2017年 09月 20日
合歓、白秋から柊二へ 有川知津子
昨日の早苗さんの記事にあるように、
先日の全国大会の基調講演は高野公彦氏による「コスモスの継承と前進」であった。
1首目に高野さんが引用したのは、言うまでもなく宮柊二。
昼間見し合歓のあかき花のいろをあこがれの如くよる憶ひをり
柊二
代表歌であり、コスモスに連なる歌人には重要な作品。
思い入れ深くおもっている方も多いのではないだろうか。
合歓には、「かうか」とルビが付されている。
この歌について、高野さんは、
女性の面影が感じられるということを含めて丁寧な解釈をほどこされたあと、
継承という観点から、「かうか」という特殊な読み方には、
白秋の先例があることを付け加えられた。だが具体的な作品は示されなかった。
(あ、あ、あ、宿題の意図であるな)
そうなるともう気になってしょうがない。
月曜の夜、博多にたどり着いた私は、
部屋の明かりをつける前に、なんとなく小さな棚を眺めた。
白秋関連の本がわずかにあるあたりを、である。
すると、なんと竹取の翁の竹のように光を放つ一冊があるではないか。
(うそっ、うそよ)
それがこれ。
『思ひ出』(明治44年6月)の、これは復刻版である。
しばらく繰ってゆくと、こんな詩があった。
いさかひのあと
紅いシヤツ着てたたずめる
TONKA JOHN こそかなしけれ。
白鳳仙花のはなさける
夏の日なかにただひとり。
手にて觸ればそのたねは
莢をはぢきて飛び去りぬ。
毛蟲に針をつき刺せば
青い液出て地ににじむ。
源四郎爺は、目のうすき、
魚かついでゆき過ぎぬ、
彼の禿げたる頭より
われを笑へるものぞあれ。
憎き街かな、風の來て
合歡の木をば吹くときは、
さあれ、かなしく身をそそる。
君にそむきしわがこころ。
「いさかひのあと」という題。喧嘩したのであるか~。
第4連に「カウカ」とある。
「君」との思い出が深い街なのだろう。喧嘩をすれば街さえ憎くてたまらない。
合歓の木を風が揺らして吹くだけで、胸が苦しいという。
この詩にも女性の面影があるのだな。
……引用はしてみたけれど、
講演のとき、高野さんが思い浮かべていた作品とは別物のようなのだ。
というわけで、まだ1首目(全32首)の復習も終わっていないのである。
* * *
江戸風鈴よく響くなり長崎のうぶすなの島の濃青の風に
痛みを抱えていても、最後までテンション保てていたのは帰宅後の楽しみが待っていたからなのね~。
高野さんも喜ばれる事でしょう。真の「カウカ」の作品に出会えますように。E.