2017年 09月 12日
『鳩時計』松尾佳津予歌集 藤野早苗
コスモスの大先輩、そして年長のチャーミングな友人である松尾佳津予さんの第4歌集『鳩時計』読了。
松尾さんは昭和3年生まれ。宮英子氏との約束で、88歳で歌集を出すことになっていたのだという。
コスモス選者の松尾祥子さんは、佳津予さんの次女。長女は池田恭子さん。恭子さんの夫君池田弘道さんもコスモス会員。お孫さんの中にもコスモス会員がいらっしゃるし、かの三木アヤさんは義姉にあたるという、まさしくコスモス一家なのである。
・星型の光ちらして鴨およぐ二月なかばの朝の神田川
・二〇一〇年の手帳に予定書く膝の痛みは癒ゆると決めて
・六ヶ月のあひだに姉、兄、義姉逝けり昨日も今日もさくらあめふる
・夫にたより過しし長き歳月を思へばいまは私の出番
・驚くは敬ふ馬と書くことに気づきて馬にあひたくなりぬ
・春までに歩けなかつた花の咲く神田川まで歩けなかつた
・夫の手にチョコの小さき箱をおく雨となりたるバレンタインデー
・真夜中に「もう朝だね」と夫が言ふ一瞬迷ふ〈朝〉にしようか
・冷えしるき夫のひたひに手をあてぬ心はしばし在せこの世に
・子ら二人恭子、祥子が亡き父を語るかたへにほつこりとゐる
・わが歌が読み手に届きますやうに弁財天様お願ひします
・五十六の夫を亡くしし次女のこと思ひつつ仰ぐさくら満開
・膝に住む膝吉、丁年取りて媼ひとりを運びがたしよ
・うなづきてわれは聞きをり逝きし子を語りつづくる長女の傍に
・「コアラ似のあなたと居ると和むわよ」言ひくるる友ありて嬉しも
・痛み止め連日飲みて吐血せり痛くともよし痛みは伴侶
・お辞儀だめ胸椎八番かばひつつ胸張るわれは王妃のごとし
・半世紀この家にある鳩時計ひとり聞く夜鳩が増えゆく
・アルコールフリービールを飲みながらしわしわの喉若がへりゆく
集中、気になった作品を引いた。
あとがきにもあるが、松尾さんにとってこの8年は多くの訣れと、慶びのあった歳月だった。
夫君、姉、義姉。そして思いもよらなかった若い人々との訣れ。読みすすむうちに涙が溢れてたまらなかった。しかし、なぜだろう。読後感は決して暗くない。浄化というか、ある清らかさに満たされた気持ちで読了したのであった。
それはおそらく、作者の根底にある人生観の明るさのゆえだろう。人並み以上の悲しみを経験してなお、作者には人間に寄せる絶対的な信頼がある。それは長年にわたる幸福な家族関係に培われたものであろうし、その信頼がまた幸福を増大させてゆくという、美しいスパイラルがそこにはある。
やや不自由を感じることもある日常ではあるが、ユーモアをもって折り合いをつけながら人生を味わう松尾さん、88歳。
一生の中で悲しみに出会わない人はいない。立ち上がれないほどの悲しみに向き合ったとき、人間はどう再生してゆくのか。達観でも、諦観でもない、日々をただ丁寧に感謝をもって生きる、そのある種荘厳な単調さの中に、ヒントがあるような気がしている。
松尾さん、お元気で。
週末、お会いできるのを楽しみにしています。
善きひとに善き訪れのあらむこと『鳩時計』読み了へて祈りぬ
〈トリビア〉
2011年、ドナルド・キーン氏は日本国籍を取得された。その折、養子縁組した上原誠己氏(5世鶴澤淺造・越後角太夫)は松尾佳津予さんの甥御さん。
・三味線と語りは越後角太夫ドナルド・キーン氏名付けたり
・乾杯し和やかに食事すすみゆくドナルド・キーン氏義兄となりて
つくづくすごい家系ですな。
早苗さん、お忙しい中ご紹介ありがとう。
松尾さんの穏やかな笑顔にお目にかかれるのがとても楽しみです。E.
じゃあ私も、早苗さんとちとせさんの引いていないもののなかから、一首。
「明日までで車掌をやめる真彩子なり国分寺より乗りて見守る」。無限の包容力をかんじます。
ありがとうございました。Cz.