに気づかされる。
今回提出した私の歌に次の1首があった。
家をでるときも帰つてきたときも越冬サナギにするごあいさつ

これをどのように読んだかを二名が指名されて発表するのだが、お二人とも「越冬サナギ」が分からないというご意見だった。なるほど、昨夏からアゲハ、アゲハでやってきたわが家では冬を越して暖かくなってから蝶になる蛹もいるというので勝手に「越冬サナギ」と名付けていたけれど、分かりにくい表現だった。
そして面白かったのはその後である。お一人がもしかしたらこの「越冬サナギ」というのは、ずっと家に引きこもっている夫ではないかというなかなかユニークな発想でこの歌を読んでくださり、どっと教室が沸いた。私もそれもいいなと思った。この詠みの欠点は家の中の場所も不明だし、「ごあいさつ」では緩いということで改作の例を示してもらった。
家に帰り夫にこの話をすると、とてもうけて早速Facebookに自虐的な一文とともにあげていたが、そこに「引きこもりのサナギならいずれは蝶になって飛び立つのですね。それはそれで困るような」というコメントをいただいた。おもしろい!
ひとつの未完成の歌が読む人によっていろんな読み方があり、またそれに対しても別の意見が出てふくらんでいく。未完成ゆえの広がりではあるが、紡いだ言葉の思いをそのままに伝えることの難しさと面白さを実感した1首だった。

春をまつ越冬サナギのみどりいろあざやかさまし新年となる
2026年 01月 09日
三社参り
日曜担当の晶子さんのお膝元で、何度も紹介があっています、宗像大社と鎮国寺に初詣に行くことが出来ました。
以前は車で一緒に行ってくれていた連れが、忙しくて行けなくなって遥か。沖ノ島が世界遺産登録後に天神から宗像大社直行バスが出来てからは一人で行ったこともありますが、コロナ禍で、そのバスが運行停止になってからは行くことも叶わなくなっていました。
久々に誘ってくれました。

平日だったので参拝の行列はありませんでしたが、駐車場はほぼ満杯。晶子さんのご紹介にもあったように改装によるあまりの変貌に戸惑ってしまいました.
いつ来ても人が少ない鎮国寺。入口には色褪せながらも十月桜がまだ咲いていました。

境内では熱海桜がいちりん、にりん咲いて、大木の薄紅梅もちらほらひらいていました。

この静かな深い森に囲まれた木々のざわめきが大好きです。こころから解放されるような気持になるのです。元気な頃は、山の、奥の院へ登って参拝したのですが、今はまったり鎮国饅頭と甘酒をいただいて来ました。
おみくじはどちらも中吉。やはり身を慎んで控えめにというものでした。おみくじの一首は「雪にたえ風をしのぎてうめの花世にめでらるるその香りかな」
良いですねぇ。
お正月に、博多埠頭突端のお櫛田さんの浜宮にもお参りを済ませましたので、三社参りコンプリートです。

北風をしのぎて遠き春を待つ庭の古木の梅とわたくし
2026年 01月 08日
海へ 鈴木千登世
無性に潮風が吸いたくなる日がある。
冬空が気持ちよく晴れ上がったので買い出しを兼ねて萩を目指した。夫の体調も今日は良い。途中の道の駅で小休憩して一時間で萩の街。萩往還のこの道は10年近く職場に通った道だ。
萩駅の近くのマーケットでちょっと買い物して、おいしいイカを買おうとさらに海辺を目指した。
街から7キロほど走ると笠山がある。日本で一番低い火山。約一万年前に噴火して今は眠っている。
窓の外に青い日本海を眺めながら笠山まで走った。お目当ての店はお正月が明けたばかりなので閉まっていて残念だったけれど、ここまで来ればたっぷりと潮風に浸れる。
中腹から海岸に出る細い道を下った。

目の前に青い海。
ここ虎ヶ崎には椿の群生林があって毎年2月に椿祭りが開かれる。椿の開花には少し早く平日のお昼前なのに、何台かの車とすれ違った。休憩所も売店もお休み。こんな寂しい日に訪れる人がいるとは。不思議に思いながら海岸の突き当りまで進むと釣り客への案内があった。
ああ、今日は絶好の釣り日和。海には白い釣り船が何艘も出ていた。


波打ち際には穴がいっぱい開いた黒い岩が転がっていた。溶岩が冷えて固まった溶岩石。黒々とした磯が波に洗われている風景は笠山が火山だったことを教えてくれる。
しばらく潮風を吸ったら気持ちがふっと軽くなった。

帰りに寄った〈しーまーと〉に山口では「めーぼ」と呼んでいるウマヅラハギのお刺身が出ていた。小さなイカとさざえも買った。萩のさざえには立派な角がある。波の荒い海域に棲むさざえは波に流されないように支えるために角が発達する。ゴツゴツとした角がなんとも頼もしい。
四時間余りの小さな旅。帰りの車の中では夫が気持ち良さそうに眠っていた。

地下深く眠るマグマの欠片拾ひ波打ち際に風を聞きをり






