1月13日(日)、「COCOON」第10号の批評会があった。COCOONは、最初の1年を雑誌刊行の準備期間にあてた。そのため当初は雑誌なしの批評会だったから、今回の批評会は通算14回目の批評会となる。



この間、COCOONは、実務上のことを軌道にのせながら、歌を詠み/読み、自身の考えを問う場として批評会を重ね、それぞれに自分の歌と向かい合ってきた。そのような内部の循環が安定してくると、外部の声を欲しくなるのは自然なことであろう。昨年の1月、特別ゲストとして、高野さんをお迎えした。



さて、今回はゲスト招聘批評会の第2回。

お願いしたのは、花山周子さん。「塔」の歌人、画家、装幀家、最新歌集は『林立』(第三歌集)……、などということはウィキペディアに出ているだろう。ここではウィキにない花山さんを描かねばなるまい。



余裕をもって会場に到着した花山さんが鞄から取り出し、机上に置いたのは、なんと「COCOON」創刊号から10号までの10冊であった。それがただ持参しただけでないことは、会がはじまるとすぐに分かることになる。というのは、花山さんの評には、「○号くらいから変わった」「グレードアップして戻ってきた」「これならまだこの歌(過去の歌の引用しながら)がよい」などなど、バックナンバーへの言及があったから。



一人の作者の歌の変遷をたどるように読んでいらしたのだ。この日のためにいったいどれほどの時間を掛けられたのか。



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今回の10号作品については、一人ひとりの作品の特徴を、例えば、「行動していく作者」「全身を使っている」「気質そのものが歌になってる」「位置認識のある作者」「理知的に出している」「じわーっとくる」「今への感度を大切にしている」「時間を視覚化している」などの言葉で端的に述べ、連作全体をみる視点から、一首についてあるいは一句一語について、懇切に率直に話された。



午前11時から午後5時まで、花山さんには全ての作品に評をもらった。

それにしても、花山さんは、確かにゲストであったのに、ゲストがいちばんハードワークであった。そんな花山さんのとなりでお嬢さんのアキちゃんは一途に何かに見入っていた。




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結社が違えば、同じ内容を言うにしても批評の言葉が違う。言葉が違えば新鮮に感じられるといわれるし、実際そう感じもする。だが、花山さんの評の新鮮さは、言葉の違いだけからくるものではなかったようだ。



あ、ウィキにないことをもう一つ。

実は飛行機が苦手なのだそうである。(ウィキにはナイショよ)



 飛行機と畳の話したことを忘れないだらう夏になつても



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# by minaminouozafk | 2019-01-16 06:45 | 歌会・大会覚書 | Comments(3)

 ここ一カ月で二度上京した。短歌関係の用事である。所用を済ませたら帰ればいいのだが、まあせっかく来たのだから娘に会って……となるのは人情。しかし12月から1月にかけて、娘の大学は怒涛の試験シーズン。母が上京したからといって付き合えるような状態ではないのだった。


 で、最近定宿にしているのが、アグネスホテル東京。街中の瀟洒な、朝食ビュッフェが美味しい、隠れ家的なホテルとして最近人気上昇中。ここ、娘の大学から徒歩1分という信じられない立地。実際(内緒だけど)飯田橋の駅から大学構内の小路を通り抜けてホテルに行ける。

 その秘密のルートの途中、ああ、これか……!と見つけてしまったのである。


2017年8月1日の拙記事「物理学校裏」(以下ご参照下さい)。

https://minaminouo.exblog.jp/28016316/


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大学の食堂に書かれているという白秋の詩の一節。ホテルへの秘密の通路に面して建つ大学校舎の窓に発見したのだ。ああ、ここが食堂なのか。詩は内側から読むように書かれているから、外から見ると当然裏返っている。面白い。「物理学校裏」という詩は結構長いのだが、その中に


 ・肺病院のやうな東京物理学校の(うす)(せい)灰色(くわいしよく)

  いつしかあるかなきかの月光がしたたる。


というくだりがあって、白秋がこの物理学校をいかに忌避していたかが慮られてちょっと笑ってしまうのだ。白秋の時代とは全く異なるビル群となっている現「東京物理学校」。そのビル群を通り抜け、飯田橋の駅に向かう途上、ちょっと眼差しを左に振ると、白秋旧居跡の碑がひっそりと立っている。その先には神楽坂芸者の見番がある。「熱海湯」という銭湯も。


 たしかにここに白秋が棲んでいた。そんな、白秋の気息を感じた冬の朝。


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紫の星印あたりが白秋の詩が書かれた窓。
構内への「関係者」以外の立ち入りは禁じられている。
まあ、保護者、ということで……。(笑)。



  百年の時空を超えて神楽坂ためいき重き白秋に会ふ



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アグネスホテル東京。


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# by minaminouozafk | 2019-01-15 09:54 | Comments(7)


冬の海のようなペールグレーの装丁。「うた読む窓辺、うた待つ海辺」という魅力的なタイトル。上村典子さんは山口県光市在住の歌人。「音」の編集委員、選者をされている。三年前の第五歌集「天花」は何度もひっそりと愛読している。



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窓辺に今日の<うた>を読み、海辺に明日の<うた>を待つ。

自らの作家体験を踏まえ、的確かつ怜悧な筆致によって

短歌の諸問題を真摯に論じた待望の書。

〈帯のことば〉

 あとがきに、1985年「音」入会後の、「音」や総合誌などに発表した文章から、32篇を選んで一冊とした。とある。県大会や理事会でご一緒させてもらったとき、その帰りに車中の雑談での歌や家族への思いを話された。おだやかな語り口のなかに熾火のような熱情がちらり。高校の終わりの頃に中城ふみ子や河野裕子を繰り返し読んだ作者。大好きな歌という詩型に魅了され続けた三十数年の自らの内部にありのまま対峙した一冊。歌という短い詩型で伝えられること、伝えるべきこと。あらためて歌とのそして上村さんとの出会いをうれしく思う。



*千年なにもせぬなり

*迷っていること もとめていること

*試みの影

*自愛の方向

*不思議な詩型を満たすもの

*ブリ大根・木の芽和へ

*批評精神の芯にあるもの

*蕨のごとく頭垂れ

*「父」の戦争と黙契


目次からとくに印象深かったものを挙げた。


今という地点に立ちながら、問いかけは遥かなところへと向かっている短歌をめざす。人間のもつ時間軸の中で、その問いを包む込んでいる場、そういう歌の場を希求する作者。思いはまさしく同じで、まだまだ途上の私の目標になる。一歩ずつすすんで行きたい。短歌は自愛の強い人間のための文芸。だから横溢するわれを制御するための定型という。私自身は歌を詠むときなかなか自分を思い切りだせない。ただ個性が欠けているだけかもしれない。短歌の未来は作者が他者を意識し、歴史認識をもつべきという言葉は励みとなる。

10ページほどの短文は心惹かれた歌集の紹介もある。自己の生を自然のなかに放ちつつ、開示し続けるという築地正子歌集『みどりなりけり』。ぜひ一読して試みの影をじっくりと味わいたい。味覚、食の歌には歌人の全てが宿るという作者のおすすめの作品。

季節(とき)くれば木の芽和へなど作らせて酒飲みまする 学成り難し

焙烙に青のり焙り醤油かけ上様(かみさん)留守の昼酒美味(うま)

中川健次『億劫』

中川健次氏は上村さんと同じ光市在住の歌人、急逝されて七年。


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 「生の意味を問い続け、存在の奥を歌う短歌」という武川忠一氏の言葉に圧倒されて入会された「音」。コスモスも広くは同じだと思う。それが際立っている作品として田谷鋭の「生活に面伏すごとく日々経つつセルジュリファールの踊りも過ぎむ」を武川忠一は取り上げている。蕨のごとく頭垂れは、柏崎驍二さんの歌集七冊を丁寧に再読されての批評。初出は「梁」91号、以前ブログで紹介があったと思う。

 最後の「父」の戦争と黙契。戦後73年。なんとも時代の空気は重い。辺見庸の 〈 黙契である。ニッポンの戦後は知らずに(問わずに)すませるべきでなかったものを」「知らずに(問わずに)すませてしまおう」という、つよい黙契によって、むなしい擬似的平穏をたもってきたのだ。〉 は心に突き刺さる。そして作者の「今や歴史修正の波はそれとは知らされず(またもや)各所で事実を曲げ、さまざまな方便を駆使して、この国は戦前の様相を呈している。」は、まさしく私の気がかりの原因である。あたらしい年号に変わる今、立ち止まってしっかりと歴史を認識するときではないか。




歴史はいつも人間のもつ時間軸である。平成の最後の冬。過去のうえに今がある。そして遥か未来を思う歌。おだやかな瀬戸内海をのぞむ窓辺で自己の存在の奥を、ずっと答えの出ないものの光や影を作者は歌っていかれると思う。声高ではないが心に共鳴する言葉がつづく。同じ風土に暮らすものとしてその灯火をたよりに歌を作り続けることができるのは無上のよろこびである。





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おかへりと五十五歳のしたごころを膨らませゆく窓辺のひかり















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# by minaminouozafk | 2019-01-14 06:00 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)



五代にわたる作品で有田焼窯元の歴史を示すという「明治維新150年記念展 有田晩香窯―明治から平成の窯元の軌跡―」という展覧会が、有田町の佐賀県立九州陶磁文化会館で開かれている。晩香窯は旧知の庄村健さんのお宅なので、暮れのある日に夫と行って見た。

会場の九州陶磁文化会館は有田駅に近い丘の上にある。寒い日だからか来館者が少ない。

有田晩香窯展はこの日は特に解説などは無い日で、一つの展示室に時代と製品の特徴を書いたキャプションをつけて展示品がガラスケースに並べられている。来館者が少ないのでゆっくり解説を読みながら見ることができた。
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 初代の庄村健吉さんの優れた腕と積極的な活動で晩香窯の基礎が築かれ、その後も時代に沿って柔軟に営まれた窯なのだということがよく分かる。
 ひとつの窯元の歴史がそのまま有田の歴史や世界史に繋がり、思いがけない時間の広がりを見せていることに驚いた。

海外向きのカラフルな明治時代の食器や、万博に出品されるはずだった大正時代の大皿、昭和のはじめの世界大恐慌で食器や花瓶などが売れなくなった時代に作ったカフスボタンや帯どめ、戦時中の金属のかわりに磁器で作られたポット(魔法瓶?)、太平洋戦争の終った後で「憲法発布記念」と書かれた湯呑、などそれぞれに時代見えて興味深かった。また大変な時代を女性の身でよく越えて来られたのだと、庄村家の4代目だった健さんのお母様のにこやかだったお顔をなつかしく思い出した。




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 初代の健吉氏の華やかな洋食器は今見てもちょっと欲しくなる。以前から晩香窯の入り口に飾られていた孔雀の絵の大皿も、会場のライトに照らされ一段と華やいでいた。現在の当主五代目の庄村健さんの作品の独自性、ご長男久喜さんの白磁の清新でシャープな作品とそれぞれに個性があり、晩香窯五代の時の流れの豊さをあらためて思ったことだ。



話は変わるが、この九州陶磁文化会館の建物がすばらしい、1980年竣工なので昭和の完成されたスタイルの一つなのだろう。ともかく居心地がいい。

「公共の建築百選」に選ばれたこの建物の広いホールから見える庭の景色や、廊下のつきあたりの広いガラス壁から見える有田町の風景、細部ではドアの引手やトイレの道具に使われている有田焼の色絵製品など見どころが多く、ゆったりと落ち着ける。



 ロビーには人間国宝に認定された九州の作家の作品が並べられ、有田磁器のからくり時計が時間丁度と30分になると動き出す。


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 展示室2では現代の作家の作品、展示室3では九州各地の古い焼き物が見られ、展示室4では九州の焼き物の歴史が分かりやすく画像でや展示で示されている。その部屋に展示された江戸時代にヨーロッパに輸出された磁器の「蒲原コレクション」は華やかで圧倒される感じだ。染付のものを集めた柴田夫婦コレクション1000点を展示する展示室5もある。





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帰る道で庄村家に寄ったが、ショールームが明るく点り、鍵も開いているのに無人のようだ。ふらりと行ったので連絡をしていなかったことだし、きっと工房で忙しくお仕事されているのだろうと、心残りだったがそのまま帰って来た。
 その前に寄ったお食事処でも店に営業中の札がかかっているのに、中に入るとお店の人が不在で、別のお店で昼食を取った。
 用心が悪くないのかしら?よほど人を信じる、治安の良い街なのかしらと、すこし不思議に思いながら有田を後にした。



くちきけば何をかたらん窯を出て四百年経る色絵の小皿








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# by minaminouozafk | 2019-01-13 08:32 | Comments(6)

 昨年末、中国古典文学の研究をしている長男が、博士論文までの約十年間の研究をまとめ、550ページの本として出版した。それが「西晋朝辞賦文学研究」(汲古書院)である。出版を決めてから、おおかた二年近い時間を費やしたのではないだろうか。出来上がった本を手にすると、研究の場でお世話になった方々はもちろんのこと、小さい頃から様々な場面でお力をかしてくださった方々のことが思い出され、感謝という言葉しか見つからない。


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 息子が中国古典文学の道を選ぶことになったのは、いくつかの人生の節目で各々判断した結果にほかならない。


 息子が小学1年のとき、この子は国語の読み取りが苦手だと思った私は、自分が仕事で面倒をみることができないことを理由に、夏休みの間中、実家の父に数冊の国語の問題集と一緒に息子を預けたことがあった。任された父はその問題集をすべて終わらせてくれ、確かに国語の点数が上がったのである。国語の力などというものは、本来そんな点数で判断できるものではないというのは、今だから言えることで当時の私は点数に踊らされていた。しかし、父の指導はありがたかった。


 その後、ファミコン、スーファミ、プレステとゲーム世代真っ只中の息子は、御多分に漏れずゲームにはまり、家には当時流行りのドラクエから多くのロールプレイングゲームまで並ぶこととなった。そのうち、中学生になると三国志などの戦略系ゲームが中心となり、並行して小説の三国志にも興味を持つようになった。「三国志」「三国演義」「水滸伝」などの本を買わされたのもこの頃であった。


 高校生になり進路を決めなければならなくなったとき、希望は「高校の先生になってバレー部の顧問になる」だった。漠然と社会科の先生になろうかなと答えた息子に、高校の先生のアドバイスは「社会科の先生を目指す人は多いから、女性の先生が多い国語科のほうが産休の先生の代替とか機会も増えるのでは」というもので、その結果決めたのが文学部。その後、大学で専門を決める時もまだ『三国志熱』は覚めてはおらず、息子は中国文学を選んだ。その時、なぜ中国文学なのかと聞いた私に、彼は「三国志を原文で読みたいから」と答えた。そして希望だった国語科の教職の免許も取得した。


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<出版社の総合案内誌の紹介頁>


 「左思「三都賦」は何故洛陽の紙価を貴めたか」の論文から始まった研究生活。途中、中国清華大学への二年間の留学を含めての十年間の成果が初めて形となったのである。奇しくも洛陽紙貴のモデルとなった左思の「三都賦」も完成までに十年の時を費やしているという。


 かつて、将来の生活を心配する息子に「しっかりと研究して頑張っていれば、結果は自ずとついてくるよ。生活はなんとかなるよ。」と私は言った。しかし研究者にとって現実は厳しい。私が言ったことは本当に彼のためになったのか。研究はそこそこにして、地道に就職するようにアドバイスしていたら、しなくてもいい苦労はせずに済んだのかもしれない。今更思い悩んでも仕方のないことではあるが、時々ふっと頭をよぎる。

しかし、あとがきに「どんな時でも、私が研究者を目指すことを疑うことなく応援してくれた」と感謝の言葉を記してくれた。まだ少し気持ちにゆらぎはあるが、この言葉を素直に受け止めて、終わりのない研究を続ける息子にエールを送りたい。


 小学1年の息子に国語の特訓をしてくれた父は漢詩が好きだった。あちらで「さすが俺の孫や!」と自慢しているに違いない。


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<中国国内のサイトでの紹介・早い!>



   「三都賦」を学び来し子の十年を重くきざんで背表紙の金

  


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# by minaminouozafk | 2019-01-12 10:44 | Comments(6)

ブログ記念日28

 今年最初のブログ記念日です。
例年通り、三日に太宰府天満宮へ出かけました。これまでは混雑を避けて横道から本殿に入り参拝をしていたのですが、心字池に架かる三つの橋を渡ることで、邪念を捨て心身ともに清められることを思い、参道から人波に揉まれつつゆるゆると歩きました。
 楼門辺りで進みが止まります。そこで普段はじっくりと見ることもない楼門を見上げ、注連縄の上の隠れミッキー!?のようなハートのマークや色鮮やかな梅の彫刻を眺めていました。

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        楼門のはだへに触れてじつと待つ過去世と未来世ゆきつもどりつ

 おみくじは吉。
内容よりも、目がゆくのは書かれる和歌。

   海ならずたたへる水の底までも清き心は月ぞ照らさむ
                     菅原道真

さすが、天神様。大宰府に配流されたときに自らを慰めて詠まれたものですね。
「清き心」を忘れないよう心にとめて置きたい一首です。
 みなさまにとって今年が善き一年でありますように。


けふのはじまり   大野英子
草木愛でぐんまに地上根張りて生きゐるひとを嘉せよ冬陽
皮を剝く刻む合はせる火にかける水躍り火沸き楽しく料る
波羅蜜の若きこゑするざらざらと手触り粗き小冊子のなか
冬暗き門の花壇に残照のごとわたくしを待つちさき花
あらたまの朝日を背に草を抜くいつもとかはらぬけふのはじまり


七色十色   栗山由利

南国のぬくみをぎうとつめこんだ金柑ばうやにあへる年の瀬

ジコチューで狗尾草(ゑのころ)が好きでツンデレの猫 あら、これつて私とおなじ

ころころと猫がころがす玉のやう七色十色のをみなごの声

ゆく年を三日のこして紅葉ちる名残惜しんで手をふるやうに

つつみこむ手にやはらかき温もりのをさなの頬はつきたての餅


七草   大西晶子

思はざる指の鈍さに焦りつつ薄き紙折りリースをつくる

豊作と豊漁ねがひテグス巻く注連縄に白しあたらしき紙垂(しで)

大陸の知識と物と国難を運びし玄界けふ波高し

垂れこめる雪雲と海のさかひめを奔り抜けたりウィンドサーファー

七草をたたきて粥のしたくせん唐土の鳥のわたらぬうちに


朱き金いろ   百留ななみ

玉鋼を造りつづくる人に会ふまへに亀嵩駅で蕎麦食ぶ

木製のでんしんばしらのてつぺんでサンタクロースは休らひてゐる

きらぼしのかたまりなるや朝日子に屋上の鷺は朱き金いろ

みづいろの空くろき驢馬モロッコを描きし香月のリトグラフ買ふ

朝日子を持ち上げ二羽の蒼鷺は朱金の帯の金銀砂子


ニューホライズンズ   藤野早苗

あらたまの年のはじめの杣道のどんぐりごろごろでんぐり返し

五十六まで生きたから信じてるサンタクロースは必ずゐると

美ら海に投じる土砂の黒々と ワレワレハモウヒキカエセナイ

太陽系外縁目指しイアソンのごとく旅するニューホライズンズ

六本の弦で宇宙を創造す天文物理博士(アストロフィジックスドクター)メイは


紅花襤褸菊   有川知津子

極月の箱の底より出で来たるフロッピーディスク一枚しづか

五島産飛魚(あご)の日干しが並びたり歳晩の博多阪急地階

かのやうにならんとおもふ気丈なる祖母ふたりより名まへもらひき

一塊の緑さゆらぎほころびぬひとつひとつの樹木の素顔

うつむくはこの花のいろ元朝の曇りのもとの紅花襤褸菊


ゲルマンの星   鈴木千登世

水面に散り散るもみぢ散りもみぢ真鯉を撫でるてのひら無数

むぎわらの星を吊しぬゲルマンの祈りの星は麦にてつくる

ハイテクの器械に疲れいやされて仰ぐ夜空に三つ星光る

嬰児の声にいのちのふくらみて藍の蕾を置くいぬふぐり

見廻り君見守り君とあだ名する猫入れ替はり来る春の庭


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# by minaminouozafk | 2019-01-11 09:05 | ブログ記念日 | Comments(6)

初詣はいつものように近くの三の宮神社にお参り。さらに今年は防府天満宮にも足を伸ばした。3が日は終わっていたもののやはりこのシーズン、受験生やその家族も含めたたくさんの参拝客でにぎわっていた。

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 参拝を終えた後、天満宮から右に100メートルのところにある「山頭火ふるさと館」を訪れた。防府は種田山頭火の生まれた地。入り口を入るとすぐに等身大の山頭火の蝋人形(?)が展示されていて、そのリアルな風貌にどきり。

有料の展示室まではギャラリーとなっていて、防府市ゆかりの作家や山頭火の和紙人形が紹介されていた。和紙人形は人形作家の長沼隆代さんの手によるもの。細部まで丁寧に作られた山頭火の作品世界を彷彿させる人形たちに見惚れてしまった。

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雨ふるふるさとははだしであるく


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酔うてこほろぎと寝てゐたよ


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生死のなか雪ふりしきる


 展示室に入ると左の壁一面に山頭火の生涯が紹介され、正面の壁には作品が次々と投影されてゆく。句集や日記のデジタル資料を眺めて、特別室展示室に入ろうと顔を上げた途端、壁の文字が目に入った。


 歩かない日はさみしい

飲まない日はさみしい

作らない日はさみしい


放浪と酒と俳句と。漂泊の俳人と称される山頭火を丸ごと現すことば。

調べてみると『行乞記』の中の一節で、

ひとりでゐることはさみしいけれど、

ひとりで歩き、ひとりで飲み、ひとりで作ってゐることはさみしくない。

と続く。

 山頭火の孤独に触れたようで、ずっと心に残っている。



作らない日はさみしいと言ふ声に振り向けば知らぬ顔のさざんくわ



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ふるさと館の入り口側に山茶花が咲いていた


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# by minaminouozafk | 2019-01-10 06:00 | Comments(7)