2017年 12月 29日
鑑賞の時間 『韮の花咲く』 関口由紀子遺歌集 大野英子
カルチャー今年後半の鑑賞、桑原正紀氏の『花西行』の中に
〈荒梅雨の夜更けを辛く書きにける遺歌集あとがき 二十五年前〉
「義姉関口由紀子の命日も八月十二日」と詞書きのある一首があった。
以前から読みたいと思いながら父の書架にもなく諦めていた一冊を、今回コスモスのお仲間が探して下さり、漸く手にすることが出来た。
自死という重たい運命を背負った一冊だが、それを抜きにしても、23歳から39歳までの苦しい時も、嬉しい時も、みずみずしい感性に溢れていた。
今年三度を残し『花西行』を終え、『韮の花咲く』から抽出した百余首を鑑賞の時間に読んで感想を述べて貰うことにした。
それは、全国大会での高野さんが基調講演で語られていた言葉「宮先生に代表されるように、人間はどう生きるべきかという基本的な問い掛けが土台にある。写生をすればある程度の歌はできるがそれだけでは写実主義になり、そこを目的にはしない。描写しただけではなく人間の心をどう捉えて表現するかを考えると無限に歌が生まれる」この言葉にも、後押しされる思いがあった。
最新の作品を知ることも大事だが、宮先生と同じ、生きる葛藤を読み上げた関口作品を知って欲しいと思った。
Ⅰ(昭和四十三年~昭和四十九年・二十三歳~二十九歳)
死出の母に穿かす白足袋布ゆるみ踵も甲も細りて哀しも
傷つけず傷つかず生き休むべく服ぬげば幽かに放電をせり
「乳鏡」に触れて思ひぬ貧しさを詠みても歌の清く輝け
街川に橋は掛かれり風景を優しく見せて古き木の橋
闇のもつ優しさ知りしはいつよりか夜空は近くわが窓にくる
関口さんは昭和二十年生れ。前半は、桐の花賞受賞作までの作品。
母の死により進学を諦め家族のために青春を費やす日々。飾らず、素直な心の表白に女性らしい細やかな把握があり、叙景歌や物に託す「揺れ動く心」に惹かれた。
Ⅱ(昭和五十年~昭五十九年・三十歳~三十九歳)
弟と妹も育ち、家族から独立し遅ればせながら青春を感じ、自分の人生を歩みだす。そして、出会い、結婚、出産。
星空の広がる夜のあることも長く忘れきみ冬づく空
触れし手の冷たさを言ひ肉厚き両手に長く包みくれたり
韮に咲く花の貧しくこのあした寒き曇の下を揺れをり
告げられて生命二つとなりし身の眩む思ひのなしと言はなくに
夜半にして蜩なけり生と死のあはひを深く闇は閉ざせり
未だ生の苦を負はぬもの頬そめて眠れる吾子のうすき瞼
入口も出口も分かぬ桎梏の日々を拠りたり柊二の歌に
歌なぞに拠るは愚かぞおろかもの五百人よる大会すごし
銅の桜のはだへ春近みいのちに向ふものはかがやく
歌ゆゑに濃き人生の時間あり孤独に過ぎし青春のなか
戦後の日本は急成長しながらめまぐるしく変わってゆく時代、コスモスでも若手の活躍が著しい時。
宮先生ご夫妻の御恩に報いなければと言う思いも強くあったのかもしれない。
なまぬるい現代からは想像の付かない思いが湧いてくる時代だっただろう。
「死」と言うキーワードが多用されているので、常に意識されていたのだろうかとの意見も出たが、
歌人として生を追求するとき、表裏一体となる「死」が立ち上がってくる事はごく自然な事だと思う。早くに母や若き歌の仲間、杉山隆を失った関口さんなら尚更だろう。
この三度の鑑賞の時間での大きな収穫は、関口さんと同時代を生きて来られた皆さんが、それぞれ自分の青春や、子育て、仕事における葛藤にまで、話が及んだことだった。
私も歌集後半の〈連れ立ちて鳩去りしかば日の落ちし境内さむく子と二人なり〉世間から取り残される様な思いだろうか。この歌から、幼い私を連れた母が公園などで、私を埒外にして物思いにふけっていたとき、母の寂しさに触れたような思いが湧いたことを、ふと思い出した。
皆さんと共に過去を顧みる良い機会が持てた喜びを感じた。
今年は元旦に実家の網戸掃除という余裕のなさだったが、一昨日は墓参り、昨日は実家の網戸七枚まですべての大掃除を済ますことが出来た。
短歌に関してはかたつむりよりものろい私の歩みですが、今年もブログにお付き合いくださってありがとうございました。
繭をつくる蚕のやうな月の下われは籠らん歌なる繭に
けふもひとりあしたもひとりへんぺいなオリオン武骨にかたぶいてをり