2018年 01月 02日 ( 1 )

あらたしき年のはじめの初春のけふ降る雪のいやしけよごと
            大伴家持(万葉集巻20・4516番)
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あけましておめでとうございます。新年早々、当ブログをご来訪いただき、まことにありがとうございます。
本年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

新しい年がやってくると、もう反射的に思い出すのが家持のこの歌。
天平宝子3年(759年)、家持が因幡の国守として赴任した年の元旦の祝いの席で詠まれた一首である。

連体格の格助詞「の」を重ねることで、一首に切れ目を作らず、なめらかに結句まで繋がる連綿体。「切れ目」がないことが寿ぎの歌として大切なのだ。
「よごと」は掛詞。夜毎と吉事を掛けている。
「いやしけよごと」は「よごと弥重け」が倒置になっており、(この初雪がどんどん降り積もるように)吉事がますます重なりますように、という意となる。

さらりと詠んでいるようで、この技法。…唸る。

(歌意)
新年の初雪、この豊年の瑞兆である雪が降り積もるように、今年善き事がたくさんありますように。

すがすがしい、前向きな歌である。
けれど、おそらく、実際の家持はこの頃失意の内にあった。天平宝字年間はまさに波乱のときで、757年には「橘奈良麻呂の変」を鎮圧した政敵藤原仲麻呂が圧倒的政治力を掌握し、大伴一門は粛清の憂き目に会う。758年6月、家持もまた、因幡の国守として都を離れ、大伴氏の復権は絶望的となったのである。その失意の年が明けた元旦、宴席で詠まれたのがこの歌。そして、この歌を最後に、785年に亡くなるまで、家持は歌を詠んでいない。

この時、家持42歳。当時としては人生も終盤。そんな時期に都から遠くはなれた任地へ左遷されれば心も弱くなりがちだが、そんな中、自らを鼓舞するようにあえて流麗な、華やかな一首を歳神に捧げる家持の精神のたくましさに驚かされる。家持を「悲しき零落する名門貴族の長」とみる向きもあるが、私個人としては、家持は案外活力に満ちた、楽天的な人間だったのではないかと思っている。度重なる不遇のたびになぜか中央政庁に返り咲く。実際、藤原仲麻呂(恵美押勝)が道鏡とともに失脚した後、770年正五位下として復権を果たしている。光仁・桓武朝においては昇進を続け、785年逝去の際は中納言従三位・持説征東将軍(大伴一門は元々武門の将)であった。

今年、私は56歳になる。
明らかに人生終盤だと思うと、ちょっと萎える。でも…、あの当時42歳の家持だって…、そう思うとかなり元気になれる。失意のどん底にあっても、晴れやかな歌を詠み、言霊によって善きものを引き寄せた家持。もう一度言葉を、歌を信じてみようと思う。

「万葉集巻20・4516番」。
家持がこの新春詠を大巻の掉尾に置いた気持ちがなんとなくわかる2018年元旦。


新春のMoet&Chandon(モエ・エ・シャンドン)もう一杯分を残してクーラーの中

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by minaminouozafk | 2018-01-02 09:42 | Comments(9)