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柳井の旅~茶臼山古墳 鈴木千登世

不思議な光景が広がっていた。

住宅地の向こうに見える高台を目指して車を走らせると、石で覆われた丘に朱の埴が並ぶ場所に行き着いた。

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ここは柳井茶臼山古墳。山口県で2番目に大きい全長約90mの前方後円墳で、4世紀末から5世紀初めの築造。

多くの古墳は木や草で覆われた、山や丘と呼ぶ方がふさわしいような状態だけれど、ここでは古墳全体を葺石で覆い、142基の埴輪を立て並べるなど築造当初の姿が復元され、公園として整備されている。

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階段を上った先の、古墳の最も高いところの地中に王は眠り、その隣にもうひとり(おそらく妻)が埋葬されていたという。


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古墳の主は「熊毛王」。眼下の海峡を有していた王は、海上交通を利用しての交易と軍事的な要所を握っていたことで大きな力を得ていたという。



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古墳からは鏡や剣、曲玉や管玉が発見され、併設された資料館にはレプリカが展示されている。
単頭双胴怪獣鏡は中国の鏡を真似て国内で作られたもので、神と龍となんとも愛嬌のある文様が刻まれている。

九州で最も大きい鏡が発見されるまで、この鏡が最も大きかったと資料館の方は残念そうだったが、熊毛王の強大な権力を目の当たりにしたように感じた。古墳も航海する船に、自分たちの権力の大きさをアピールしたものでもあったとか。

穏やかな海とばかり思っていた瀬戸内海の別の姿を古墳は教えてくれた。



目の下の瀬戸の島影青き海千年前もきのふのごとし

方位感ならぬ時間の感覚の失せて埴輪の輪の中にをり


Commented by minaminouozafk at 2017-08-03 19:03
まるで、宇宙と交信していた様な風景。なんか興奮します!
同じ4世紀後半から5世紀頃は、沖ノ島も神が降臨するという、宇宙に一番近い岩上で、国家祭祀を行っていた時代。3世紀頃に作られたと見られる国産の銅鏡も大量に発見されています。離れた場所で同時代に行われていた祭祀・・・
ロマンですね。女子は沖ノ島には行けないので、是非柳井に行って同じ空気に触れてみたい!E.
Commented by minaminouozafk at 2017-08-03 21:50
見晴らしに、ひろびろはろばろとした気持ちになりました。海が見えるっていいですね。熊毛王はどんな方だったのでしょうか。知りたいことが増えました。単頭双胴怪獣鏡の頭が一つで体が二つのこととかも。柳井の旅レポート、ありがとうございます。Cz.
Commented by minaminouozafk at 2017-08-03 22:16
この記事の件も知らなかった!本当に柳井、奥深い。それにしても熊毛王、強大な権力を持っていたのですね。英子さんご指摘の沖ノ島との相関関係も興味深い。面白い。S.
Commented by minaminouozafk at 2017-08-03 23:50
空に向かって、海に向かって古墳全体が主張しているようなおおらかな景色ですね。瀬戸内海の明るさを感じます。中国との繋がりもあったのですね。九州、山口すごいです。ちーさま、「みやぎ総文」お疲れでしたでしょう。妹も大分から参加してました。帰宅は11時だとか。明日はどうぞごゆっくり。Y.
Commented by minaminouozafk at 2017-08-04 07:34
熊毛王知らなかったです。1500年も前の九州、山口にタイムトリップしてみたいです。移動手段もあまりない頃、沖ノ島のことは知っていたのでしょうか。沖ノ島は大陸の窓口ですよね。下関の土井ヶ浜遺跡にもたくさんの弥生人が眠っています。ご先祖様に感謝。そろそろお盆です。N.
Commented by minaminouozafk at 2017-08-04 10:10
柳井は瀬戸内海に面し、宗像と同じように古くは海上交通の要になる場所だったのではありませんか。(松山行きのフェリーにここから乗ったことがあります。)初めて見る、熊毛王の古墳の再現は生々しいですね、「そうか、昔はこうなっていたのか!」と驚きを持って見ました。ありがとうございます。A
Commented by minaminouozafk at 2017-08-04 19:39
国内で数カ所このように古墳が復元されているそうです。最近知って是非にと訪れました。古墳の築造当時は眼下の低地一帯は海峡だったようで、その海を臨む地域に熊毛王家の者たちの一連の古墳があります。当時の瀬戸内海は朝鮮半島と大和を結ぶ海上の道で、風待ち、潮待ちの港に停泊しながら航海していたようです。沖ノ島や宗像ともつながりがありますね。単頭双胴怪獣はちづさんのご推察どおり、ひとつの竜の頭から竜の胴体と神の胴体が出ているものでした。
調べると想像を超えることばかりでわくわくします。福岡の彩色古墳群も是非訪れたいです。Cs
by minaminouozafk | 2017-08-03 05:00 | Comments(7)