2016年 09月 11日
三つの井戸
7月に法事で京都府に行き、帰りに姫路城に寄った。そこで見たのが「お菊の井戸」。
夜な夜な腰元の幽霊があらわれ、お皿をかぞえるという怪談でおなじみのお菊さんの出る井戸だ。
皿屋敷の怪談には〈播州皿屋敷〉と〈番町皿屋敷〉とがあるそうで、こちらは播州。
この井戸は大きく、周囲を石の柵で囲まれていて底などは見えない。
伝説のもとになった話では、切り捨てられたお菊さんの遺骸が井戸に投げ込まれたというのだが、その後城の住人たちはしばらくは井戸が使えず水に困ったのでは、それとも気にせずその後も井戸を普通に使ったのか。余計な心配をしてしまう。
柏崎驍二歌集『四十雀日記』には姫路城を詠んだ一連があり、その中に〈石の門低きを潜(くぐ)り来て立ちぬ腹切り丸の暗き中庭〉がある。天守閣の出口の先に腹切り丸があり、そのすぐ先にお菊の井戸があるのだが、それは詠まれていないのか歌集に見当たらない。
次は高野山で見かけた「姿見の井戸」。
こちらは画像でお分かりになるように小さな井戸だが、伝説が怖い。
この井戸を覗いて、水に顔が映らなかったら、三年以内にその人は亡くなるのだという。
祠に手を合わせた後で井戸を覗くべきかどうか躊躇していたら、先客の若いカップルがさっさと寄って行き、奇声をあげた。「水が無いやん!」。
これはどうなのだろう、たぶん伝説の有効期限切れ?
三つめ。
何気なくつけた夕方のテレビで、京都の六道珍皇寺の井戸「小野篁冥土通いの井戸」を見た。
小野篁は百人一首の〈わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣船〉の作者だ。
名歌をのこした人は勤勉でもあったらしい。
毎晩冥土に通い、閻魔庁で仕事をしていたという。
映像の〈小野篁冥土通いの井戸〉は大きくて立派だった。
毎日通うには大きな井戸でなければ出入りが大変だったのだろう。
夜は冥土で、昼は朝廷で働いていた篁さんの体力を思う、名歌を詠むにはやはり体力が必要らしいと。
昭和30年代、私が子供だったころまでは地方では井戸のある家が多かった。
母の実家では夏には西瓜やサイダーを冷やし、冬は洗濯の水が温かいと喜んでいた。
岩波現代短歌辞典の井戸の項には「~現代に近づくにつれて、井戸というものは廃井や晒井(さらしい)というように、水の絶えた井戸を詠んだり、レトロなものとして表現されたり、空想上のものとして喩に使われている。~」(執筆者前田康子)とある。
地下の水脈に通じる井戸は、生活の一部でありながら、神秘的でもあっただろう。
深い井戸の底は不気味だし。
幽霊が出たり、冥途に通じたり、人の寿命を宣告したりする井戸。
水への畏怖を感じさせない水道の蛇口からは、このような伝説は生まれない。便利だけど少し寂しいと思う。
土間のすみに井戸の在りにき一軒の使ふ水みなそこで汲むべく 大西晶子
写真は2番目の井戸、高野山奥の院の「姿見の井戸」
クリクリさんと早苗さん達のお蔭で、無事にひと月ブログが毎日続きました。週一回のことですが、それだけで少し神経が研がれたような気がします。 A