2017年 04月 14日
ねこのはなし 大野英子
4月12日は、愛猫ぷうの命日でした。
8歳のぷう
父は桜が満開の朝でしたが、ぷうは桜が散る中に息を引き取った。
平成元年生まれで18年生きてくれたから、あれから11年が経った。両親とは、17歳から別々に暮らしたので、私と一番長く過ごした家族。今でも家中にぷうの息遣いを感じる。
11年前、ぷうの火葬をおねがしたペット葬儀社は納骨堂が、なんとJRの高架下!
猫ちゃんはうるさい所が大嫌い。
特にぷうはとても臆病で、ちょっとした物音にも驚いて、自分で押し入れを開けてこもってしまう子だったから、とてもそんな所へは渡せない。手放したくない思いの言い訳だったのかも・・・
数年、手元に置いたのち、自然に還すのが一番だとの思いに至り、わが家に近い博多湾と、博多湾が見渡せる某山中の土に還した。
それから命日の頃にはその山を訪ねている。
膝痛と足のしびれを抱え、いつまで登れるのかが不安だが、もちろん今年も。
山中の桜は大きく育ち、終りを告げて天から降って来るように散っている。
満開の桜は父を思えば辛いが、山の気に包まれてぷうを思い、桜吹雪を浴びると、天から祝福されるような気分になる。
桑原正紀さん最新歌集の中に
<生が死をおもふとき死が生照らし眩しきかなや五月のひかり>『花西行』
と言う一首がある。亡くなった二匹の猫を思う一連のなかに詠まれている。確かに共に過ごした日を思うとき、明るく照らし出されるような思いが湧く。猫に限定する必要のない普遍性のある詠みが、桑原さんの素晴らしさだなぁと改めて思う。
父や母が笑顔だった時も浮かんで来る。
いつか満開の桜も心穏やかに見る事が出来る日が来るだろう。
写真は、以前ぷうをモデルに作ったクリスマスカード。
今もなほこころに住まふ猫を抱きまあるくなつて今宵も眠る
いくつかの死に占めらるるわが生のおぼろになりゆくうつつのくらし