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  729日土曜日に、「福岡WikiGapプロジェクト〜福岡県の歴史上の女性たち」というイベントを開催することになりました。詳細は以下のURLをご覧ください。


https://www.facebook.com/100013068854250/posts/pfbid024xBC381CHSHa7DZL8akGyt2hUcYShgbCAN9XGUAyWQzxoZ2Dju6B9XjbFiqudjudl/?


 なぜ藤野が?と思われた方もいらっしゃると思いますが、ここ福岡でのWikiGapは二度目。2019年、スウェーデン大使館肝煎りで、インターネット百科事典Wikipediaに掲載されている人物記事の男女比が8:2という不均衡をなくすことで、現実社会のジェンダーバランスの不均衡をも解消していこうということで始まったのがWikiGap。ここ福岡は、筑紫歌壇賞主催の公益財団法人隈科学技術・文化振興会の母体である西部技研の社長、隈扶三郎氏がスェーデン名誉領事に就任されていることから、同年11月、WikiGap開催の運びとなり、その講師としてご来福されることとなったwikipedianの海獺氏は、私のQueenの師匠であることもあって(笑)、第一回WikiGap福岡に関わることとなりました。


https://sacfafk.exblog.jp/27884791/


 その海獺氏、昨年も別件で北部九州巡業されたのですが、その際、BIZCOLI(ビズコリ〜九州経済調査協会が運営する会員制図書館)で開催された講演会で資料として使用した中に気になる記述があると、ずっと引っかかっていらしたので、地元博多民としてはぜひ今年はそこを追求していただきたく、このプロジェクトを企画した次第です。


 企画はしたものの、しかし、これを実際に運営するとなると実業には最も遠く生きてきた藤野には荷が重い。そこで、「九州で能楽を楽しむ会」でお世話になっているグローバリスト若林宗男さんに相談させていただきました。若林さん、4年前のWikiGapにもご参加いただき、見事に記事を立項して颯爽と立ち去られたんですよね。昨年のビズコリの海獺氏講演会でも色々お骨折りいただいたようなので、今回もご助力願えたら……くらいの気持ちでいたら、若林さん、イベント趣旨に即座にご賛同くださって、さまざまな方面の方を繋いでくださり、プロジェクトの代表まで務めていただけることになりました。本当にありがたいことです。


 若林さん、海獺さん、両氏をはじめ、すでに色々な方々にご参画いただいている当プロジェクト、大人の事情でまだ本当の詳細はお伝えできないのですが、エキサイティングな内容になることは間違いなし。イベント参加人数は20名限定。福岡県立図書館研修室でのwikipedia編集作業になります。そんなことしたことない、という方も大丈夫。参加条件は「ジェンダーバランスの不均衡に興味がある」、ただそれだけ。後の実務的なあれこれは、wikipedian海獺さんが丁寧に教えてくださいます。一昨日の夜、イベント情報をFacebookにアップしたのですが、すでにかなりの方がご覧くださったようで、お申し込みもいただいております。出足は早い印象。興味を持たれた方はぜひお申し込みくださいね。


 さて、ここで「そもそも」なんですが、あらためて「なぜ藤野が?」問題です。経緯については上記の通りなのですが、私がWikiGapつまりジェンダーバランス不均衡問題にこだわるのは、おそらく自らの生育歴の中で、自分もまた周囲も全く意識していない形で行われてきた性別によるナチュラルな差別に今になって気づき、実は傷ついていたインナーチャイルドを癒したいという気持ちからなのかなあと思っています。


 以前、不登校問題を考えるブログ「アガパンサス日記(ダイアリー)」に、「不登校三世代問題」という記事を執筆したことがあります。


https://sacfafk.exblog.jp/26619481/


 私の娘は不登校経験者です。その直接的な要因の一つに私の教育虐待があったと思います。その背景を辿っていくと、結局私自身の生育歴に絡んでくる。「女に教育はいらない」「女の就ける職業はこれくらい」「女の子は実家の近くに嫁げ」……、私と同世代の女性なら一度は言われたことがある台詞ではないでしょうか。さらにタチが悪いのは、こういう発言をしている人たちは悪気があってこう言っているわけではなく、社会の通例として、そうした環境で生きることがその子のためだし、幸せだと信じて疑っていないということ。私がその事実に気づいたのは大学進学した後。ああ、世界はこんなに広かったんだと思ったものの、もう周囲の考えを変えることなど不可能で、人生の岐路に立つたびに何らかの妥協を繰り返した半生でした。


 だから、です。娘が生まれてきた時、この子には性別による負い目のない人生を送らせてやろう、そう思いました。それが結果、「男性に伍す」という間違ったベクトルとなり、「女の子だって頑張ればこんなにできるんだ」という、歪んだジェンダーバイアスの中で娘を育て、それがいつしか教育虐待になったのではないか、と思うのです。私は自分の形代として娘に接し、自己実現しようとしていたのだと今ははっきりわかります。


 生まれてきたそのままで、自分のために生きる。そんな当たり前のことが一番難しい。それを解消するには、まず自分の意識を変えることが一番だけど、それ以上にそれを当然と思って気づかないままの社会に一石を投じたい。政治家でもない、それどころか満足な社会経験もない、そんな自分にも投じることができる一石がこのWikiGapだと私は思っているのです。


 今、世界にはさまざまな格差による分断が存在しています。その分断によりもたらされるのは人権の蹂躙。私がジェンダーにこだわるのは、このさまざまな分断のどれにも、結局性差が絡んでいるから。失礼な表現になるかもしれませんが、仮に、世界最貧国として謂れなきハラスメントに苦しむ人々がいたとして、でもその人々の中にもまたハラスメントがある。高齢者、子どもたち。でもその高齢者、子どもたちにもまたハラスメントが存在する。「女のくせに」。最終的には、自らが選択できない天与の性差によって命の重さを測られるという理不尽。そんな大きな問題に対して、お前に何ができるんだとそういうご意見があるのもわかります。できないかもしれないけれど、やってみる。娘に対する贖罪として、この問題に関わって行きたいと思うから。




  梅ちぎり足の利かない母のため梅雨の晴れ間を上向き過ごす


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# by minaminouozafk | 2023-06-06 11:33 | Comments(0)

猩々 百留ななみ


「猩々」の謡の稽古をしている。祝言の曲。短い切能だが登場場面では下り端という独特の浮かれ気分の囃子。秋風が吹き月の美しい夜、海中から現れる猩々。いくら飲んでも減らない菊の酒を酌み交わす。


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微笑を浮かべた赤い「猩々」の面はこの曲にのみ使う。装束も頭もすべて赤い。おどけた優しい妖怪。



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軍記物語などで甲冑の赤色を猩々緋と表現されているときがある。あざやかな朱色は猩々の赤からだろう。菊池寛の短編「形」での猩々緋も印象深い。形である猩々緋の羽織を失ったときに中身も失ってしまう。



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かつて霊長目ショウジョウ科があってオラウータンやチンパンジーが属していた。今は霊長目はサル目にそしてオラウータン亜科とヒト亜科に分かれる。ヒト亜科にヒト属チンパンジー属ゴリラ属がある。オラウータンの和名は猩々らしい。



「千と千尋の神隠し」にも猩々はたしかあらわれる。怪しげな大きな猿だがたぶんオラウータンなのだろう。森を崩す人間を恨み、人間を喰うという。


不思議な猩々はその緋色をもって人間たちに警告をしているのだろう。



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しっかり受け止めてはんなりと「猩々」を謡いたい。


〈酌めども尽きず。飲めども変わらぬ秋の夜の盃。影も傾く入り江に枯れ立つ。足もとはよろよろと。酔ひに臥したる枕の夢の。覚むると思へば泉はそのまま。尽きせぬ宿こそめでたけれ〉




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ひらきたる泰山木の白花にねむる猩々 みなづきの夢







# by minaminouozafk | 2023-06-05 08:05 | Comments(0)

ハゼラン  大西晶子

2月に庭のリフォーム工事をして、かなりたくさんの庭木が庭から無くなった。そのときにフリージアやチリあやめなどの草花も無くなったと思っていたが、チリあやめがこれまでとは別の場所でも生き延びていたり、名前が分からないまま植え込みの間や植木鉢の隅に伸びては赤い小さな花を付けていた草花が残っていることが分かり喜んでいる。

その赤い花の咲く草の名を知りたくてハナノナというアプリを何度か使ってみたが、花が小さくカメラに写りにくいためか、どう考えても間違いという名前が出てきていた。しかし昨日の午後には花もたくさん咲いているし、実も付いているようなのでもう一度試してみたら〈ハゼラン〉100%と回答した。そこでハゼランをウィキペディアで調べてみた。画像はたしかに庭の花と同じものだ。


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南米原産で日本には明治時代に園芸植物としてもたらされたものだという。ハゼランは漢字で書くと爆蘭、小さい赤い花が線香花火を連想させるところからハゼランの名がついたそうだ。午後の23時間しか花が開かないので別名三時花などとも呼ばれ、他にも三時の貴公子、三時の天使、花火草、三時草、江戸の花火など別名がたくさんあるのが楽しい。

繁殖力が強く今では多くが野生化しているという。家の庭に殖えたのも植えた記憶はないので、雑草に混じって庭に生えたのだろう。ウィキに依れば8月から秋にかけて咲く花のようだが6月の今、早くも庭に咲いている。


ほかにも梅雨の間に伸びてきたひまわり、ごく小さな蕾を付けている鹿子百合、まだ色の淡い紫陽花、蕾が伸びてきた擬宝珠などの成長を毎日見ることが今の楽しみだ。


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庭に生ふ三時の貴公子・爆蘭(ハゼラン)さま、午後の紅茶をご一緒しませう


# by minaminouozafk | 2023-06-04 10:14 | Comments(0)

 昨日、2024年秋に健康保険証をマイナンバーカードに一体化させることなどを盛り込んだマイナンバー法などの関連改正法案が、参院本会議での賛成多数で可決、成立となった。マイナンバーカードおよび「マイナ保険証」については、多くの不具合が報告されたにもかかわらず、その問題の解決さえ提示されないままの法改正である。現行の保険証は、24年秋の廃止から1年間は経過措置として有効になるが、申請が難しい高齢者などには、健康保険組合などが「資格確認書」を発行するが1年ごとの更新が必要となる。


 これまでに報告された問題点はコンビニでの証明書の誤交付、「マイナ保険証」で別人の情報の誤登録そして公金受取口座が別人に紐づけされたり、「マイナポイント事業」でポイントが別人に付与されたりと後を絶たない。納得がいかないのはこれらの不備の原因を、自治体や保険組合の端末で処理をした人のミスとして片付けていることである。


 かつて少しばかりシステムというものに関わった者として、一つのシステムを構築するとき、その処理の過程においてすべてが正常に終了することの方が実はまれなのであり、大袈裟に言えば、プログラムの8割はエラー処理であると言っても過言ではないと思っている。そのように、人というものはミスをするという大前提において、いろんなケースを想定し的確なエラー処理を行わねばならないのである。確かにあらゆるエラーを想定することは難しいことではあるが、今回のように、前の人の処理がログアウトされていない内に、次の人の処理が始まるなどは、エラー処理以前に、そもそも複数人の処理が一つのタスク内で実行されてはいけない。という個人管理の原則さえ守られていないあまりにお粗末なシステム設計であるということに尽きるのだ。言葉は悪いが、ログアウトせずに次の処理ができるようなシステムだったら、それは間違いも起きるはずである、としか言いようがないのに、ログアウトせずに操作した担当者が悪いと国は言っているのである。


マイナンバーカードに思うこと  栗山由利_f0371014_12343489.jpg

 また厚労省は「マイナ保険証」の誤登録が7千件以上あることを3か月前から把握していたにも関わらず、誤登録された本人がSNS上で問題について発信するまで公表せずにいたことも許しがたい。


 私も夫もマイナンバーカードは作っておらず、総務省が発表する96,995,812(令和5528日時点)の申請者の中には入っていない。そもそもどのようなシステムにおいても、初期エラーというものは逃れようがないので、時間が経過して運用が安定するまで待とうというつもりだったのだが、今朝の朝日新聞朝刊によるとデジタル庁は2026年にも新しいマイナンバーカードを導入することを検討しているとあった。今のカードに比べてセキュリティ性能を高めることや、プライバシーへの配慮として券面に記載する情報の見直しなどについて検討するそうである。これは取りも直さず現行のマイナンバーカードにはその点については問題があるということに他ならないと思うのは私だけだろうか。

 更に言えば、なぜ、2026年まで待って問題がある程度出尽くした時点で、保険証などの紐付けを検討することが出来なかったのかも大いに疑問である。新しいマイナンバーカードの運用が安定するまで様子をみたいと思っている。


マイナンバーカードに思うこと  栗山由利_f0371014_12131886.jpg

    保護猫もやつてますよと近未来ICチップの装着ありか


# by minaminouozafk | 2023-06-03 13:02 | Comments(0)

歌集収録以降の作品に寄せて~矢野さんを包む静けさ~


5月17日にお亡くなりになられた矢野京子さんは昭和18年、多磨時代から作歌を始められ、コスモス創刊から在籍、のちにコスモス選者を務められました。矢野さんの第四歌集は2017年の春で閉じられています。

今回は、その後の、同年夏からの作品を鑑賞させていただきます。(数字はコスモス掲載年度と号数です)


てのひらはわが(ぜろ)地点まだ何かを生むかも知れぬ薄きくれなゐ 20179

歌見えぬ友を想へりいさぎよく退きゐるか(ひとつ選択) 201710


これまでも常に深く自己を省みて来られた矢野さんは、短歌のみならず、絵心も豊かです。お元気なころは、矢野さんらしい決して華やかな色合いではないけれど、シックで温かみのある水彩画や版画の年賀状をいただくのが楽しみでした。

一首目は、そんな矢野さんらしく、全ては掌から生まれることを意識しています。命が灯るような結句です。二首目は、それでも老いを思う時、友人の選択が切なく響きます。


今でも大切な宝物である矢野さんの賀状から、一部を紹介いたします。


追悼 矢野京子さん 大野英子_f0371014_07203067.jpg


せはしなく時の流るる人の世の底に目あきしままのセミの屍 201711

図書館は雨のひかりの領しゐて人多けれどひそまれり夏

ことばにて訴ふることなど易し秘めつつたまりゆく重きもの


街中の忙しない人の流れの中にとり残されるような、しかし世の中を見据えるように目を開く蝉の屍を捉える一首目。二首目は窓を蓋うような雨の光が印象的に、外界から閉ざされるような図書館。三首目は、痛みや辛さでしょうか。やすやすと弱音を吐かない矢野さんの心に仕舞ったままの言葉は重しのように凝ってゆくのでしょう。しかし、この「秘めつつたまりゆく重きもの」こそが矢野さんの作歌の原動力となって来られたのではないでしょうか。

矢野さんの残されたお言葉「感動を即、短歌にしない」。辛くても簡単に声にも出さなければ、やすやすとうたに訴えることもせず、それを詩として昇華させる力こそがこのお言葉だと改めて感じました。


ミンミンも聞きかざりし夏過ぎし(とき)もどり()ぬ夏の声ひた恋し 201712

匙ひとつとり落とし「あ」とこゑあげぬ厨の空気そこの破るる 20181


1首目は、もう戻らないひとたびの季節を恋う心は老いの寂しさと重なります。そして、自分が発する小さなひと言が破る静寂を、やはり凝った「空気」だと捉えています。

この5作品からは取り残されるような矢野さんの思いと、身めぐりの静けさという重圧が私の耳にも、つんと圧し掛かってくるような思いに陥ります。


クリークの水に沈ける石の段自分を語ることなく蒼む 20182

電柱と(せん)(げつ)とことば交はしゐむ街は熟寝(うまい)の底のしづまり

シーツ白く春の疾風にはためけりひとり遊びのごと楽しげに 20186

青梅を地に叩きつけて夏あらし激情のごと人おどろかす 20189


世の中との接点が狭まりゆく中で、命の無いものへと心を寄せてゆきます。

クリークのなかの石段の寡黙さに自己を見る思いでしょうか。世の中が寝静まった時間に立ち上がる秘密の会話。風と自由に遊ぶシーツ。夏の嵐の激情を捉える一瞬。豊かな感受性に衰えはありません。

矢野さんは、初期作品から雨風に心を投影させて来られました。それは、小さな命や植物へも反映されます。


鳥無心菜の花無心にあそぶ土手有心重たきヒトわれは立つ 20187

不意にふとためらひもなく旅立つや線路に添へるたんぽぽの(わた) 20189


和歌の理念である「有心」を心に置く矢野さんならではの悩みと真逆の鳥や菜の花の自在さ。たんぽぽの絮への「旅立つや」は詠嘆と取るか疑問と取るか、今は聞く術もありませんが、解き放たれるということ、そこへ至るまでの思いが伝わります。


昆虫のやうな眠りを欲りてゐる地中に七年よみがへる蟬 201811

かろがろと生きてもみんかピーマンはふつくら軽き(くう)を抱けり


蝉のような再生、ピーマンの空洞のような軽やかさを欲する心が切なくも心に迫ります。


矢野さんの作品は最終章に近づいてきます。

ここからは、月ごとにすべての作品を紹介させていただきます。


ベランダよりま直ぐの高さに没りつ日はほほづき色にひつそり孤り 201812

花咲くはじぶんの力深紅は自らの彩ヒガンバナ咲く

眠りより覚むるばかりのやはらかき心を一日保つは難し

起き上がり立つこと重くなれる身を横にしをれば昼の虫鳴く

雲むれて遊ぶやうなりあそこまで行けばいささか「自在」になるか


「孤り」「じぶんの力」「やはらかき心」「重くなれる身」「自在」どの言葉も印象的に、生きるということに必死に向き合う姿が立ち上がって来ます。


忘れ忘れ忘れざるものいくばくぞ雨後の鴉が責むるごと鳴く 20191

行動があるのみ死への時間など余分のことは思はじのカラス

ほの明るさ残るゆふぐれ戻りきてけふ会ひしひとの元気さおもふ

さまざまの地上の音のとどく夕下校の子らの友を呼ぶこゑ

〈在る〉といひ〈無い〉といふこと克明に夜の白菊の眩しさの前


 責めるような鴉の声、その鴉や元気な人との対比、聞こえてくる子らの声。存在の確かさと不確かさを思うのでしょうか。それを総括するように詠まれる五首目の白菊の前に消え入るような自己を見つめる姿は切なさに溢れます。


心奥にたたまれてゐし過去時間ふいに立ちあがりせまるごとき夜半 20192

ねむしねむしと日がな思へる日のゆふべずしりと重き夜を抱へぬ

岩穴に潜みてじつと外を見る魚にも臆病ものはゐるらし

たのしいと思つて生きてはゐないから〈時間〉は颯々とふり向かず往く

残生を生きゆくわれに稚な子も犬も地を這ふ虫もあいらし


残生という辛い現実を直球で読者に投げかける姿は弱気のようでありながらも矢野さんの魂そのものであることを感じます。それでも生あるものに注ぐ眼差しと愛に、読者の私も救われる思いです。


  剝がれゆく記憶ひとひらふたひらと落葉となりて死者を遠ざく 20193

何するもすがりたる手双の手は汚れやすくて水に打たする

生きの身を明日へ運ぶこといたく重し懈しと目つむりゐるか

米寿過ぎ卒寿過ぎあと少うしの深くさむらや霧のふかしも

諦めの早きはわれの性なれど子の上にそれを見るはさびしき


矢野さんが最後に発表された一連です。どの作品からも諦念が感じられますが、詠みに乱れはなく冷静です。四首目の「深くさむらや霧のふかしも」の言葉の選択のなんと矢野さんらしい事でしょう。

しばらく休まれるのだろうくらいに思っていましたが、ついに復活されることが無かったのが残念でなりません。

最初に挙げた作品の〈ひとつ選択〉を矢野さんもされたのでしょうか。

それでも、病床において、ご不自由なお身体ではあっても、こころの中では短歌詩形を大切に持ちつづけておられたであろうことを信じています。


矢野さんの「感動を即、短歌にしない」このお言葉は私の胸から離れることはありません。


追悼 矢野京子さん 大野英子_f0371014_07201359.jpg


                   これまでの矢野さんの歌集四冊です。


霧ふかき深くさむらに去りしひとのうしろを追ひてけふもうた詠む


# by minaminouozafk | 2023-06-02 07:21 | Comments(0)