南京櫨 大西晶子

 今日で今年もおしまい、明日からは2018年だ。冬さなか、近所の公園を通りかかると、南京櫨の白い実が美しい。

12月の始めには次女の住む川崎に滞在し、その間に思いがけず紅葉した東京の樹々を見る機会があった。 

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六本木ヒルズの近くで見た大きな公孫樹の木、東京ミッドタウンのクリスタルの沢山の紐で飾られた真っ赤な楓、多摩川浅間神社の楓の紅葉、などなど、いづれも散る前の紅葉の盛りの姿だった。

彩り豊かで印象的な樹々だったが、葉が緑の時期にはまたぜんぜん違う姿を見せるのだろう。いつかその時期にも見てみたい。

 話は近所の公園に戻る。十~十一月頃の南京櫨の緑・赤・黄と色の混ざった紅葉も良いが、冬の白い実だけを枝先に残した姿も清々しい。葉を落とした南京櫨の幹と枝は踊っているようにも見える。

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 南京櫨の実を見ると連想する歌がある。


くれないに染(そ)みしぬるでの鹽(しほ)の實(み)の鹽(しほ)ふけり見ゆ霜(しも)のふれれば  長塚節


 詞書で、海から遠く塩が手に入り難い土地では、白膠木の実の味がしょっぱいので塩の実と呼んだということを知った。白膠木(ぬるで)の木は見たことが無いが、ずっと以前に白膠木には白い実がなると知って以来 南京櫨の白実に想像を重ねていた。これもいつか本物の白膠木を見たいものだ。

 ふたたび話を元に戻すと、南京櫨の実は漢方では烏臼(うきゅう)といい、皮膚病薬、石鹸の材料、利尿剤などになるそうで、なかなか役に立つ植物なのだった。単なる街路樹だとばかり思っていたのだが。


 身近なことや植物でも、このように知らないことが本当に多い。些細な事で心に引っかかっていたことを調べることが、ブログを始めて多くなった。やはり動機が必要なのだとしみじみ思う。

 いつも今回のように取りとめない散文を書いて来た一年だったが、それでも毎週欠かさずこのブログに書き続けられたのは、ブログの仲間と読んでくださる方々のおかげでだと思う。

 一年間、当ブログを見て下さった皆様、こころより御礼申し上げます、ありがとうございました。
   みなさまの新年が良い御年でありますようお祈り申し上げます。

    

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      一年の最後のひと日いちにちが良き日だつたと目をつむりたし
      目ざむれば明日は来年待つものを思うは楽し早く眠らな       晶子


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# by minaminouozafk | 2017-12-31 07:30 | Comments(6)

お正月さん  栗山由利

 今年も今日をいれて、余すところ二日となった。正月が近づくと必ず思い出すひとつのフレーズがある。


     すずめのね 親子がね

     そろいのジャケツでね

     凧あげしたそに みてたとさ

     お正月さんがね わらったとさ


 五十数年前、幼稚園のときに毎月渡された「チャイルドブック」という幼児雑誌に載っていた詩の一部である。うすい本だったが、開くと座っている自分の脚が見えなくなるほどの大きさだった。今ほど絵本が溢れていない頃、両親が買ってくれていたのだろう。

 見開き二ページにわたって、右のページには電線に留まった大きい雀と小さい雀、左には青い空に高々と上がる凧の絵。その下ではコマを回している子供が描かれていたように覚えている。次はカラスの親子だったと思うが、そちらは覚えていない。子供心にその時、お正月さんはみんなに優しい人で、ニコニコしているんだなと思った記憶がある。


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 昨日一日は、正月の買い出しの日と決めて近くの農協の販売所やスーパーに出掛けた。農協からの帰り道、住宅地の裏手の川沿いを歩いていると、春には菜の花でいっぱいになる土手の枯れ草の上に灰色キジの猫が丸まっていた。猫好きの私たちは足を止め、しばらく猫に話しかけて「元気にしときいや」とまた歩き出した。


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と、五メートルも行かないうちに今度は鉢われの白黒猫が同じように丸まって、じっとしていた。あららと、また足を止めてひとしきり話して立ち上がり「二度あることは三度あるっていうから、もう一匹いるかもね」と言い終わるかどうかくらいで今度は一箇所に三匹がかたまっていた。


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母猫と子猫が二匹。前の猫とはちがって防御の体制の母猫がフウーッと火を噴いたので、子猫も左右に分かれて隠れてしまった。母猫といっても体は小さくて、夫は「おかあさん、偉いねえ。よくここまで育てたねえ」と何度も声をかけていた。猫たちはけして痩せてはいなかったから、誰かしら餌をあげているのだろう。

 お正月さんがこの猫たちにも寄り添ってくれたらと思いながら家への道を歩いた。



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 この一年、日々の何でもない出来事を綴っただけの文章と、拙い短歌をお読みくださいました皆さまに深く感謝申し上げます。来年もひとつでも何かにチャレンジできたらと思っております。

 皆さまにとりまして新しい年が幸多き年となりますようお祈り申し上げます。


     段取りをととのへ締めるエプロンの紐いつもより少しつよめに


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# by minaminouozafk | 2017-12-30 10:34 | Comments(6)

カルチャー今年後半の鑑賞、桑原正紀氏の『花西行』の中に

   〈荒梅雨の夜更けを辛く書きにける遺歌集あとがき 二十五年前〉

         「義姉(ぎし)関口由紀子の命日も八月十二日」と詞書きのある一首があった。
以前から読みたいと思いながら父の書架にもなく諦めていた一冊を、今回コスモスのお仲間が探して下さり、漸く手にすることが出来た。

自死という重たい運命を背負った一冊だが、それを抜きにしても、23歳から39歳までの苦しい時も、嬉しい時も、みずみずしい感性に溢れていた。

今年三度を残し『花西行』を終え、『韮の花咲く』から抽出した百余首を鑑賞の時間に読んで感想を述べて貰うことにした。


それは、全国大会での高野さんが基調講演で語られていた言葉「宮先生に代表されるように、人間はどう生きるべきかという基本的な問い掛けが土台にある。写生をすればある程度の歌はできるがそれだけでは写実主義になり、そこを目的にはしない。描写しただけではなく人間の心をどう捉えて表現するかを考えると無限に歌が生まれる」この言葉にも、後押しされる思いがあった。


最新の作品を知ることも大事だが、宮先生と同じ、生きる葛藤を読み上げた関口作品を知って欲しいと思った。

Ⅰ(昭和四十三年~昭和四十九年・二十三歳~二十九歳)
  死出の母に穿かす白足袋布ゆるみ踵も甲も細りて哀しも
  傷つけず傷つかず生き休むべく服ぬげば幽かに放電をせり
  「乳鏡」に触れて思ひぬ貧しさを詠みても歌の清く輝け
  街川に橋は掛かれり風景を優しく見せて古き木の橋
  闇のもつ優しさ知りしはいつよりか夜空は近くわが窓にくる


関口さんは昭和二十年生れ。前半は、桐の花賞受賞作までの作品。

母の死により進学を諦め家族のために青春を費やす日々。飾らず、素直な心の表白に女性らしい細やかな把握があり、叙景歌や物に託す「揺れ動く心」に惹かれた。


Ⅱ(昭和五十年~昭五十九年・三十歳~三十九歳)
弟と妹も育ち、家族から独立し遅ればせながら青春を感じ、自分の人生を歩みだす。そして、出会い、結婚、出産。

  星空の広がる夜のあることも長く忘れきみ冬づく空
  触れし手の冷たさを言ひ肉厚き両手に長く包みくれたり
  韮に咲く花の貧しくこのあした寒き(くもり)の下を揺れをり
  告げられて生命二つとなりし身の(くら)む思ひのなしと言はなくに

  夜半にして蜩なけり生と死のあはひを深く闇は閉ざせり
  未だ生の苦を負はぬもの頬そめて眠れる吾子のうすき瞼

  入口も出口も分かぬ桎梏の日々を拠りたり柊二の歌に

  歌なぞに拠るは愚かぞおろかもの五百人よる大会すごし

  (あかがね)の桜のはだへ春近みいのちに向ふものはかがやく

  歌ゆゑに濃き人生の時間あり孤独に過ぎし青春のなか


戦後の日本は急成長しながらめまぐるしく変わってゆく時代、コスモスでも若手の活躍が著しい時。

宮先生ご夫妻の御恩に報いなければと言う思いも強くあったのかもしれない。

なまぬるい現代からは想像の付かない思いが湧いてくる時代だっただろう。

「死」と言うキーワードが多用されているので、常に意識されていたのだろうかとの意見も出たが、

歌人として生を追求するとき、表裏一体となる「死」が立ち上がってくる事はごく自然な事だと思う。早くに母や若き歌の仲間、杉山隆を失った関口さんなら尚更だろう。


この三度の鑑賞の時間での大きな収穫は、関口さんと同時代を生きて来られた皆さんが、それぞれ自分の青春や、子育て、仕事における葛藤にまで、話が及んだことだった。

私も歌集後半の〈連れ立ちて鳩去りしかば日の落ちし境内さむく子と二人なり〉世間から取り残される様な思いだろうか。この歌から、幼い私を連れた母が公園などで、私を埒外にして物思いにふけっていたとき、母の寂しさに触れたような思いが湧いたことを、ふと思い出した。

皆さんと共に過去を顧みる良い機会が持てた喜びを感じた。


今年は元旦に実家の網戸掃除という余裕のなさだったが、一昨日は墓参り、昨日は実家の網戸七枚まですべての大掃除を済ますことが出来た。

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               (実家の庭の万両の実がつやつや)

短歌に関してはかたつむりよりものろい私の歩みですが、今年もブログにお付き合いくださってありがとうございました。


      繭をつくる蚕のやうな月の下われは籠らん歌なる繭に

      けふもひとりあしたもひとりへんぺいなオリオン武骨にかたぶいてをり


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# by minaminouozafk | 2017-12-29 07:43 | Comments(7)

12月の晴れた日。上野の国立西洋美術館を訪れた。

西洋美術館の本館は「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」の構成資産として世界遺産に登録されている。

斬新なデザインの美術館を想像していたけれど、外観はシンプルで落ち着いた印象。

前庭にはロダンの代表作が取り囲むように並んでいる。



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美術館本館と〈カレーの市民〉



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〈考える人〉



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蒼穹に。〈弓を引くヘラクレス〉 



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〈地獄の門〉両脇にはアダムとエヴァのブロンズ像



くきやかな冬の青空。苦悩する姿さえ肉感的、躍動的なロダンの作品。

この彫刻群をゆっくり鑑賞するだけでも十分なくらい。

とはいえせっかくの機会なので中へ。

常設展を見るはずが、北斎の娘を描いたNHKドラマがふと頭を過ぎり、直前で企画展「北斎とジャポニスム」に変更してしまった。



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地下なのに一面のガラスからの採光で明るい室内




19世紀後半の印象派の時代。セザンヌやドガ、ゴッホ、モネ、ゴーガン等著名な画家を初め欧米の全域でジャポニスムという現象が美術界を席巻。なかでも浮世絵師の葛飾北斎の影響は著しかったという。

展覧会では北斎の作品とそれに影響された西洋美術(絵画、版画、彫刻、ポスター、装飾工芸)が並べて展示され、比較しながら鑑賞できるようになっていた。



くるりくるりと螺旋を描きながら展示を見て回る。

セザンヌのサント=ヴィクトワール山の複数の作品が北斎の富嶽図の連作の影響から生まれたなんて。

ガレのモチーフのトンボが北斎の蜻蛉のデッサンからだったなんて。

ドガの踊り子の腰に手をあてるポーズがお相撲さんのポーズからだったなんて。
(なるほど背中の筋肉似てます)



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インスタ用の撮影ポイントも(*^_^*



百物語のお化けが微妙にユーモラスなものに描かれていたり、北斎と言えばの〈富嶽三十六景 神奈川沖浪裏〉の逆巻く波が線の自在さや圧力などその作者によってニュアンスの違う波に描かれていたり、北斎の精緻な観察眼、デッサン力に驚いたり…。

ええ、おお、そおなの…と、たくさんの人は苦手なのだけれどそれを忘れて見入ってしまった。

傑作の数々。知ればまた、別の情景が立ち上がってくる。

そして、そして、

未知の美との出会いに歓喜する芸術家たちの姿。そのときめきや情動のようなものがしずかに熱く伝わってくる。




瞠きて北斎漫画見つめゐる画家を思へりドガの〈踊り子〉

閃きが作品生みし傍らに立てばかそけき水流の音




今年のブログ担当も今日で最後となりました。テーマを探してこれまでなら出かけないような所へ行ったり、メンバーの皆さんの記事に刺激を受け目を開かれる思いを味わったりの日々でした。この出会いが新しい作品を生む力になることを願って。

読んでくださっています皆さまどうぞよいお年をお迎えください。


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# by minaminouozafk | 2017-12-28 07:53 | Comments(7)

牧水の「耳川と美々津」という文章が、どれほど私を羨ましがらせたか分からない。



  私は六歳か七歳の時、母に連れられて耳川を下つたことがある。そして舟が

 将に美々津に着かうとする時、眼の前の砂丘を越えて雲のやうな飛沫を散らし

 ながら青々とうねり上る浪を見て、母の袖をしつかと捉りながら驚き懼れて、

 何ものなるかを問うた。母は笑ひながら、あれは浪だと教へた。



牧水の海体験である。なんと眩しい記憶だろうか。


長崎県の小さな島生まれの私にとって海はこの身体からのびる皮膚のようなもので、

ことさら認識する対象にはなり得なかったようなのだ。そういうことなのだ。


ああ、それにしてもミミカワとかミミツとか、なんという愛らしい響き。

これはもう行くしかなくて、牧水が「舟」で下ったところを車で下った(下ってもらった)。


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きらきら。


車の中からもほとんどずっとこんな水面のきらめきが見えていた。


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美々津では、牧水の「青々とうねり上る浪」は見られなかったけれど、

牧水が知らずにしまった碑があった。


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         〈「神武天皇御親率の東征水軍御進発の聖地」とある〉


ああ、と思う。

ここはあの美々津でもあった。


白秋に「海道東征」という作品がある(これは合唱曲。曲は信時潔)。

その第三章「御船出」の冒頭に「美々津」が出ている。



日はのぼる、旗雲の(とよ)の茜に、

いざ()(ふね)()でませや、うまし美々津を。         白秋



うまし美々津――。

描かれているのは、

ここ美々津より「(かむ)(やまと)磐余(いわれ)(ひこ)」(白秋の表記)の船団が出発する時の様子。


もうすでに眼疾の昂じていた白秋が薄明の中で書いた作品である。


この白秋の詩を牧水は知らない。

けれども二人のあいだで美々津が話題になったこともあったかと、

牧水の白秋宛て書簡を読みながら思う。



白秋と牧水の酉年が終わろうとしている。

しずかな気持ちで見送ろう。


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  水仙の苞ひそやかな音立てて一日ひとひの今をふくらむ


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この一年、関わってくださったみなさま、ありがとうございました。



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# by minaminouozafk | 2017-12-27 10:32 | Comments(9)

気づけばブログ担当も今日で今年最後。一年が早すぎる。年末の片付けをしながら、恵送いただいた歌集について、そのお礼の一筆も書いていないことに(大人として)恥ずかしくなり、付箋をつけたままになっている作品の中から一首ずつご紹介させていただくことにした。(並びは出版順。そしてこのアイディアは、先日、さる短歌賞の選考会議で会った桜川冴子さんから教授いただいた。桜川さんは「桜川冴子の愛する短歌」というご自身のブログの今月の10首というコーナーで、送られてきた歌集の紹介をされている。冴子さん、ご助言ありがとう。)



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『けふの水澄む』  早島和子(柊書房)

・「ふ」の字好き「ゆ」の字大好き冬が好き口笛吹けばふゆがささやく

流麗な韻律と新鮮な発想。ベテランながらみずみずしい。

『山帰来』   土屋美代子(柊書房)

・たまものの烏賊を捌けば南無三宝つかみゐる手に巻きつかむとす

日々の暮しを大切に、豊かで温かなお人柄と、人生観にほっとする。

『白光名城』  斉藤郁代(柊書房)

・胸うちに悶ふるありて下りゆかず手力込めて風呂場を洗ふ

夫君との訣れ、自身の闘病。その中から生まれる作品は力強く輝いている。

『海の窓』  中塚節子(現代短歌社)

・滅びゆくものはいとほしふる里の路地を童(わらべ)のごとくかけ抜く

作者の中に息づくふるさとの生き生きした景に癒される。

『葡萄酒色の海』  新保弥代枝(柊書房)

・敗北を抱きしめて来し両腕をほどきて武器(アームズ)となしゆくか日本は

言語感覚豊かな作者。言葉から想起される世界観の広さに瞠目。


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『そにどりの青』  吉田美奈子(六花書林)

・捩花の穂は天指せり原発を人が創りて人がくるしむ

高い作歌技術があるが、韻律のなめらかさが知に寄り過ぎない作品に仕上げている。

『仁池』  宮西史子(柊書房)

・ほんたうの別れを知らず十六のこころで読みし「永訣の朝」

讃岐びとのおおらかさが魅力。亡き夫君を詠まれた作品は胸に迫る。

『肥後椿』  澤淳子(柊書房)

・土俵にて組み合ふ時に力士らは這入りゆくとぞ相手の呼吸に

95歳の作者の第3歌集。明晰さを失わない表現力で日常を活写する。

『共命鳥』  谷村孝子(柊書房)

・迷ふこと多きわたしは頭二つ持ちてゐるとふ共命鳥(ぐみやうてう)らし

タイトル秀逸。読んでみたいと思わせる。自在な世界観が魅力の一冊。

『さいかちの実』  菊地佐多子(柊書房)

・「寂」といふ臓器がひとつ増えたやう亡き夫思へばシーンと痛む

静かなトーンで紡がれた歌は、実は社会のぐまにアクセスしている。


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『百通り』  長嶺元久(本阿弥書店)

・「わたくしが生きてるかぎり先生はお元気でゐて診てくださいね」

第14回筑紫歌壇賞受賞の作者。医師という職の悲喜こもごもを詠んで自在な歌境である。

『水の声』  江坂美知子(角川書店)

・うひうひしき夫の歩みに手を添ふる共に生くとふ時の尊し

古典に精通した作者。本歌集では夫君の闘病に伴う心の機微が襞深く詠まれている。

『ああ空も』  藤吉宏子(短歌研究社)

・転ぶ子に大地はやさし畦みちのイヌノフグリの紫淡し

格調高い韻律で詠まれた作品に溢れる眼差しの温かさ。「久留米のお母さん」なのだ。

『星のやどり』  能勢玉枝(柊書房)

・ぎつしりと金平糖の詰められて地球瓶とふ硝子の容器

第1歌集。具象から抽象へ飛翔の足跡が見える歌集。


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『散録』  外塚喬(短歌研究社)

・比喩はたのしい南瓜をおぢいさんといふ人の心にふれて歳晩

・炉心溶融(メルトダウン)まだ収まらぬうつし世を憂ひの目にて見る鼻まがり

・今日かぎりこの世にゐない人のため降る雪は首都の空を暗くす

・飛び立ちてすぐまた水にかへる鳥柳川は死者に多く会へる町

「朔日」代表、外塚氏。今年は他にも『木俣修のうた百首鑑賞』も恵送いただいた。父、師(木俣修)の享年を意識して編まれた本歌集であるが、作者の持ち味である観照の豊かさに揺るぎはない。



今年もたくさんの佳き歌集にまみえることができました。

ありがとうございました。

来年からは、毎月最終担当日にこういう形で歌集紹介をしたいと思っています(あくまで予定)。



あわただしい年の瀬。

どうぞみなさま、ご自愛ください。

来る年がみなさまにとって佳き年でありますように。




すぐ横に座しゐるやうな慕はしさ歌集を読めばその詠み人の



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# by minaminouozafk | 2017-12-26 09:40 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(6)


今日はクリスマス。


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バブルのころ学生時代を過ごした私にはこのごろのクリスマスはちょっと元気がないような気がする。


息子たちの子育てのころも、クリスマスは特別でツリーやケーキ、パーティーにプレゼントは必須だった。料理やケーキも手作りして持ち寄ったりもした。商店街もうるさいほどクリスマスソングに浮かれていた。ショッピングモールではセールやクリスマスソングもあるが、以前ほどではない。ただ私自身が年を重ねたせいだけではないようだ。日本の人口は65歳以上が4分の1、出生数が年間100万を切ったことも原因かもしれない。漠然とした不安感、閉塞感はだれもが抱いている。


ハロウィンが終わったらすぐにクリスマスへと街の飾りつけは変わっていく。ハロウィンには特別な音楽はないようだが、クリスマスは耳からやってくる。しかし、今年ふと思うと地元のスーパーではなかなかクリスマスソングがかからなかった。イブでもかかっていない店舗もある。そういえば以前は流行りの曲がかかっていたが、今はオリジナルなのか、同じ曲が繰り返されている。他のスーパーやホームセンターなども同様。


シャッター通りを和ませてくれていたスピーカーからもこの頃は聞こえてこない。もしかしたら、音楽著作権の問題かもしれない。さびしい。地方の小さい店舗は大目にと思うのだが。あらあら週末ひさしぶりにスピーカーから音楽が。クリスマスソングではないがなんとなくホッとする。


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街灯の下の小さい黒い四角がスピーカー、10メートルおきくらいにある。


クリスマスだって戦後にアメリカの進駐軍から入ってきたものだからか、父母の世代はクリスマスもハロウィンも私ほど大差は無いようだ。たぶん私はクリスマスに思い入れがもっとも強かった世代なのだろう。さまざまなイベント目白押しのハレの日だらけの今、クリスマスも one of them にすぎない。

などと考えている時、宅急便で〈といとい〉が届いた。すてきなクリスマスプレゼント。コスモス山口支部長の山本寛嗣さんからだ。といといは藁で作った馬で山口市阿東町地福に古くから伝わる行事でもある。以前、いただけたら嬉しいなと厚かましく言った言葉を覚えて下さっていたのだ。たいへん失礼ではあるが、素朴で愛らしい〈といとい〉が、トナカイに見えてきた。


今年はクリスマスもお正月も大丈夫と素敵な手作りのリースもいただいた。




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むかしから、家内安全、無病息災、五穀豊穣を願い集落の絆を確認し、感謝するたいせつな行事であった〈といとい〉。クリスマスよりハロウィンよりずっとしっくり心に馴染む。

数年前に注連縄作り教室みたいのに参加したが、縄を撚り編むことは一筋縄ではない。なつかしい藁の匂い。新しい戌年のわが家を〈といとい〉はしっかり守ってくれるだろう。


クリスマス・イブの忌宮神社の境内では門松作りの真最中。スーパーには大きなケーキの箱は見当たらなくて、小さいケーキ、チキンなどがお飾りや鏡餅とならんでいる。



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またまた宅急便、今度は秋に結婚した次男夫婦からの結婚式のアルバム。




クリスマス・イブにはケーキ食べてたつて息子の息子の息子のことば





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# by minaminouozafk | 2017-12-25 08:19 | Comments(7)