<   2017年 08月 ( 31 )   > この月の画像一覧

雨の日  鈴木千登世

雨の日、電線に鴉が止まっていた。

山をけぶらせるようなかなり激しい雨だったのだけれど、鴉は飛び去ることもなくそのまま雨に打たれていた。他の鳥たちの姿は見えない。

鴉は濡れることが苦にならないのだろうか。

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降る雨の中、濡れながらやはり鴉は止まっている。



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最初は距離を置いて止まっていた二羽が、しばらくすると少し近づいていた。

何か話したげな横顔。

鴉が人間のように見えてきた。



降る雨に濡れそぼちゐる鴉二羽うつむく背(せな)の寄り添ひてゆく


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by minaminouozafk | 2017-08-31 05:53 | Comments(7)

昨日、朝倉市に住む友人から小包が届いた。

朝倉は、九州北部豪雨で大きな被害を受けた地区の一つ。

彼女は、そこで小学校の教員をしている。



朝倉市内の小中学校はすでに2学期が始まっている。

豪雨の影響で夏休みのスタートを10日ほど前倒しにしていたため、

それに合わせて始業が早まったのだ。



包のなかには、お菓子が入っていた。


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ハトマメ屋の金トキ豆。

国産小麦粉と砂糖を使った懐かしい感じのする焼き菓子である。

裏面には、こんなコピーが印字されている。


滋養多く風味佳良、観劇、遊山、旅行に茶、酒席ビール用一般家庭に学生団体の

慰安用最適品にして天下一品の珍菓なり。


「百年の伝統を誇るハトマメ」の百年前を彷彿させる節調だ。



同封の手紙には、

「被災したお店も再開して活気が戻りつつあります」

と書かれていた。



この大袋のなかには、小袋が10個。

その一つひとつに「おみくじ」が入っている。

ではでは、開けてみよう。(緊張するなあ)



――ふふふ。


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「マスマス ハン ジヨウ」!



朝倉の空の下にじんじんと「益々繁盛」が広がっていく様子が思い浮かぶ。


 

今朝はもう、この天下一品の珍菓をかばんに入れてある。



  ま青なり作業現場の残響を力いつぱい容れて夏空



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by minaminouozafk | 2017-08-30 05:45 | Comments(7)

第14回筑紫歌壇賞は『蜜の大地』小紋潤氏。


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小紋氏は「心の花」所属。

雁書館の編集者として、また装幀家として、多くの歌人の本を作ってきた。また、若手歌人の後援にも尽力し、小紋氏の恩恵を受けた歌人は多いと聞く。

現代歌壇にあっては知らない方がめずらしいという存在の小紋氏だが、長い歌歴にも拘らず、本歌集が第一歌集であったことにまず驚いた。



1971年から2007年に詠まれた約800首から、420首が選ばれ、一冊にまとめられた。元々の800首という歌数も、歌歴に比すれば少ないが、このことについては高野公彦が

  「心の花」に小紋潤というメッタに歌を作らない歌人がいる

と書いている(「アサヒグラフ」増刊号「昭和短歌の世界」1986)ので、もともと寡作なタイプの歌人なのだろう。(高野発言は大口玲子氏の「あとがき」に引用されていたのを、藤野所有の原本にあたり確認しました。)


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小紋潤の37年がぎゅっと濃縮された『蜜の大地』、以下に紹介する。


銀河系、その創まりを思ふときわが十代の孤り晶しも

雨に濡れて紫陽花咲く稚ければ藍より青きことを信じる

天の川かかる夕べの庭に立つこよなく澄めば祈りは叶ふ

十指ひらき天にふれゆくある時はジャックの夢のごとき雲たち

ラディゲの死に間に合はざりしいもうとが薔薇一束を卓に飾るも

ある時は恍惚とせり滅びゆくものみな美しく、地球よ滅べ

さんさんと散る椎の葉のもろごゑの われもまだ生きてゐるといふこと

雪に変はる雨になりたり日常の只中雪一面の俺の視野である

さすたけの君を思へば啼く鳥の春の山彦さへやはらかし

焼酎が一番旨いと言ひおきて九州に帰りし伊藤一彦ともし

雲雀あがり晶しき春のさみどりにあした発つごと君娶りたり

違はずに来にける春に菫摘むいにしへの人のいにしへの幸

滅ぶとも流れゆくともよし春に花飾る吾も飾らるる汝も

南風すぎて雨にうるほふ街が見ゆ雨傘色のこの世が見える

惑星に游べる水の藍色を賜物として水滴むすぶ

すがしさを頒つ夜の雨恕されてしづかなる生をわれ賜らん

あかときの祈りにも似てよみがへる記憶の中にあさがほの咲く

柑橘のみどりの智慧につつまれて熟れゆくときはみな孤独なり

時は今いさをしのごとかさなりて実らん秋のひかりのなかに

殉教の地なるふるさとそのかみの一族ら草木のごとき団居ぞ

日向灘を右に見下ろし降りゆける窓にめぐしき水の王国

南島の内部の朱を遡る弧ははがねなすやさしさである

枇杷の実の稔る木下のほの明かりかぐはしき夜を迎へんとして

谷に棲む人の習俗、風俗の翳りさへ明るすぎる午後二時

夏雲の矜持こそよけれ わたなかに一つ大きく湧く力あり

槻の木はしんじつ黄金の葉を天に掲げゐたりけり、散りゐたりけり

かんがへてまた考へてかへりみる夕暮れはもうみづびたしなり

月を売りに来る人ありてそらんずる賢治の夢の結句あはれなり

海と川が交はるあたり西方の浄土より来るひかりあまねし

相思ふもののごとくに寄り添へる椎の実二つあるこの世の秋は

わが歌とおもへば晶し神様の時間のやうな孤独のやうな

草の茂る小道を通り夕焼けの向かうにいつかゆかうと思ふ

佐太郎の『帰潮』、柊二の『小紺珠』読みてやすらふ春のつごもり

秋深き欝金の山に子と遊ぶ 光とあそぶ子は鮮しき

此の秋はこよなく澄みてふるさとをゆきかふ雲は雲母なす雲

ほのくらく雨の降り来るこの宵に銀杏を炒るうつし世の母

大楡に向かひて立てば旧約の金色の葉の降りつもらせぬ

苦しみてゐるのは一人のわれのみならずエゴンシーレの窓に女見ゆ

思ひあふれて金砂銀砂をふりこぼすゆたかなるかな秋の真昼間

白骨と草に寝ねたる朝が来て光りかがよふ水晶の骨

ぬばたまの国語辞典はうすあかりして荒栲の「衣」なびかふ

そのかみの興亡見えて城壁の反りゆたかなることのさびしも

あぢさゐはまだ夭ければ天と地のあはひ静かな夕ぐれとなる

ゆく秋は余波のごとし陽に灼けしヴィヨン詩集に読む日暮れの詩

風のなき夜空にあまた星のゐて男星女星のいさかひあらん

愚直なることのよろしも我が家より東北東にある岩屋山

子どもらの鞦韆揺れてゐる夕べ雀の子らは遊ぶことなし

買ひて来し螢を囲むゆふぐれやアンデルセンの背は高かりき

友情といふ語にすがる日々にしてヨーゼフ・Kある朝思ふ

雲の影なき三月の青空を充たすべく赤い鱏を描かう

啄木の銀座の雨は静かなり今日降る雨は歓びてゐる

白露なり、紫紺の茄子を摘むときはあしたすずしき秋と思へよ

かたくなにこころまもると草の実の一粒となるお前であるか

いつさいは徒労であると長月のすすきの中にほほけしがあり

身に沁みて秋と思へり世界中長崎型原子爆弾製造可能

北よりの便りにリラの花咲くと五月はひかりの寂しさである

顧みてねがふことなきわれになほ盧生の夢のごとき残生

七夜見し夢のつづきに繭となる寂しきことはひとつもあらぬ

子を前に飲めば真昼の蟬の声この世に満ちて溢るるごとし

いつ来てもライオンバスに乗りたがるライオンバスがそんなに好きか

夜の紺のうすれゆくとき蠟の火を独りあそびて点しつづくも

飯食ふは一日の恥労働は一生の恥されば酒飲む

ふるさとに帰りて思ふ徴税人マタイが従ひしその人のこと

見下ろせばあを篁のゆくらかに動くと見えてしづまりゆきぬ



64首引用。

ワードで打っているとよくわかるのだが、小紋短歌の韻律の美しさは格別だ。それぞれの言葉のもつポテンシャルを限界まで生かしたリズムがゆったりと定型の中で呼吸している。

内面を露わに詠んだ作品はない。それでも読むものを引き付けてやまないのは、この韻律の力によるところが大きい。日常のなんということもない瞬間が詩になる。その不思議さ、鮮やかさを久しぶりに味わわせてもらった。

ことさらな事上げはされていないが、宗教観も感受される。この世を統べる大いなるものの存在の前に慎み深く生を享受する小紋氏の姿勢が印象に残った。



書きたいことはまだまだあるが、今日はここまで。

9月24日、太宰府館での贈賞式の報告の記事でまた書かせていただきます。



  定型にからめとられて言の葉の繁りゆたけし『蜜の大地』に



*9月24日 13:30~  大宰府館

第14回筑紫歌壇賞贈賞式

第二部のシンポジウム テーマ「声」に、パネラーとして登壇いたします。みなさまのご参加、お待ちしております。


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by minaminouozafk | 2017-08-29 03:31 | Comments(7)


この夏も暑かった。虫も花も耐えているのに申し訳ないと思いつつも、エアコンなしではもはや生活できない。どこか自然で涼しいところと思い巡らす。鍾乳洞の中、秋芳洞は一年中いつも17ぐらいでかなり冷んやりだ。


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長い年月をかけてカルスト台地の雨水によって出来上がった天然の洞窟が鍾乳洞だ。山口県の子供達の多くは家族でお出かけやキャンプはもちろん、学校の遠足・宿泊訓練・地理巡見など秋吉台をよく利用する。その時の注意事項の一番は「ドリーネに気をつけなさい。落ちたら真っ暗で底は限りなく深くて決して上がってこれないです。」今でも秋吉台の草原を歩く時、ドリーネが怖い。


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石灰岩の大地である秋吉台は化石がたくさん見つかっている。私も子供のころ、息子たちも化石探しにチャレンジしたことがある。アンモナイトをと意気込んでいたのにフズリナという化石で、ちょっと残念だった記憶。下関からいつも秋吉台に行く途中に左手に見える化石館。ずっと気になっていた小さな博物館にはじめて先日立ち寄った。人気者のアンモナイトはもちろん三畳紀の昆虫の化石もおもしろい。シダなどの大きな化石原石もすごい。なのに・・・夏休みなのに入館者は他にはいない。ドリーネに落ちた動物たちの骨もゾウ、トラ、コウモリと多岐にわたり、静かな館内。しばらく一人むかしむかしへタイムスリップする。地球の変化に応じたいのちの鎖。



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帰り際、出口近くの案内板を読むと約7キロ離れたところに化石採集場があるらしい。事前に美祢市歴史民俗資料館に連絡して入場料100円でいつでも化石探しができるみたい。もう少し涼しくなったら挑戦してみたいと思っているのですが。ご一緒していただく方は稀有ですよね。



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秋吉台はむかしむかし中生代は珊瑚礁の海でアンモナイトが泳いでいた。地殻変動のあと陸地となり、草原をゾウやヒョウが闊歩していた。その前にたぶん恐竜も闊歩していた。だから、カルスト台地にぽっかり開いた竪穴ドリーネは動物たちにとっても危険な落とし穴だった。ドリーネはその奥深く、何万年もまえに落下した動物の骨を現在まで保存していたのだ。

穂をのぞかせたススキに秋の気配を感じる。今回は車窓のみだ。カルスト台地をナウマンゾウやオオツノジカやオオカミが駆け回っているのを想像するとわくわくする。人類がやっと誕生したころのお話。ある日突然ドリーネに落下した仲間のことを動物たちはどのように思っただろうか。神隠し。残念ながら人間が読める文献としては残っていない。もしかしたら人間にはわからない手段で伝えていっているのかもしれない。




ニンゲンのナウマンゾウの骨ねむるドリーネの奥に小さき街あり

ななみ




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アンモナイトの仲間?化石館の片隅にあったタコフネ。華奢なうつくしい貝殻。現生 長門市只の浜 とあるから今も生きている姿が見られる?と思ってネットで検索してみた。貝殻のなかにはたしかに小さな蛸。殻をもつのは雌のみ。雄は数ミリと小さい。秋の砂浜で貝殻に出会えたら極めてラッキー。摩訶不思議ないのちは無尽にある。




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by minaminouozafk | 2017-08-28 07:27 | Comments(7)

残暑の厳しい毎日が続いているが、それでも朝夕はすこし涼しくなってきた。庭でも夏中食べてきたゴーヤにもうあまり実がつかなくなったし、胡瓜も蔓の高いところに実が下がっている。胡瓜の実は下から順番に生るので、高い場所に生るのは実の終わりが近いことを意味する。

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毎年夏は胡瓜を食べることが多い。胡瓜のおかげで多少体重も減る。胡瓜ダイエットだ、ありがたい。


夫は野菜を作る人、私はそれを料理する人なので、胡瓜が毎日生り続けると嬉しいけど、何を作ればいいのか悩む。

漬物、中華風酢漬け、胡瓜揉み、胡瓜の冷製スープ、胡瓜と肉の炒め物、ピクルスetc?


今年は8月初めから長女が同居し、よく食べてくれたが、胡瓜をスライスしたものをそれぞれがお気に入りのドレッシングやぽん酢で食べることが多かった。わが家では朝食はパンだ。そこに胡瓜のスライスがあると必然的にパンでそれをはさみ、胡瓜サンドイッチのようなものになる。


イギリス人作家の小説に、胡瓜のサンドイッチというものがお茶会のシーンなどで登場することがある。どちらかというと主人公が貴族的な集まりをやや皮肉な目で見ているような場面で出てくるような気がする。

胡瓜だけが入ったサンドイッチ、なんだかパンまで湿ってしまいそうで、美味しくなさそうだと思っていた。

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しかし、ネット検索して調べると、レシピが見つかった。
現在のイギリスでは胡瓜は高価だったり、珍しくはないが、過去には胡瓜は貴族階級の温室で育てられた貴重な野菜だったとある。
ステイタスシンボルとして、貴族的な人々のお茶会などでは

ごく薄く切ったパンにバターを塗り、胡瓜を挟みサンドイッチにしたそうだ。

それならとサンドイッチ用にパンを薄くきり、バター・辛子を塗り、スライス胡瓜を並べて食べる。思ったよりも美味しい。さらに塩を振る、胡椒もかける。

薄いパンをトーストして胡瓜をはさむと、ぐんと日常的になるが香ばしくてこれも美味しい。

(ネットのレシピ集には胡瓜の並べ方で、切り口を美しく見せる方法などもあったが、来客をこれでもてなすことは無いと思うので試さない。)



結局、胡瓜サンドイッチは美味しいというのが結論だ。
貴婦人がひとくちで食べられるように小さく上品につくるものらしいが、胡瓜たっぷりで、庶民的にマヨネーズなどを塗るのも美味しいと思う。


ネット検索した時に、〈村上春樹の胡瓜サンドイッチ〉というのも出て来た。レシピを見ると、ハムとチーズがいっしょに挟んであるという。
確かに美味しそうな組み合わせだが、これはもう胡瓜サンドイッチとは呼べないだろう。


胡瓜サンドイッチは、胡瓜以外の具材は無しで、作ったらあまり時間をおかず水分が出る前に食べたい。もちろん熱い紅茶と一緒に。



   実をつけぬゴーヤの葉かげ窓にみて胡瓜食みをり八月の末



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by minaminouozafk | 2017-08-27 09:26 | Comments(7)

お届け野菜  栗山由利

 食材の産地が表示されるようになってからは、毎日の食材は“地産地消”を心がけてきた。世の中が「魚沼産こしひかり」だとか「あきたこまち」だとかのブランド米に流れている時も、九州産のお米である地元福岡の「元気つくし」や熊本の「森のくまさん」、大分産「玖珠の掛け干し米」などを食べるようにしていた。もちろん、ブランド米は高かったからという理由もある。


 野菜や肉、魚も同じようになるべくより近いところで採れた物を買っている。最近はその“新鮮さ”に加えて、一歳の子供を育てている息子夫婦の影響で“安全”ということにも目が向いてきた。近場のもので新鮮だとしても、化学肥料や農薬を使っていれば安全とは言えないからである。このブログの仲間のように自宅で作ることができれば良いのだが、これまでの草花の世話で夫も私も家庭菜園の世話は無理だとはっきりわかってしまった。そんな時、テレビで草木堆肥を使った土壌で野菜を育てている農園のことを知った。そして定期的に宅配もしてくれるというので早速お試し便を送ってもらった。確かにトマトはスーパーに並んでいるものとは違ってツルツルではないし、葉物は虫喰いのあとがあったが、シャキっと感といい味の濃さといい、人間でいうと性格のはっきりした人といった感じで好ましかった。


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それから月二回のペースで段ボール箱に入った野菜が届いている。毎回、自然だのみの内容なのでなにが入っているかは届いてからのお楽しみだ。今回は玉ねぎ、じゃがいも(アンデス)、空芯菜、フルーツトマト、甘とうがらし、バジルに青紫蘇など16種類の野菜が届いた。初めて食べた白ゴーヤは苦味が少なくて、ゴーヤをあまり好きでない夫も胡瓜と茗荷の酢の物にすると、難なく食べることができた。知らない野菜にチャレンジできることも面白い。

送られてきた野菜は“安全”に気を配る息子夫婦へも分けているが、空芯菜は中国にしばらく住んでいた彼らには好評だったし、折り返し、フルーツトマトを食べる孫の写真も送られてきた。健康に影響を及ぼすものは食物だけではないが、自分で選択できるものは正しく選んでいきたいと思っている。


     

      めいつぱい夏日を貯めた大ぶりのトマトかじる子 目はまんまるに 


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by minaminouozafk | 2017-08-26 11:27 | Comments(6)

間千都子さんは、福岡県歌人会の事務局長を務められている。報告資料の取りまとめ他、六十代、機動力のある年代として会を支えてくださっている。いつも重い資料を抱え、明るくテキパキと仕事をこなす姿は歌人会新人の私には眩しいばかり。そんな多忙な中、宗像大社短歌大会の実行委員としても参加して下さっている。
カルチャー教室で青木昭子氏と出会い、ポトナムへ入会されて18年目。

一昨年、ポトナム白楊賞を受賞され、満を持しての第一歌集である。
東京育ち、福岡に嫁いで38年、印刷会社を営まれる親子三代の同居暮らし。そういう中での博多の風習を重んじた丁寧な暮らしぶりが先ず目を引き、読みどころでもあるのだろうが、青木昭子氏の跋文に詳しいので、割愛させていただく。

現在介護年齢真っ只中、さぞかしご苦労の多いであろうことは集中からも伝わるが、注目したのは一家の家刀自としての心のバランスの取り加減である。

・わが内の糸がぷつりと切れた日はやれやれとまた結びなおして

歌集名はこの一首による。おおらかな印象そのままに、とても大人である。
この気持ちを保つための葛藤や、鬱積を詠まれた歌がばつぐんなのだ。
・叶えてはならぬ願いは胸のなか推理小説の中にふくらむ
・ワンピースのファスナーをあげ春色に包まれているわれの憂鬱
・またひとつ気の病む事のやってきて我と足並みそろえて歩く
・失せ物があれば私が犯人となりて母との現場検証す
・耐えられぬほどでもないが夏雲よこの世にエライ人多すぎて
・良き人より良き便りくる本当に良き人なのかそれは解らぬ
・年寄りに上げ膳据え膳するなかれ加減ほどほど手抜きの口実
・わが怒り混ぜたる激辛麻婆を夫はふうふう汗して食ぶる
・障害物つぎつぎ越えて走るよう誰と競争しているのだろう
・つまりその死は遠きもの春くれば春支度して老いびと元気
・犬歯二本を削られいたる吾は多分優しき動物になるであろう

多少のブラックを含むユーモア、憂鬱も明るく包み、諦めにも優しさが滲む。

「耐えられぬほどでもないが」「それは解らぬ」スパイスのように毒が効いているが爽やかな読後感に読者である私も首肯していた。激辛を汗して食べるご主人のさまは、妻の無言の怒りに冷や汗をかいているようで、夫婦関係が垣間見え楽しい。犬歯二本を削られて、「なるであろう」と言うのは優しくない自覚であり、結句の後に(いや、ならないかも…)と隠れているようでもある。いずれも上質な機智に富み、人生を丸くおさめてこられた知恵と余裕が感じられる。

思慮深い考察は、日常の一場面を切り取る小さな気づきにも反映され、且つ明るい。
・一陣の風のようなる子育ての終われば娘が子を抱いている
・磨かれて生き返りたる換気扇どんなもんだと空気すいこむ
・ししむらを無理矢理おし込めたるここち試着の服は買わずに帰る
・原色の靴のいならぶサマーセールはたして(あるじ)に逢えるかどうか
・焼き茄子の皮を剥ぎつつ持ち重る心の峠をただいま越える

ウィットの効いた作品を中心に挙げたが、逆年順に編まれた歌集は家族の歴史を辿るようであり、あとがきには、32年前に亡くなられた大姑さまの遺品から見つかったという短歌も記され、家族愛に溢れた一冊なのである。

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帯を外して見える「春吉書房」はご長男が起ち上げた出版社。

博多の伝統職人技である水引をあしらった表紙も美しい。

最後に、如何にも穏やかでお優しそうなご主人へ寄せる、視線にぶれのない心をご堪能いただきたい。

・酒をのむ鰥夫(やもお)おもえば夫よりも長生きせねばと思うこの夏
・我よりも先に逝きたい夫なれば我の行くさき取越し苦労す
・夫の読む本の帯には「最愛の人を失ったとき人は」の文字(もんじ)
・お父さんはいい老人になりそうだ息子の言葉に合点すわれは
()とおさな送りし後を空港の出発ロビーにたたずむ夫は
・カエルの子はカエルといえばそれは困るとむっつり言えりカエルの夫

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カバーを外した中表紙の鮮やかな豊潤な実りは、満ちたりた家族のかたちそのものだろう。

雨雲の向かうに明るき世界あるような夕空 橋にたたずむ


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by minaminouozafk | 2017-08-25 06:23 | 歌誌・歌集紹介 | Comments(7)

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皆さんはトマトに何をかけて食べておられるだろうか。
サラダならドレッシング? プチトマトはそのまま?

塩でシンプルに?



トマトが好きだった父はお醤油をかけて食べていた。

マヨネーズだったり、お醤油だったり母はいろいろかけて食べていたが、夏の暑い日には、冷やしたトマトに砂糖をまぶしておやつがわりに食べさせてくれていた。

ずっと昔の子どもの頃だけれど、あの頃のトマトは匂いも酸味も強く、濃い味だった。

ぐんぐんと入道雲が育ち、むっと草がいきれたった夏の午後。

砂糖をかけるのは食事の時に食べるのとはまた違った美味しさだった。


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そんなことを思ったのは、わが家のトマトがその時のトマトの味に似ていたから。ミディアムというとんがった先っぽが愛らしいトマト。


実は去年初めて作って美味しかったので、今年もと植えたのだ。

7月には収穫できたので食べてみたら、味が薄くて思ったほど美味しくない???

去年はたまたまだったのかなと少々がっかりしていたら、夏の暑さが増すとともにぐんぐん味か濃くなり、もぎたてを口に含むと砂糖をかけたような甘さ。

美味しくないと思ってごめんね。


トマトが1年中食べられるようになって久しいけれど、やっぱり時期のもの。
暑い夏の太陽に育てられた旬のトマトが一番美味しいと当たり前のことに気づく。
ゆっくり待てば美味しくなることも。



トマトが嫌いだったともだちも今のトマトなら食べられるようになっただろう。

猛烈な残暑に負けそうになりながら、そろそろおしまいになるトマトを惜しみながら食べている。



砂糖かけトマトを食みし夏の午後白き日傘を母は差したり


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by minaminouozafk | 2017-08-24 06:19 | Comments(8)

観測者Cz. 有川知津子

窓の外が急に明るくなった。


ベランダにでる。

太陽の尽くすかがやきに、空があかく染まっている。

夕映えは、今日を終わろうとする大地に太陽が送る挨拶のようだ。


(写真を撮ろう)

目で見たほどのものは残らないと分かっていてもカメラを取りに室内にもどる。


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「1年前にもたしかこんなことが……」

と思ったのと振り返ったのとは、ほぼ同時。

やっぱり――。


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虹。


この季節のベランダは、ときどきこんなふうに、右手に夕日、左手に虹を見せてくれる。

だから、ときどき、理科の時間に配られた〈虹の仕組み〉のプリントを思いだすことになる。

太陽光線と雨粒のカーテンと観測者Aの相関がコンパクトに図示されたプリントである。


そうするとまた自然と思われることがある。

あの虹の仕組みの図は、大いなるものの視点で書かれたものなのだ、ということ。

ここに立っている以上、私は図の中に書き込まれた観測者Cz.にすぎず

どんなに黒目を左右に引き離してみても、

虹と太陽を同時に視野にいれて観察することなんてできない。


つまり、夕日の絢爛をいつまでも惜しんでいたいと思えば、虹を見ることはできないし、

虹の厳粛を記憶にとどめておきたいと思えば、否応なく夕日を背にすることになる。


右を向いたり左を向いたりしながら、同時に見られないことを、ザンネンだわ、と思い、

でも、いや待てよ、右を向いたり左を向いたりしながらでも同時に見られることは、

実は、おもしろいことなのかもしれないぞ、などと思いなおす。


ひょっとすると、

何十年もまえの虹の仕組みの学習は、この部屋に住むための準備だったのかしら、

とそんなことまで――。


ところで、

昨年の拙文「そこにある虹」(9月14日)もこのベランダからのもの。

画像を比べながら、太陽のしずむ位置はほんとうにずれてゆくんだとあらためて確認する。


そういえば、あの記事のあとで、おなじ夕日を見たと声をかけてくださった方があったなあ。

お元気かしら。


とりとめの無いことになりそうである。

掲載が遅れてしまい、ほんとうにごめんなさい。



  虹の化石出でし話はまだ聞かずうつつこの世の深さ果てなし



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by minaminouozafk | 2017-08-23 16:58 | Comments(7)

信号停止していると、こんな光景が…。
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目の前に並ぶ2台のナンバープレート、ともに「77」。
(個人情報に配慮して画像処理しております。見辛くて申し訳ない。)


こんな時、あなたなら、
1.単なる偶然だと思う
2.何らかの有意性を感じる
3.多分、気が付かない


私は2番。
シンクロニシティ(synchronicity)という考え方です。
共時性ともいいますね。カール・ユングが提唱した概念で、従来の「因果性」ではない、複数の事象が一見無関係に同時期に発生する現象を表す言葉です。

この画像に添って解釈すると、
(以下、藤野の脳内リアクション)
信号、赤。じゃ、停止っと。
んん?前の2台、同じナンバーじゃん。えええー、すごい。
これって、単なる偶然?
いや、違う。
これは何か、虫の知らせ的なことなんじゃないかな。
だって、しかも「77」だよ。ラッキーナンバーだよ。
あっっっっ!
これって、ずっと迷ってたあの着物、買った方がいいっていうお告げなのでは?
そうか、そうだよね、買った方がいいんだよね。
うん、そうしよう。今日、ネットでポチっちゃおう!


と、こういう脳内システムがすごい速度で起ち上がり、一気に「確定」キーまで突き進むわけです。
馬鹿ですね~。
馬鹿の上塗り的発言を承知で申し上げれば、私の人生における重要事項は、実はこんな感じで決断されてきたような気がします。
どうしたものか…と迷った時にはいつも、不思議なシンクロニシティが起こって、進むべき道を示してくれたような気がするのです。


何だかスピリチュアル寄りの話みたいで申し訳ない。でも、そもそもユング心理学はそちら寄りだし、もっと言えばサイコロジーとスピリチュアルの境目は実は曖昧。よく当たると評判の占い師さんは心理学の権威であったりします。こころの領域にはまだまだ未開拓の部分が多く、直感によるしかないことも沢山あるのでしょう。


そして、われながら面白いと思うのは、これはシンクロニシティかも…と思った時、自分の中に、「じゃ、やめとこう」という選択肢がないということ。

シンクロニシティは常にGOサイン。

私にとってはそうなのです。
見方を変えると、その選択をする理由が、あともう一押しが欲しかったということなのかもしれません。
でもそれでいいのです。

決めたのは自分。ここまでお導き下さってありがとうございます。

こころの確定キーを押す瞬間、私はいつも大いなる何かに感謝しているような気がします。



Direct me. 迷いの森で佇めるわれの背を押す大いなる手よ
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3年前の娘とのロンドン旅行。なぜあのタイミングで思い立ったのか、謎。
でも、それがその後の娘の進路を左右する結果になった。




〈余談〉
11:11
このデジタル表示を頻繁に見るようなら、シンクロニシティ。
数字にシンクロニシティが現れることは多いそう。自分にとって意味のある数字に頻繁に出会うようなら、今、内面に変容が起きている証左だそうです。
数字によらず、自分にとって今必要な情報が「偶然」テレビから流れてきた、とか、そういう出来事に遭遇したら、ちょっと気を付けて下さい。
シンクロニシティは幸福の瑞兆であることが多いのです。


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by minaminouozafk | 2017-08-22 07:55 | Comments(8)