花喰ふ鳩  百留ななみ

先週木曜日、待ち長かった桜もだんだん葉桜に。大好きな青葉の季節です。


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清新なエネルギーを充電しようと忌宮神社の石段をいつものように駆け上がる。

なんだか左手の上の方から羽ばたく音が。境内にはいつも人間に慣れた鳩がいて、首を振りながら歩いたり、一斉に翔び立ったり、地面にうずくまったり。しかし、今日はあらあら桜の木の枝に鳩がいっぱい。まだまだ青葉とともに花も残っている。青葉に隠れてあら彼処にも3羽。


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ちょっとそこの枝、退いてくれる?いやだ!早い者勝ち!ええぃあっち行け!


とても騒がしい。突っつきあったり、翼で叩いたり。花の残る桜の木に鳩が鈴なり。はじめての光景だ。何を求めているのだろう。他にも境内にはたくさんの桜があるのにこの老木1本にのみ集まっている。満開はちょっと前だし、咲き始めからはもう一ヶ月近い。なのに今日この桜の木に?


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じっと見ているとどうやら桜の花を突付いている。食べているのだろうか。花柄をくわえたところの撮影成功。ご満悦な鳩くん。桜喰う鳩。


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鹿は散り敷く桜花びらを食べるという。 

灯に浮ぶ桜めでゆく暗がりにうごめく見れば花を喰う鹿

艶のなき冬毛の鹿が鼻面に花びらつけてさくらを喰らふ

中島君枝(コスモス・香臈人)


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よく見ると桜の根元に小さな双葉が残る実生のもみぢ。あらあら彼処にも此処にも。芽吹きの季節。大きな公孫樹の木にも小さな緑の公孫樹の葉っぱがぎっしり並んでいる。ほんとうに可愛い。生まれる偶然、必然をしみじみ思う。


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この春は落葉が多い。楠もすっかり葉を落としつやつやの黄緑色の新葉がきれい。小さなことでも何かあたらしいことをと背中を押されている気がする。鳩たちも桜の花を啄きながら何か作戦会議でもしていたのかもしれない。


花のこる青葉のさくらに十一羽つどひあひたり花を喰ふ鳩

ななみ



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# by minaminouozafk | 2017-04-24 09:10 | Comments(3)

 先日思い立ち、ハイキング用にトレッキングシューズを買いに行った。

 防水と底のグリップが効いた靴が欲しくなったのだ。

 アウトドア用品店〈Iスポーツ〉で選んでもらう。男性店員が用途を聞    

 き、サイズを測って一緒に選んでくれる。親切で感じがいい。
 ところが、足のサイズが思った以上に大きく、登山用靴下の厚みと余裕を  

 みると女性用では無理とのこと。
 きれいな色のものは、あれもこれもみな小さいサイズしかない。


 あきらめて黒一色のものを購入した。足にフィットして具合はいい。

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若い頃から靴選びでは苦労してきた。大きいサイズのくつは少ししか作ら 


  ないので早く売り切れ、欲しい靴が買えないことが多かったのだ。





 ふと思う。
 馬も犬も猫も四本足歩行の生きものは、後ろ脚の踵の骨が脚の長さの半分 
 くらいのところにある。

(歌舞伎の舞台の馬が不自然なのは、後ろ足の関節が逆に曲がるからだ。)

 人間なら爪先立ちで歩いているのだ。
 体の大きさからみると、爪先から踵までの長さの割合は人間などとは比べ 

 物にならない程長い。






ビッグフットby Joe Penniston



二本足歩行になった猿たちも、足裏はからだに比べて長い。
 ビッグフットと呼ばれる未確認の生物(猿人?)も北米に居るらしい、  

雪男のしかり、ともに足あとが大きいと聞く。


進化がすすむほど、足のサイズは小さくなるようだ。

してみると私の足が大きいのは進化が遅れているのでは?と気になる。


進化がすすむと顎が細くなり、親知らずが生えない人が多いらしいが、

私は四本すべて生えた。やはり進化が遅れているような?


ま、顎が大きいのは噛む力が強く消化が良さそう、足が大きいのは体の安

定が良いと自分を慰める。

進化が遅れていても日常生活で困るわけでも無いし。

  
  

 とは言え、履きたかったな~、ラヴェンダー色のトレッキングシューズ。



大き足で地面を踏みてめぐりたり若葉あかるき〈桜公園〉 


































 










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# by minaminouozafk | 2017-04-23 08:34 | Comments(6)

松岡寿司  栗山由利

 買い物に行く時は、よほどの予定がない限りとりあえず豚の薄切りと鶏もも肉、それに青菜やきのこ類を買って帰り、それから料理を決める。

その日は魚コーナーに小アジよりも小さい豆アジが並んでいた。漁港であれば、お迎えの猫さんたちがポイッと投げてもらえるくらいの大きさである。これくらいのアジをみると大体迷うことなく買う。それから野菜コーナーに戻って大葉をカゴに入れる。

 私のふるさと大分は一村一品運動の発祥の地として有名であり、佐賀関の関アジ関サバ、日出町の城下かれい。カボスは全国的に名が通っているし、しいたけも昔から多く作られているなど海のもの、山のものにたくさんの美味しいものがある。しいたけの秋子を焼いて醤油数滴とカボスを絞っていただくのは産地ならではの贅沢であろう。


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                          《 松岡寿司 》


 実家がある大分市の松岡地区に伝わるアジ寿司もほんとうに美味しく、「松岡寿司」と呼ばれて居る。地元の友達に言わせると140年の味なのだそうだ。白くなるまで甘酢でしっかりしめたアジの握り寿司で、それを大葉でくるりと巻いて上に生姜のすりおろしと胡麻をのせる。本物を口にしたのは二、三回しかないが、見よう見まねで母が作っていたものを、これまた見よう見まねで今も作っている。

子供たちが居た頃は次から次へと食べるので下ごしらえに大変な思いをしたが、今は初老二人なので楽である。おまけに、青魚と大葉、具沢山の汁物とお浸しであれば健康的な献立であるし、何より安上がりでもある。

「昨夜は健康的な夕飯だった」そう思って冷蔵庫を開けたら、残っていたはずの寿司三個がない。私が寝たあとに食べるのは不健康である。


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《長年の勘違いで大葉が下になっています》

     生魚(なまいお)に振りむきもせず家猫は贅沢グルメのカリポリを喰む




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# by minaminouozafk | 2017-04-22 10:08 | Comments(5)

毎月の勉強会とは別件で、「みつはし花見短歌会」という保育園の大橋拾子園長先生を中心の歌会の、年に一度のお花見イベントに三年前からご招待を頂いています。

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参加者の皆さんと。

沖の端とは駅から逆方向の内陸部、緑豊かな垂見保育園の広いお遊戯室で開催されます。園庭にはみごとに桜が満開です。午前中は、三十二名から提出された詠草を、毎月指導されている柳川勉強会の西山博幸氏と二人で全員の批評と添削をします。高得点歌は

○元旦の着物姿の祖父まぶしいつもの野良着は小屋に干さるる 梅﨑キヨミ
普段は野良着で過ごす祖父を改めて見る眼差し。正月なので、ひっそりと小屋に干しているのだろう。実直な暮らしぶりまで伝わる一首。

小学生からも二首参加、出席がありました。
○なかなおりしようときめて声かけたにっこりわらってゆるしてくれた 大橋凛音(作歌時 三年生)
子供らしい素直さ。ドキドキしながら声を掛けたこと、そして「ゆるしてくれた」という言葉から伝わる安堵感、三句での切れがその間を上手に表現出来、生き生きと場面が立ち上がって来る。

○わあ桜のつぼみに雪が積もってる枝をゆさぶり落としてやろう 藤吉優真(作歌時 六年生)
初句から驚きと、蕾が寒くないようにという優しさが無理なく詠まれている。繊細な桜の枝には「枝を揺すって」くらいに抑えたほうが良いけれど、初句、自由でのびのびとしたリズム。

お二人共、この感性を大事にして、ずっと詠み続けてくれればいいなぁ。奨励賞です。

お昼はお花見弁当や差し入れの筍、蕗、蕨の炊き合わせや果物、桜餅などなど、和やかに頂きました。小物や表彰状も桜づくしでおもてなしの心に満ちています。さて、お花見歌会はここからが本番!?

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会員のみなさんの、幅広い趣味のお披露目で、懇親会を盛り上げて下さいます。

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会員有志による「大正琴」年々レベルアップしています。

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春から四年生になった大橋凛音ちゃん。みごとな日本舞踊「藤の花」

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ユーモアたっぷり、表情豊かなエアー三味線「三味線ブギウギ」変顔に会場は大爆笑ですが、素顔は色白美人さんです。

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そして、大橋拾子園長先生による、日本舞踊「雪桜」美しさにうっとり。一昨年の歌会始で作品が入選されるなど、短歌も実力者です。

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特別ゲストの日向ひょっとこちっご愛好会(ちっごとは筑後の方言)の皆さんによる「日向ひょっとこおどり」こちらも出演者の中に短歌会員がいます。

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昨年の日向ひょっとこ踊り全国大会、子供キツネの部で優勝した山下葵生くん(小三)のキレッキレの踊り。

素顔は、ジャニーズでも行けそうなイケメン。

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最後は「スコップ三味線」こんなちびっ子も参加です。

笑顔、笑顔で終了。大橋先生の求心力と共に、息子さんは写真撮影や音響担当、お嫁さんは送迎など裏方を支えて下さいました。木原昭三さんも指導されていたことがあると言う、長い歴史のある会です。

長続きの秘訣は楽しさに有り、ですね。皆さん、ありがとうございました。

満開のさくら、菜の花、麦畑、春いろ満ちる水郷のまち

折しもこの日は柳川市の金子健次市長が無投票で3選を果たした。白秋祭の祝辞では、毎年楽しい話術で楽しませて下さる笑顔の素敵な市長さん。おめでとうございます。


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# by minaminouozafk | 2017-04-21 07:29 | 歌会・大会覚書 | Comments(7)

平成29年度の山口県短歌大会の打ち合わせのため光市を訪れた。

昨年は下関市での開催だったが、今年は11月19日(日)に山口市で開催される。

海に近いホテルで事務局長さんや支部長さんとこれからの作業手順や役割分担を確認した。

打ち合わせが終わった後、松林を通って海に出て見た。

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お昼時で、初夏のような日差しだった。

砂を止める壁は長い長いベンチになっていて若い女性ふたりがお弁当を食べていた。少し離れて私も座る。

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松林を背に、真っ白な砂浜が広がっている。3㎞続くその海岸は虹ヶ浜と呼ばれ、海上から眺めた時に虹のように見えることから藩主が命名したとか。

砂の向こうには瀬戸内の光を湛えた海。北浦とは違う穏やかな海が視界一面に広がる。
きらりと光ったものを目で追うと魚がジャンプしていた。
一匹が跳ねると少し離れたところで別の一匹が跳ねる。
「どうだ、高いだろう」と言わんばかりに水面を蹴って次々に飛び上がる。
うねる魚の体が力強い。

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波打ち際に近いところではパラソルを広げて母親とこどもが2組座っていた。小さなこどもは砂の感触を確かめるように裸足で歩いている。ドラマの1シーンのような、のどかでしあわせそうな光景。

慌ただしい日常の傍らに、こんな穏やかで満ち足りた場所があることが嬉しい。



海恋し潮の遠鳴り数へては少女となりし父母の家     与謝野晶子


ともすれば君口無しになりたまふ海な眺めそ海にとられむ   若山牧水

              

海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり  寺山修司

                  

水より生まれ水に(かえ)らん生きもののひとりと思う海恋うる日は 道浦母都子

 

にんげんの水行の跡すべて消し海はしづけきひかりの平(たひら) 高野公彦                    


家に戻って、海の歌を読み返すと、今日見た海が目の前にまた広がってきた。




瀬戸内の光あまねし閉づる目の彼方に光る海を感じぬ

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              枝が輪になって伸びている松に驚きました。


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# by minaminouozafk | 2017-04-20 03:48 | Comments(7)

博多港に、「那の津往還」(豊福知徳作)というモニュメントがある。
博多港引揚記念碑である。

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                 《後方から撮影》

博多港は戦後、最大級の引揚援護港であった。引揚者約139万人(元軍人等約42万人を含む)が上陸し、また、ここから在日外国人約50万人が故国へ帰っていった。

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               《上、ほぼ正面から撮影》

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『引揚援護の記録』(昭和25年3月、引揚援護庁)収載の年表によると、

昭和20年8月28日条に「釜山―仙崎博多間輸送のため興安丸、徳寿丸運航許可」とある。
                 (仙崎は山口県長門市。このブログでは親しい地名)
この28日の「許可」を受けて数日後に次のような出航記録が認められる。

8月31日「南鮮向引揚第一船興安丸出航」

9月 1日「南鮮向引揚第二船徳寿丸出航」

8月31日出航の興安丸は9月2日に仙崎港に入港する。これが、『引揚援護の記録』の記す引揚船の初入港である。別の資料によると、9月1日出航の徳寿丸は、9月3日に博多港に入港している。

実は、知りたかったのは、「鎮海―博多間」の引揚船の事情である。

昭和20年、終戦後の早い時期に、18歳の祖母は一つ年長の姉と二人で鎮海の港を出て、
博多港に辿りついた。生前、祖母が引揚げについて語ることはなかった。ただ、私はそのこと(祖母が引揚げてきたこと)を知っていたから、その程度には話すことはあったのだろう。

「鎮海―博多間」については、上述の年表の9月4日の条に、

「鎮海博多間運航許可(弘済丸、龍平丸、一三日より)」

という記述があった。「弘済丸」と「龍平丸」――。

この春、祖母の遺稿を読み返していると、ただ一首に詠み込まれた「引揚げ」という言葉が
にわかに大写されたように思え、その歌に註釈のようなものをつけてやりたくて調べてみたのである。けれども、私の手では、固い土の表面をスコップのふちで削るほどのことにもならなかった。

  年表の余白の海をただよへり記さるるなき出船入船(でふねいりふね)


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              フェリーの入港に行きあった。左



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# by minaminouozafk | 2017-04-19 06:18 | Comments(8)

スラヴ叙事詩 藤野早苗

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見ているはずなのに見られている感じ。四方の壁から寄せてくる視線の圧。

2017年4月8日、六本木の国立新美術館。開催中の「ミュシャ展」を見る。
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ミュシャといえば、官能的で豊穣な女性像で、アールヌーボー期のパリ広告界を席巻した画家。

転機が訪れたのは1908年。スメタナの楽曲「わが祖国」に感銘を受けてスラヴ諸国の文化の伝道を志したミュシャは、1910年にチェコに定住。翌年からプラハ近郊のズビロフ城で、晩年の16年間を捧げ、大作「スラヴ叙事詩」を創作した。

1928年、ヴェレトゥルジェニー城で公開された全20枚、小さいもので4×5、最大で6×8メートルに及ぶ大作は、画家の期待を裏切り、評価されることはなかった。ピカソに象徴される新しい芸術に沸く若い世代から、ミュシャはもはや時代遅れの芸術家として忘れ去られてしまっていた。

政治状況も悪かった。ナチスドイツの台頭。1939年、ナチスドイツによるチェコスロバキア共和国解体。絵画によって愛国心を煽る危険思想家としてナチスに捉えられたミュシャは、4カ月に及ぶ尋問の後、祖国の解放を見ることなく死去。78歳。

「スラヴ叙事詩」はミュシャの故郷モラヴィアのモラフスキー・クルムノフ城に所蔵され、2012年、プラハ国立美術館(ヴェレトゥルジェニー宮殿)に帰ってきた。チェコ国外で公開されるのは、この国立新美術館が初めてである。
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神話や伝説の時代から、ミュシャが生きた時代まで、無数の人々が広大な画面に描かれている。けれど、同じ表情は二つとない。それぞれがそれぞれの苦悩や悲しみを生きている。そんな群衆の中に、一際強い眼差で凝視め返してくる人物が描かれている。忘れるな、とでも言っているように。語り部なのだと思う。だから、「叙事詩」なのだ。
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アルフォンス・ミュシャ。時代に愛され、またそれ以上に時代に翻弄された天才画家。彼が遺したメッセージの封印が今、解かれた。このメッセージが必然である時代が近づいているとすれば、それは怖いことではあるけれど。


ミュシャとしてパリに生きそしてムハとしてスラヴに死せり ああ、アルフォンス

乃木坂の駅へ降りゆく「忘るるな」スラヴの民の眼差を背に

花幾たび咲いて散りゆき 目見え得しスラヴ叙事詩をこころに刻む
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# by minaminouozafk | 2017-04-18 10:01 | Comments(7)